旅記録
2008 GW 屋久島・種子島・南九州
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0日目
1日目
宇都宮 −高速バスマロニエ→ 羽田空港
羽田 → 鹿児島
2008/04/25
2008/04/26
鹿児島 谷山港 −フェリーはいびすかす→屋久島・宮之浦
鹿児島空港 → 鹿児島市内 → 谷山港 52.24 km
 至って順調にGWを迎えようとしている。今年は正月も休まずに仕事だったので連休という気分は久しぶりでもある。サイクリングサークルも脱退後ということで自転車生活は徐々に自分中心へと戻ろうとしている今回の旅、どんな価値観を見出すかが見物だ。
 今回は初日に宿を取らないので、荷物は全て持っていく。荷物自体は前日までに全ての準備を終えて仕事の後は出発を待つのみだ。タモリ倶楽部を見て家を出る。3時のバスまでだいぶ時間はあるが、これ以上 家に居ると寝てしまう恐れがある。高速バスのバス停前で自転車をばらして袋へ詰める。至って順調に終わった。バス停で1時間半近く待つ。そしてバスは来た。運転手には荷物の量のあまりの多さに嫌われ怒られつつも何とか乗せてバスは出て行く。今まで連休初日のバスに乗ったことは何度もあるが混雑ぶりが例年以上である。
 移動体で寝るのが苦手な俺だが何とか仮眠を取りながら羽田へと向かっていく。目が覚めると首都高の湾岸を走っていた。もうすぐ到着だろう。少し明るくなってきた羽田空港に降り立つ。とにかく荷物の多さにいらついていると思われる運転手は地面に叩きつけながら降ろしていく。
 手回り品に預けて、朝食の空弁を買ってターミナルへと向かう。とにかく眠ってしまわないように気をつけながらアナゴ飯を頬張りつつ飛行機への搭乗を待つ。初日の朝食を現地でというステータスにこだわりたかったが、実質の徹夜で空腹に耐えられなかった。予報では鹿児島の天気も上々。いい旅が期待できそうだ。
 そして飛行機へと乗り込んでいく。座ったら、とにかく眠る。混雑する滑走路で順番を待つ飛行機、心地よい加速Gを楽しませながら離陸していく。離着陸ではリクライニングを倒せないので直角シートのまま眠りにつく。一切の機内サービスなども受けず、ひたすら眠る。そして、鹿児島空港へ着陸した衝撃で目が覚めた。理想的な眠りだ。機内で本格的に寝れたので少しスッキリした感じで鹿児島へたどり着いた。
 到着ロビーで手回り品の自転車を受け取って、空港の表で組むべく準備する。ちょうど表に足湯があり、そのわきのスペースで組み立てる。やや目立つが、理想的な広さだ。足湯で癒されながら、ガイドブックなどで作戦を立ててから空港を出る人が多く、なかなかの人気ぶりである。少し丁寧に作業しすぎたせいか、進捗が悪く足湯を楽しむこともなく出発する時間帯となってしまう。まあ鹿児島空港は再び来るときがあるだろうから、いいだろう。

鹿児島空港 足湯

 空港の軒先を出ると日差しがすごい。さすがは南国 鹿児島という感じである。南九州の鋭くまぶしい光を浴びて走り出す。空港から海沿いの加治木までは予想通りの下り基調。まずチェックしておきたいのは、今回から導入したトライアル用リアブレーキ。音がすごいが制動力が強い。狙い通りによく利く。重さはあるので、多少のことでは走行中のブレーキでロックすることもなさそうだ。下り坂での走行安定性確保に役を果たせそうだ。
 下りの走行フィーリングを満足しながら、南国らしい日差しと植物の風景を楽しんでいく。加治木まで下りきると、3年前のGWにも走ったルートへ合流する。道の勝手もだいたい分かっているので気楽だ。しかし、3年前と状況が違うというと向かい風のようだ。鹿児島市街地までの30kmが遠く感じる。市街地から谷山港まで、さらに10kmあるので先が重くのしかかる感じもする。寝不足でキレがないのも事実なので、無理せず安全に行きたいところである。国道10号線をひたすら鹿児島市内へと向かっていく。そして初日ルート最大のお楽しみでもある錦江湾沿いの道へと出る。立ち止まって写真を撮る余裕は無いほどの狭さと交通量で緊張する場面が続くが、桜島の眺めと静かな南国の海の眺めが気持ちいい。天気はいいのだが山の方だけはガスがかかっていて山がよく見えないのだ。
 鹿児島市内へと近づくと、交通量も徐々に増えてきた。そして渋滞も始まる。車とガードレールの間を慎重に通り抜けつつも、ふん詰まれば無理もせず足を地に着いて待つ。車の修理とかで自転車通勤していたせいか、足にキレがあるものの、疲れが抜けていない何とも微妙な状態である。ストップ&ゴーな状況に耐えながら、走っていくと仙厳園(せんがんえん)に着いた。今回の旅では立ち寄っておきたいと思っていた場所で、最初の休憩である。旧島津家の旧家と庭園があるのだ。庭園からは錦江湾と桜島を眺められるらしく楽しみにしていたのだ。NHKは受信料を払わない代わりに一切見ないという方針を決めている俺としては内容は全く分からないのだが、ちょうど大河ドラマの「篤姫」でゆかりの地ということで、ちょっとした活気がある。園内でロケも行われたようで、何のシーンの撮影に使われたかなどの案内も出ている。園内は少し広々とした感じで、緑の芝生と南国らしい植物やソテツのある庭園、明るい日差し、そして霞かかっているが海と桜島を見渡せる風景。何とも南国・薩摩という感じと雰囲気が楽しめる。
 せっかくなのでガイド付きで家の中を巡れて、最後には抹茶とお菓子も出る御殿コースというのに乗っかって観光する。丁寧な言葉遣いのガイドに集団は連れられながら、家の中と園内を巡っていく。やはり、ところ変わればという感じで薩摩・島津家というのは、少し大陸から伝わった影響を受けたり、南国らしさが満点だったりで、他の地方と異なる。そんな雰囲気の違いを楽しみながら巡って行く。最後はお楽しみでもある、お茶菓子を満喫する。飛龍頭と呼ばれているお菓子で柚の利いた餡が楽しい。でも、どうせならもう少し眺めのあるところでお茶を頂ければ、もっと楽しめるんだが。
 その後は広い庭園を歩いてみる。緑を楽しむところと、石の雰囲気を楽しむところと分かれているような感じで性格の違いが楽しい。散策を満喫したところで、戻りつつ昼飯も探してみる。ふと、薩摩切り子の展示も見たくなる。涼しげなガラスと手作りの整然としたカットがキラキラと輝く。酒飲みの俺としては、ロックの焼酎を飲みたくなるようなグラスもあり惹かれる。しかし、値段は結構高い。衝動買いをしてしまいそうな感情をぐっと抑えて、背中を押す店員の誘惑に耐えて店を後にする。

仙厳園と桜島の眺め


仙厳園 旧島津家


島津家 中庭


石を生かした作りが特徴的


飛龍頭(ひりゅうず)


和菓子と抹茶でしょう

 仙厳園を後にして鹿児島市内・天文館通を目指して走っていく。もう市街地は近い。鹿児島駅から路面電車の通る道を走って野生の勘だけで天文館通を目指す。やっと、それっぽい道を見つけて昼食が食えそうな店を探す。今日は鹿児島だし何と言っても黒豚でしょう とんかつでしょう。意外と店の軒数は少ない。唯一見つけたのは「かつや」 結構 好きだがここまで来てチェーン店は無いだろう… ただ、とんかつの本場 鹿児島でも店を構えて商売できてしまう かつやのクオリティ 侮れない。去年も高松に何軒も出店してる はなまるうどん に驚いたところだ。
 何とか天文館通から少し外れたところに、有名店っぽい雰囲気を醸し出している黒豚料理の店を見つけた。奥の席に座って、特選ロースカツを頼んでみる。揚げたてのとんかつがやってきた。肉は厚すぎず薄すぎず、衣は薄めに付いている。まずはソースも何も付けずに一切れ食べてみる。何だ! この旨さ!! 俺が今まで食べてきたトンカツって何だったんだろうというほどの旨さ。豚肉の部分は高級なステーキかと思うほど、肉の味がしっかりしている。いわゆる豚くささもなく甘みすら感じる。そして歯ごたえはしっかりしているが筋ばってなくて柔らかい。脂身もしつこさとか堅さを感じない。美味さが口の中を一気に駆け抜けてトンカツを平らげた。間違いなく、今まで食べた中ではダントツで一番美味いトンカツであり豚肉だ。
 市内で少し情報収集しつつ町の雰囲気を楽しんで、続いてデザートだ。鹿児島といえば「しろくま」でしょう。練乳のかき氷にフルーツを散らしている あのアイス。むじゃきという元祖の店に入ってみる。レギュラーサイズは とんでもない大きさなので、ベビーサイズを頼んでみる。それでも十分過ぎるほどのボリュームだ。コンビニで売ってるパックものとちがって、ふわっとしてミルクの甘みもさりげなく、フルーツと溶け込む。さすがは本場という感じの味だ。
 すっかり満腹になったところで、屋久島へ渡るべく谷山港へ向かう。最近は便利なもので詳細地図をインターネットで見れるので港のそばに買い出しスポットがあることは調査済み。まずは港へ行って乗船手続きを済ませて近所で買い出しをする段取りで考えているので市街地では特に何も買い物はしない。今日時点では米や非常食やガスなど一切持ち合わせていない。信号待ちも多く若干 走りにくい道を南へ進んでいく。
 出航まで1時間半近く残したまま谷山港へたどり着く。ここは貨物などの発着が多く、沖縄や奄美大島へと向かう航路への案内も多く旅情をかき立てられる。本当に普通の人が乗れるようなフェリーなんてあるのか疑問にすらなるところにフェリーターミナルはあった。フォークリフトで船に荷物を積み込んでいる。見るからに貨物船という雰囲気。受付で手続きを済ませると注意事項が伝えられた。「船内には何も売っていないので食事などは買い出ししてきてください」とのことだ。

鹿児島天文館通り あぢもり
黒豚ロースカツ


むじゃきの看板熊


むじゃきの しろくま
(ベビーサイズ)

 ちょうど乗船手続きをしに来たライダーと少し話した後、自転車で港のすぐそばにあるナフコ・物産館に向かう。ここで基本的に買い出しは済ませたい。ナフコでカセットコンロのガスを買い、ふるさと物産館で夕食と明日の朝食を買う。薩摩揚げの専門店で薩摩揚げを買い込み、最後にビールを買う。冷えモノはギリギリに買う これは基本だろう。鮮魚用の氷も袋に詰めて行き抜かりのない晩酌体制を固める。
 港へ戻ると、知る人ぞ知るという感じのフェリーだけあって、旅慣れた雰囲気の旅人ばかりが集まっていた。チャリダーは俺だけのようだ。そしてフェリーに乗り込んで、自分の寝床を確保してから、デッキで出港を待つ。夕方の16時 日も傾き錦江湾と鹿児島市内、喜入の石油タンク、桜島を眺めつつ少しずつ離岸していくフェリーの雰囲気を楽しむ。外海に出て揺れ始める前にデッキで乾杯する。やっと連休初日の一杯が飲める。飲酒運転への配慮からか船内の自販機にもビールは無く、買い込まなかった人からは羨ましがられる。旅人たちと意気投合して話が弾む。何ともアットホームな雰囲気すらあるフェリーで楽しい。いずれも旅慣れた人たちなので旅談義が深い。夕焼けにかすむ桜島と海を眺めながらビールと薩摩揚げで晩酌である。旅の空で連休を迎える俺の幸福を感じる。ビールと薩摩揚げの後はヒジキ御飯のおにぎりを頬張り夕食は完了。鹿児島らしい美食と雰囲気を満喫でき、初日は満足だ。何はともあれ多忙な開発業務に病気することもなく走り抜けた期に乾杯したい。
 外海に出たら、本格的に揺れ始めた。そんなに大きい船でもないので、ゆっくり大きく揺れながら船は進んでいった。デッキで星でも見ようかと思ったが、曇っていてイマイチ。何と言っても寒いのであきらめた。実質 徹夜で迎えた旅の初日で疲れ切って眠りについた。

貨物船のような雰囲気
フェリー・はいびすかす(谷山港)


フェリーのデッキで乾杯


薩摩揚げ

ひじきおにぎり


   出発(鹿児島県鹿児島市)から 52.24 km

2日目 屋久島・宮之浦 → 白谷雲水峡 → 宮之浦 → 安房 45.93 km
2008/04/27
白谷雲水峡 → もののけ姫の森 → 弥生杉 → 白谷雲水峡
 なんだかんだで早寝早起き。夜中のほとんどは西之表で停泊していたようで静かに眠れた。船は大きく揺れながら、種子島の西之表から屋久島の宮之浦へと進んでいく。揺れに乗りながら朝食を食う。昨日のうちに買い出ししておいた両棒餅(じゃんぼもち)と かしわのおにぎりで腹を満たす。少し大きめの団子にみたらしがついている。何の変哲もない団子には見えるが、串に団子を連ねた形ではなく独特である。九州は鶏肉が美味い そう思わせる かしわおにぎりを満喫していると、正面に島が見えてきた。船は宮之浦へ入っていく。海から見ても島自体が高い山によって構成されるのが分かる。
 ゆっくりと港へ着岸して到着した。ゲートブリッジを降りて軽くガッツポーズしながら上陸する。自転車の旅での最南端が12年ぶりに鹿児島県の大隅半島にある佐多岬から屋久島へと更新された瞬間である。上陸してすぐに港の観光案内所で情報収集する。今日・明日で島を1周して夕方頃に再度情報収集できるか微妙なのでバスの時刻表やルートなども入手する。
 そして、出発だ。まずは白谷雲水峡を目指す。今日は天気もよくヒルクライムもトレッキングも気持ちよくできそうだ。宮之浦の街を抜けていくと、坂道が始まる。覚悟はしていたが、かなり本格的なヒルクライムになる。実質の初日、そして朝、体にキレなどあるわけもなく坂で容赦なく苦戦を強いられる。トレッキングもしたいし、島を回りたいので、あまりのんびりもしてられない気分である。ただ、登れば登るほど足の動きはよくなってきた。重い荷物を載せて、ゆっくりと力強く上がっていく、このドMな醍醐味こそが楽しみである。200m程度 標高を稼ぐと、そこは人間や車だけの場所ではなくなってきた。時々、木の上や道ばたに猿の群れが現れる。最初は珍しがって写真を撮ってみたりする。そして、鹿も多い。親子だったり、一頭だったり…。親子にしては親鹿は小さい。屋久島の鹿自体が、このぐらいのサイズなのだろうか。下りで轢いてしまわないように気をつけたい。
 だんだん景色が開けてくる。原生林の山、谷、振り返ると広がる海。谷の底に流れるきれいな水 そんなものを見渡しながら崖沿いに続く道をヒルクライムしていく。傾斜も容赦なく決して楽ではないが、これほどまでに楽しい上り坂は少ないだろう。徐々に気温も上がり、足の疲れもピークに達してきた。頂上に近づくにつれて道も狭くなってくる。想定より白谷雲水峡の入り口の標高が高く、なかなか辿り着けない。想定していたより1時間近く遅いような感じである。

両棒餅(じゃんぼもち)


屋久島に上陸


ヤクシカの親子

 
 
白谷雲水峡への登り坂

 当初、このルートをバスで上るのを検討していた時に、バス停の名前で、雲の展望台・森の展望台などと呼ばれるのがあったので、展望台があるのかと思っていたが特に展望台と銘打ったものはないまま、道の頂上にあたる白谷雲水峡の入り口と思われる場所にたどり着いた。徐々に路肩に止めてある車の台数が増えてくる。そんな車の列を緩やかに下り始めて、湧水がある場所にたどり着く。ここでトレッキングのための水を汲んで、1.5Lボトルで飲みかけていたボルビックも捨ててわき水に入れ替える。何とも贅沢なことにミネラルウォーターを捨ててしまう。山の水は柔らかい甘さを帯びていて飲みやすく美味い。
 登山口に自転車を置き、まさか盗む人は居ないだろうが施錠して、トレッキングシューズに履き替えてヒルクライムで疲れ切った足の筋肉をストレッチし、お風呂用の小さなリュックに糖分補給用のチョコと500mlのペットボトルを入れてトレッキングに出発。ガイドブック上では往復4時間半と書いてあるが、素人とは違って脚には多少の自信はある。何時間ほどで戻ってこれるか分からないが、現時点で10:30過ぎ。4時間だとすると14:30 昼食には少し遅い。入り口の窓口でお金を払って白谷雲水峡へのトレッキングを開始する。しばらくは大きな岩と森と渓谷の眺めが続いている。歩きやすいルートだ。
 そして原生林を抜けて行くコースとショートカットコースの分岐がある。下りの歩きは安全性において余裕が無さそうなので原生林は上り坂で楽しんだ方が良さそうで、今日は天気もよいので迷わず原生林へと入っていく。道なき道という感じの本格的なシングルトラックである。道しるべは木につるしてあるピンクのリボンのみ。これを見失うと迷子になってもおかしくない。今日は天気が良いから悩まず行けるが、これで霧が立ちこめたりすると迷子になってしまうだろう。
 原生林コースは読んで字のごとく、手つかずの森がどこまでも続く。そして本州の山では見たことのないような光景である。倒れた杉の木の上に次の世代の木が生える。根は土の中だけではなく空中からでも生えている。苔生した河原と倒木、その倒木から新たな木が生えている。きっとこの無数の木の中で1000年も生き残っていくのは、わずかだろう。南の島に直撃する台風などで倒されて、またその上に杉の木が生える。そんなことを大昔から何度も繰り返してできた森… あとで歩いていくと、それが当然の光景になるのだが、まだこの光景が珍しい俺は写真を撮りまくる。自然の神秘に圧倒されながら、ヒルクライムから続いた脚の疲れも忘れて夢中で歩いていく。
 時々 すれ違う人から「もしかして自転車で登ってきてた人ですか?」と聞かれてしまう。それほどまでに、必死で坂を登る俺の姿は印象的だったのだろうか。一般人からは想像も付かないようなヒルクライムの後で山を歩く俺に驚きつつ、人との交流は続いていく。そして、外国人の家族ともすれ違う。フェリーで一緒だったし、荷物満載の自転車で印象も濃かったからか覚えていてくれたようだ。所詮は狭い島だなぁと思いながらも、久々に旅人たちとの交流を楽しめる。色んな杉の木のわきを通り過ぎ、時に杉の大きな株の下をくぐり抜けて、足下を流れる沢を飛び越え… 本当に変化が多く飽きない自然を楽しみつつ進んでいく。何人か登山者を追い越しながら歩いているしペースも上々だろう。急ぐ旅ではないと思っているが、やはり見るべきところまで見て、ひもじい思いもせず昼食までには帰ってきたい。足取りは自然に速くなる。
 そんな楽しくも速く歩いてしまった原生林コースは終わり、ショートカットと合流する。白谷小屋で本格的に休憩する。飲み水も汲んで、糖分補給のチョコを食べて回復を図る。それにしても、1ヶ月で35日雨が降ると言われている屋久島に来たのに、雲一つない晴れで迎えられてしまう俺の天気運って、どんだけぇと思いながら、真っ青な空を眺めて出発しようとすると、ベンチで隣に休憩していたおばさんがタオルハンカチを忘れていったようだ。だいぶ前に姿を消したので追いつけそうもないのだが、ゴミを残していくわけにも行かないので拾っていく。
 どこまで登って引き返すかという検討内容になるが、もののけ姫の森と呼ばれている まさに名の通り もののけ姫のモデルになった森まで歩くことにした。白谷小屋からは900m程度とガイドブックには書いてあるし、ここまで1時間半ほどで来ているので上出来のペースで来ている。ゆっくり歩いて見に行く。ちょっとした広がりがあるところから森を眺めると確かに そこには もののけ姫のような眺めが広がっている。ただ、今日は天気がよすぎて神秘的というか不思議な雰囲気が半減という何とも贅沢な悩みではあるが、苔生した岩と倒木に杉の木々が自然美を造り上げている。
 景色を満喫してから、下り始める。そろそろお腹が空いてきた。少し急ぎ気味にショートカットコースを歩いて下っていく。何人もの登山者を追い越しながら快調に歩いていく。やはり自転車で鍛えた脚は素人とは違う。常人より脚力があることが旅においては日程で多少は無理することもできれば、余裕を生むこともある。本州では…というよりは登山自体をめったにしない俺には見慣れない木が生えている。あっという間に分岐まで戻ってきた。そこから再び分岐を登っていく。体力的に余裕はあったので弥生杉というのをみれるコースを歩く。ここはコースも木道が整備されていて歩きやすい。もちろん続いている原生林は存分に楽しめる。だいぶ歩いたところで、登山道に立っている大きな鹿がいた。脅かさないようにそっと近づいて写真におさめる。デジカメとケータイの両方で撮る。近づいても逃げない。懐いているわけでもなく、必要以上に恐れるわけでもない。こんな至近距離で野生の鹿がみれると言うことが感動的である。
 そんな鹿の横を通り過ぎたところにあるのが、弥生杉だ。その貫禄ある堂々とした姿は見上げる高さ以上に太さというか壁のように立ちはだかるような感覚だ。推定樹齢は3000年とも言われている、我々では想像も付かない、長いと思う我々の人生ですら、この木の前にしては「一瞬」 この山の主とも思える木に感動。ただ、写真に収めるのは大きすぎて難しい。
 そんな弥生杉を満喫して、登山道を下っていく。下りも整備されていて歩きやすいので助かる。しかしながら、そろそろ太ももや膝に疲れが押し寄せてきた。膝が笑い始めてきた。弥生杉の登山道を下ってしばらく歩くと自転車を置いていた受付脇に戻ってきてトレッキングは終わり。山小屋の前で拾ったハンカチを受付に届けると何と偶然ながら落としたおばさんも来た。お礼にと言うことで飴をいただいて、チャリダーながらここまではバスで来たという人と話をしつつ筋肉をストレッチするが、もはや効果は見受けられない。

白谷雲水峡への上り坂
原生林の谷を見下ろす


銘水・益救雲水
飲みやすく美味しい天然水


白谷雲水峡 最初はこんな岩場から

二代くぐり杉
杉の上に杉の木が生える不思議


2代くぐり杉の中
森と空を木の中から眺める


もののけ姫の森
雨だともう少しムードありそうだが、
天気が良すぎて不思議感が半減…。


弥生杉
急な斜面にしっかり構える
樹齢3000年の巨木

 何とか集中力を取り戻してから下りに挑みたいところだ。できるだけしっかり体を休めて行きたい。上半身に下半身と入念にストレッチをしていく。そして、先ほど登ってきたルートをそのまま宮之浦へと下り始める。10%を超える傾斜があちこちにあるし道も狭いので気をつけて挑みたい。今回から入れてみたトライアル用のブレーキはかけるのを躊躇うほどの音と手に伝わる振動…。確かによく利くが、かけ方をピンポイントにしていかないとダメそうだ。
 あまり攻めまくることもなく安全に下りきって行く。ただ、コーナーはタイトで傾斜も厳しいため左コーナーはインベタ、右コーナーはアウトベタという訳にもいかず、多少はアウトインアウトしながら走っていく。こうやって秋田での事故により失った感覚を少しずつ取り戻していくしかないのかもしれない。
 宮之浦へ下りきってきて遅い昼食だ。物産館の2Fで郷土料理も食べれそうだ。屋久島揚げとトビウオの刺身で飯を頬張る。時間帯も14:30と遅くなったし走りで疲れた体にしみ入る。トビウオは青魚系の味わいかと思うと、臭みはなく脂が乗っている白身のような感覚で美味しい。屋久島揚げも香ばしく魚のうまみが出ていて良い。一周とか縄文杉とか無ければ、そのままビールでも飲んで宮之浦に泊まりたいところだが我慢する。
 売店で黒糖を買って出発する。出る前に明日の夕方以降の行動も少しリサーチしておきたい。ここは意外と遅くまで営業しているし、明日ここに走りきってきたら買い出しに使いたいところだ。

屋久島産 トビウオの刺身


屋久島揚げ

 早速のように厳しいアップダウンでスタートした屋久島一周だが、安房か行ければ尾之間温泉ぐらいまで行きたいところ。今日の頑張りが明日を楽にするか…。しかしながら一周道路は容赦なくアップダウンしており、白谷雲水峡のヒルクライムとトレッキングで使い果たした俺の脚には、さらに踏ん張り直すだけの力は残っていない。さらに日が出ている暑さも来る。GWだが真夏のような感じすらある。今回の屋久島の旅は意外に日程に自由度がなく頑張って走らざるを得ない。島を走るなら一周はしておきたいし、縄文杉にだってたどり着いておきたい。それに白谷雲水峡まで入れたので、かなりタイトな計画である。
 いったん、その厳しさは忘れて海沿いを満喫して走りたいところだが、道の厳しさと自分自身の疲労により楽しみを忘れつつある。そんな走りに苦戦しながら進み、何とか空港の前を通り過ぎて行くが、気がついたら時刻は16:00。まだ尾之間温泉まで30km近くもある。しかも、このアップダウンと脚の売り切れ具合。もはや、あきらめて安房までを目標とするしか無さそうだ。ただ、安房は島では随一の町並みなので、買い物や風呂に不自由することはないだろう。ツーリングマップルを見ると海岸沿いにあると書いてある枕状溶岩というのを見に行くため寄り道をしてみる。しかし、寄り道はとんでもない下り坂が延々と続く。ていうか俺がアップダウンで苦戦していたのは標高何mなんだ!?と思うほど下っていく。深くどこまでも…。後から登り直すことを思うとブルーだ。傾斜は急なのでブレーキを握る手は離せない。後輪の高音ブレーキから手に振動が伝わる。だんだん振幅が大きくなっているような気がする。なるべくフロントとバランスを取りながらかけていく。そして、下りきったところから海へ歩いていく。うっそうとしたガジュマルの森を抜けると険しい溶岩の原が広がり海へと繋がっている光景がある。屋久島の海は険しい山が降り立った地形だ。さすがに洋上アルプスと言われるだけあって山がそのまま海に接している感じが、この風景から見てとれる。
 坂を上り直そうとしたら、ローギアでチェーンがはまらない。さっきまで白谷雲水峡でインナー1速はさんざん使っていたのにどうしたことか。ただ、無理して走ってチェーンが抜けたり入ったりを繰り返すと切れるので、自転車を止めて直す。しかし、ものすごい傾斜なので試走はできない。さらにブレーキもさっきの震動はねじのゆるみであることが発覚。慌てて工具を取り出して増し締めをする。何とか変速もブレーキも直して坂を登っていく。傾斜はかなり急であるが、距離は意外に短く、再び一周道路に戻る。

屋久島産黒砂糖とたんかんジュース
その後の糖分補給源に


枕状溶岩
屋久島が火山島であったことを如実に語る

 もうすっかり夕方だ。安房まで5km程度というところだ。最後まで続くアップダウン地形に苦戦しながら走っていく。そして、キャンプ場への案内看板も出てきたので左折すると、また急な坂を下っていく。この坂を登らなくても買い出しをできることを祈りつつ下っていく。甲高い音を出しながらキャンプ場 兼 民宿の前にたどり着いた。かなりオーナーの趣味の入った庭のようなサイトだ。
 キャンプの受付をしながら情報収集すると、何と安房には温泉などは無いようだ。キャンプ場に併設されているコインシャワーが使えるとのことなので、料金を先払いしてしまう。充電も依頼できるようなので、デジカメの電池の充電を依頼して、テントを張る。海際は場所を取られてしまっているので、少し内陸寄りに張って、荷物を放り込んで買い物に出かける。A-COOPは目と鼻の先にあった。そこで食材を買い込んで行く。意外と屋久島の魚介類などが充実していない。何とか手に入れたのは屋久島産の鯖で作ったなまり節、スタミナを付けたいので肉野菜炒めということで、これも鹿児島県の食材でそろえた。SPDシューズのソールを剛性UPしたら足の裏がやたら痛むのでクッション材を買い込む。ちょうどA-COOPに靴屋も入っていたので、ソールも手に入れた。
 キャンプ場に戻ったら、食材をテントに放り込んで、まずは風呂に入る。コインシャワーと言いつつも、湯船もちゃんとある風呂なので快適だ。窓からは海も見える。湯船にお湯を張って、のんびりと入ったが、腹が減ってきたので出る。
 キャンプ場内にテーブルもいすもあるので、そこで晩飯を料理する。まずは走りとしては実質の初日にして、なかなかの山場を越えたことに乾杯。なまり節と屋久島産地魚の薩摩揚げでビールを飲む。なまり節そのままでも良いが、これが意外とマヨネーズと合う。魚が良いからか薩摩揚げもかなり美味い。そうしている間に御飯を炊いて、肉野菜炒めを作る。結構、ボリュームある夕食になったが、元気が出そうだ。
 食器をきっちり洗って、ゴミをまとめて眠りにつく。

趣味の感じられるキャンプ場


鹿児島産
茄子、玉葱、豚肉の炒め物


屋久島産 鯖のなまり節と
薩摩揚げ



   出発(鹿児島県鹿児島市)から 98.17 km

3日目 安房 → 西部林道 → 永田 → 宮之浦 85.90 km
2008/04/28
 曇りの朝だが、屋久島だと曇りなんていう中途半端な天気だと雨の1,2発食らってしまうんじゃないかと不安にかられながらテントを畳んで準備をする。昨日かっておいたパンとパッションフルーツジュースを飲んで、出発する。
 安房の港から早速のように上り坂そして下り坂、そしてまた上り坂とハードな道が続く。そんな坂道を無数に繰り返しながら島を回り始める。最大の山場と言われている西部林道に達する前からしてこんな調子では先が思いやられる。ただ、昨日のうちに無理して尾之間温泉まで走ろうなどという発想が浮かんで行動に移さなかったのは賢明な判断だったと実感する。しばらくは海が見えない一周道路でひたすらアップダウンに耐えながら走っていく。島の南端へと達すると景色は徐々に変わってきた。右前にはモッチョム岳の岩肌が見え、左には草原の向こうに海が見えてきた。徐々に道が自然の中に入り始めてきているのを実感する。モッチョム岳の脇を流れる川が海に注ぐあたりにある橋の上で景色を眺める。川沿いに海から山に向かって原生林が広がり、海の間際まで川は清流として流れ込む。その川の上流には自然のままの姿を保つモッチョム岳がそびえ立つ。見事しか言いようのない眺めがそこにある。脚を休めながら高所恐怖症に耐えて写真を撮りまくる。
 気分転換も終えたところで、続きの道を走っていく。尾之間温泉はこんなに遠かったのか!と思うほど走らされたところで、コンビニを見つけて休憩する。モッチョム岳を眺めるロケーションに個性的な看板、何故か銘水仕立ての豆腐屋と隣接している。今度こそは白谷雲水峡はカットして一周回る時に買い出しポイントとして立ち寄りたい。そして次回は温泉近くで一泊できるように段取りしたい。コンビニで冷凍ミカンならぬ冷凍たんかんを買って、再び走り出す。
 相変わらず続くアップダウンだが、海の視界が徐々に開けてきて楽しみが出てくる。道沿いには所々でハイビスカスも咲き誇る。南の島という感覚が徐々に出てきたように感じる。尾之間から近いと思っていた海中温泉なども、ものすごいアップダウンの先であり、一周道路から坂を駆け下りた海にある。風呂に入って坂を登ると汗だくになりそうなコースだ。
 海のそびえ立つ山である屋久島だけあって、西部林道に向けてアップダウンの振幅も徐々に大きくなってくる。右は原生林の広がる森と山を眺め、左には海。断崖絶壁になったりきれいな砂浜になったり変化に富んでいて楽しめる。そして、屋久島一周ルートでは最大の山場である西部林道へ突入する寸前にある大川(おおこ)の滝にたどり着く。滝を見る前に西部林道から始まる海まで続く森と美しい海岸線に圧倒される。造形美と海と砂のきれいさ、そこに流れ込むきれいな川。見事な眺めである。
 見事な眺めと道路を挟んで逆側にはわき水が湧いている。西部林道の厳しい坂を登る手前で天然水での水分補給ができる。ペットボトルに水を汲んで、滝に向かう。滝は屋久島最大というだけあって迫力もあり、森から流れ落ちてくる水は澄み切っている。岩が険しくて写真を撮るために場所を選ぶのが結構大変だ。特に滝の全体像をきっちりとらえるためには広角なカメラが欲しくなる。38mmではきついものがある。滝のそばには野生の猿が戯れている。滝の手前の峠でも多く見かけたし、おそらくこれから林道に向けても多く見かけるものであろう。ワゴン車でパッションフルーツジュースを売りに来ているので、それを飲んで店のおじさんと雑談していく。

モッチョム岳を望む橋の上


モッチョム岳から続く川


清流のまま海へと流れ込む川


屋久島に咲くハイビスカスの花


大川の滝の海岸


大川(おおこ)の滝


パッションフルーツジュース

 早速、長い坂が始まる。300m近い高低差があるのでじっくり登っていく。登れば登るほど道は原生林の中へと入っていく。山から海に向かって手つかずの森が続いていく。自然の広葉樹林は新緑で澄み切った感じがある。そして、その木々には猿が住み着いている。時折、道路に出てくる群れもある。荷物の外に食べ物をぶら下げて走ったら飛びついて来そうな感じだ。サイドバッグの中に収めておいて正解である。なるべく猿と距離を取りながら進んでいくが、時々 追いかけてくる個体もある。上り坂を必死で逃げ切る。猿と鹿が山の中にいっぱい居るのだ。そんなエコツアーみたいな走りを独りで楽しみながら、徐々に登っていく。だいぶ海を見下ろせる高さまで来ても、アップダウンしながら徐々に標高は上がっていく。これが結構な体力の消耗を招く。地図を見ても区間距離は大まかにしか無く、山奥なのでランドマークなど目印は一切無い。どのぐらいの進捗なのかも分からず、ただひたすらに登り続けるしかないようだ。傾斜自体は驚くほど急なわけでもないが、とにかくしつこく長く続く。道も林道と言うだけのことはあって幅が1.5車線分しかなく車同士のすれ違いも難しいほどである。木が生い茂って薄暗い道をクネクネと進んでいく。
 ただ、思っているほどペースはよろしくないのか、昼過ぎになっても永田岬にはたどり着けず、何となく体が燃料切れという感覚もあるので、山奥のちょっとした路肩で自転車を止めて周りに猿が居ないことを確認して昼食にする。昼食と言ってもパンと黒糖と冷凍たんかんしかない。糖分を取って腹を満たす程度のものだ。座り込んで脚を休めて食事をする。量も少なくあっという間に食べ終わってしまう。屋久島産の黒糖のコクと香りのある甘みがありがたい。オレンジをぐっと濃くしたようなたんかんの甘酸っぱさもいい。屋久島の恵みでエネルギーを補給して、また走り出す。
 多少は体に元気が戻ってきた。峠らしきところを越えると、道は一気に下り始めた。狭いので対向車に気をつけながら、ゆっくりと下っていく。山の猿たちを驚かせてしまうほどのブレーキ音を響かせながら進む。制動力重視ではあるものの、この音もどうかと自分でも思ってしまう。
 下りの途中で屋久島灯台のある永田岬へと曲がる分岐があるので寄り道をしてみる。脇にそれる道と言うこともあり傾斜は容赦なく壁のような坂を下って岬へたどり着く。海に突き出た岬からはさっき走ってきた原生林と断崖の続く海岸線と広がる海が楽しめる。屋久島でこんな開放感のある眺めは初めて見たような気がする。
 そして地獄のような上り坂を登って一周道路に復帰する。今度は永田へ向けて一気に下っていく。スローイン・ファーストアウトを基本に慎重なダウンヒルで永田の街へとたどり着く。とはいえ、民家が数軒ある程度の小さな街である。この辺は海がきれいな砂浜である。さっきまでの断崖絶壁の原生林とは雰囲気が違う。砂浜に打ち寄せる波は澄み切っている。
 そしてまた厳しいアップダウンが始まる。この島を一周するルートには最後まで平らな場所など存在しないようだ。平地など期待していなかったが、全くの予想通りの展開に少しがっくり来ながら、また走り出す。ただ西部林道に入る手前や林道よりはアップダウンの振幅は小さくなってきた。とは言え、もう70km以上も坂道に耐えてきた脚だし、昨日の疲労も残っている。そろそろ限界に近い状態になってきた。天気も良くないので少し薄暗い感じの道でテンションも上がらない。時々、坂の上から振り返る景色を楽しみながら、脚の疲労に耐える。
 宮之浦まであと一山で10km弱というところで、ガジュマル園を見に行くべく寄り道をする。疲れていてもこういうのは大事にしたいところである。少し雑然とした感じの港の前にうっそうとして木が生い茂る公園がある。入場料を払って森の中へ入っていく。ツルのような複雑な幹が絡み合う南国らしい木がいっぱい生えている。当然ながら木の表面は複雑怪奇な形をしていて、絡み合いながら伸びていく感じである。ヤブ蚊を追い払いながら散策していく。
 ガジュマル園を出て最後の一山を越えていく。ちょっとずつ脚に元気が戻ってきた。不思議と俺の脚は疲れの限界を超えたところで元気を取り戻すのだ。そしてきつくも楽しい屋久島一周を走りきって宮之浦に帰ってきた。まずは港に立ち寄って情報収集をしようと思ったが、観光案内所は閉まっている。
 宮之浦の街で夕飯の食材を買い込む。屋久島名物の首折れ鯖で刺身でも食べれるほど新鮮なものが1本900円で売られている。頑張って裁いて喰う決意をして買い込む。汁物を作るべく、トビウオなど魚をすりつぶして冷凍したすり身を買っていく。そして、キャンプ場へと向かっていく。これも坂を越えていく。便利なことにキャンプ場の前には弁当屋もスーパーもある。縄文杉へ行くためのバス停も近い。この弁当屋というのは、縄文杉登山者のために早朝から営業しているのだ。様子を見に行くと衝撃の一言が「閉店」「要予約」ということで、予約もしそびれて店も閉まっているので、明日の昼飯と朝飯は買っておかねばならない。キャンプ場の前にあるスーパーで時間保ちしそうな弁当を2つ買い込んでキャンプ場へ向かう。

西部林道の上り坂


海まで続く原生林と断崖


屋久島名産たんかん (冷凍)


屋久島灯台 (永田岬)


永田岬からの眺め


志戸子のガジュマル公園

 海楽園と呼ばれている宮之浦で唯一のキャンプ場だ。受付を兼ねて民宿が併設されていてコインランドリーもコインシャワーもある。雨が降ったときなどのために屋根とドアも付いてる非難小屋と炊事場を兼ねたスペースもある。5kmほど走って坂を登ると温泉もあるようだが、すっかり暗くなってきたし面倒でもあるので、ここで済ませる。民宿で受付を済ませて、テントを張る。コインシャワーで入浴も済ませて、軽く明日の準備をしてから夕飯を作る。御飯を炊きながら鯖を3枚に降ろす。小さな包丁ではやりづらいが何とかきれいにおろせる。内陸に住んでる俺にしては上出来だ。御飯が炊きあがったら、すり身の味噌汁を作る。自分でおろした首折れ鯖とビールで乾杯だ。醤油とレモン汁でポン酢を作ってそれで食べてみる。脂が乗っていて臭みもなく本当に美味い。地元で採れた鯖だからこそできる芸当だろう。美味さに感動しながら食っていると、味噌汁のお湯が沸いてきた。そこにすり身をスプーンで丸めて入れていく。煮えれば煮えるほどすり身の団子が大きくなってきた。これは煮えて縮むものだと思っていたので、鍋いっぱいになってしまった。しかも、すり身自体にミリンで味が付いていて味噌と決定的に合わない…。どうも、薩摩揚げのように揚げて食べるのが前提のようだ。つみれ汁のような展開を想像していたが期待はずれだ…。
 鯖の頭や骨のようななまものをゴミ箱に捨てるのも難なので、満潮で流されてくれそうな海に帰して食器を洗って晩餐は終了。明日はかなり早いので早々に眠りについた。

屋久島名産 首折れ鯖


首折れ鯖の刺身


屋久島名産 魚すりみ

増えてきた すりみの味噌汁


   出発(鹿児島県鹿児島市)から 184.07 km

4日目 宮之浦 → 荒川登山口・荒川登山口 → 宮之浦
2008/04/29 荒川登山口 → 縄文杉 → 荒川登山口
 寝た気がしないほど短い睡眠で目覚める。ケータイの目覚まし時計を止めてスヌーズも止めて着替えて出発する。昨夜のうちから荷物はまとめておいたので楽に出られる。というより、楽に出られすぎてバスまで1時間半も暇である。とは言っても寝てしまったら、起きる自信はない。そのまま起きたままでバス停に向かっていく。キャンプ場から出てすぐのところにバス停があるので、これもまた暇になる要因が増える。そして、まだ真っ暗なバス停でバスを待ち続ける。時々、予約制であることを知らずに島むすびに弁当を買いに来る車を見ながら待つ。
 まだ夜も明けきらない5:30 バスは来た。特に満員というわけでもなく座れたので、眠りにつく。動いてる乗り物の中では眠れない俺なので、結局 ほとんど眠れないまま、安房まで来てしまう。途中のバス停沿いにある弁当屋などで予約済みの弁当を受け取る時間まで与えられる 何ともゆとりのあるバスだ。安房からは大量に人も乗り込んできて、満席となった。
 安房からは本格的なヒルクライムへと入っていく。原生林と海を見下ろす眺めもよく、ちょっと自転車で登りたくなる道ではあるが、ヒルクライム+登山というのは、かなり大変そうだ。テントを持って一泊してこれるぐらいのスキルと経験が要りそうだ。登れば登るほど道は狭まっていく。バスの運転手のドラテクに驚きながらバスは進んでいく。
 そして荒川登山口に到着。すでにガイド登山の登山客でごった返している。登山口で登山届けを記入して箱に投函する。やっとお腹も空いてきたので朝食に買っておいたいなり寿司を食い、ストレッチをする。多くの登山客の流れに乗りながら登山口を歩き出した。最初はトロッコの線路の上をひたすら歩くようで、枕木の上をテンポ良く進んでいく。
 線路沿いの道でも樹齢の進んでそうな杉や古いトロッコが転がっていたりで、早くも屋久島の自然が俺を迎えてくれる。ただ、俺のペースに比べてガイドツアーの歩くペースが遅く追い越すことができない。お迎えが来るガイドツアーの人たちと違って自前で来てるので帰る時間も決まっているので、スピードを稼げるところは稼いでおきたいのだ。
 欄干もない鉄橋の上を歩いたりで、刺激的で変化も多いトロッコ道を歩いていく。人里離れた山奥に学校跡もあり、屋久島の自然だけでなく歴史のようなものも感じる。昔は山奥に住んで杉の木を切り出したりしていたという形跡であるが、今は全くの手つかずの自然となっている。遅くて追い越せないガイドツアーの後ろを少しいらつきながら歩いていく。何というかガイドツアーのガイドも後ろに人が詰まっていれば道を譲るぐらいの配慮は欲しいのだが、全くそんな様子もなく延々と歩いて行く。
 2時間半ほどトロッコ道を歩き終えると、本格的な登山道が始まる。いきなり傾斜も厳しくなり道も険しい。とは言え、MTBで山の中を押して歩いたときには、もっとどぎついのも体験しているので、楽だ。晴れているし地面も乾いていて滑らないので歩きやすい。ただ、傾斜がある分だけ脚力的に疲れが溜まっている分、他の人をブイブイ言わせて追い越してきたトロッコ道とは趣が違う。急ぎたくは無いのだがペース配分が読めないので気持ち的に少し焦るのだ。このあたりから原生林は自然があふれたものになり、うっそうとした森の様相を呈してくる。流れる沢に苔生した地面、貫禄ある杉などの木々たち。足を止めて前の登山者を視界から消すと、そこは静かな自然の森。時々、そうやりながら自然を楽しみつつ登っていく。
 翁杉と呼ばれているお爺さんのような貫禄をもった杉にたどり着く。この手の屋久杉(樹齢1000年以上)はどれを見てもアンバランスな生え方でも年輪で太くなった根をしっかりと張り、生き延びている姿に感動する。
 そして、翁杉から歩いて行くと、ウィルソン株にたどり着いた。切り株の前はちょっとした広さがあり登山客でごった返している。腰掛けて糖分と水分を補給しつつ、地図を見る。もうすでに地図上では、この登山も後半に位置づけられる。持ってきたガイドブックを開いて、自分のペース配分を振り返ってみると意外と上々である。ガイドブックのペースよりトータルで45分ほど前倒しが出来ており、帰りのバスまで1時間半程度の余裕度を稼いだことになる。少し安心感が出てきた。やはり山歩きの経験がない分だけ不安はあったが、何とかなりそうだ。安心したところで、ウィルソン株と呼ばれている切り株の中へと入ってみる。このルートで唯一切り株の中に入るのを許されている切り株のようだ。切り株の大きさと杉の太さもさることながら切られたのが豊臣秀吉の時代というのも驚きだ。中から上を見上げると、ハート型の穴に空と森が映る幻想的な風景が楽しめる。少し苦労しながら写真に収めて、感動を焼き付けていく。
 登山のペース上、追い越しつつ追い越されつつな人とは少しずつ仲良くなりながら続きのルートを上っていく。このあたりからは傾斜が一気に厳しくなる。他の人とは違い自転車で筋肉疲労をためているハンディが一気に効き始める。へとへとになりながら、一歩一歩 俺の重い体を上へと押し上げていく。休みながらでも登っていく。
 しかし、そんな厳しい区間は短かった。ひたすら木道で出来た階段を上ったり下ったりしながら少しずつ標高を稼ぐ感じのルートが続く。そうなってくるとペースが上がってきて、またガイドツアーを追い越しつつの歩きが続いていく。追い越してちぎって視界を広げて無人の自然を楽しむ…。そんな歩き方をしていく。崖から下界の視界も開けはじめて来た。標高もだいぶ稼いだようだ。そして向かいの山に宮之浦岳の山頂が見える。いつかはあの山頂に行ってみたい。キャンプ装備を持って山を縦走できるようになりたいと思い始めてきた。本格的な登山家… まあ中高年登山の少し若いバージョンでも良いのだが、登山というのも面白い。
 屋久島の木々というのは木と木が繋がったり、木の上に木が生えて根が融合したり、そういう不思議な生育形態をもつようだ。(←専門知識が無いので正しいことを言っている自信はない) 栃木など他の山では見たことのない光景である。その極めつけのような杉が夫婦杉である。開けた視界に絆を見せつけるように二本の杉が立ち、枝と枝が繋がっているのだ。物の考え方が理系的?ではあるが、この無数の木が生えては枯れて倒れて朽ちて行く厳しい自然の中で、偶然に隣り合わせた数百年や千年もの樹齢を持つ木同士で枝が繋がり合う確率というのはどれだけのモノだろうと考えてしまう。開放感ある景色と不思議な木、その姿を記憶に焼き付けていく。

登山口に到着したバス


トロッコ道の様子
混んでる。鉄橋の上も渡る。


人里離れた山奥の学校跡


翁杉
ツルや小さな枝が多く、
まさにお爺さんという様相


ウィルソン株


ウィルソン株の中から見上げる空
ハートの中に空と森が映る


大王杉
貫禄ある姿は正に大王


夫婦杉
寄り添って手を繋ぐ姿が神秘的

 もう縄文杉までの道もわずかだろう。万感の思いを込めて歩いて行く。本格的な登山、そこに独りで挑んでみた俺、自転車であるルートを完走する寸前と同じようなゴール前のわくわく感を感じる。だんだん木の本数が減ってきたのは山頂が近く標高が上がったからか、展望が良くなってくる。相変わらず続く木道を歩き続けていく。そして、目の前には階段が見えてきた。ガイドブックなどで知っているが、この階段を上りきれば縄文杉に会える。先にネタバレしないように下を向いて階段を上っていく。上は前の人のケツに追突しない程度にしか見ない。そして階段を上りきって、上を見上げる。
 そこに居たのは、少し広くなった場所にそびえ立つ一本の大きな杉だ。その姿は貫禄に力強さに優しさも感じる。木の表面に時間を感じる。推定7200年とも言われる時間、厳しい自然に耐えながら守られながら、そこに立って我々を見つめ続けてきたのだろう。そんなものを感じる。ものすごく長い道のりを歩いてきて出会う木なので感動は大きい。人でごった返しているが、何とか見ていく。登り切った喜びを共有しながら互いに写真を撮り合う。木がしっかりフレームに収まるように寝転がるようなローアングルから見上げて撮ってあげたりする。そんな大きな縄文杉の前で木を満喫して行く。そんな俺たちの時間は、この縄文杉から見たらほんの一瞬に過ぎないだろう。
 縄文杉の少し奥の方へ歩いて高塚小屋でトイレに向かう。不思議な雰囲気の森を歩いて行き、山小屋でトイレを済ませて、昼食にする。買ってきた弁当とたんかん、ソーセージと食は充実している。空腹と景色は最高の調味料とばかり食事を満喫し、脚の筋肉を伸ばす。登りの疲労分を取り除いていく。
 同じところで飯を食っていた登山者に挨拶して、トイレに行って出発する。すると、ちょうど同じ方向に下ろうとしている一人旅の人に話しかけられて、そのまま一緒に下ることに。服装は普通にジーンズと靴。ザックも登山用の設計でもない。天気が良いのと、あまり難しく考えず、山に乗り込んできたようだ。

縄文杉へ上がる最後の階段


屋久島の主・縄文杉

 色々と会話を交わしながら、調子よく下っていく。登り以上にガイドツアーを追い越していく。人の後ろでタラタラと下りたいのだが、道を譲ってくれてしまう。
 ウィルソン株からきつい登りを越えた覚えがあったが、下りも激しい。落ちないように踏ん張りながら耐える脚が膝の笑いを生む。そんなに長くは無いが、転びそうになるほどの急な下り。雨がほとんどと言われる屋久島でコンディションが良かったのが救いかもしれない。これで雨で濡れていたりしたら転ばずに下る自信はない。
 膝は爆笑しているが、色々と話をしながら下っていくと、あっという間にウィルソン株まで下ってきた。脚の疲れが出ているので、じっくり休んでいく。ここで無理をしてケガでもしたら何の意味もない。ウィルソン株を出ると多少は傾斜もゆるくなってきた。

高塚小屋のあたりの森

 そして、トロッコ道へと戻る。ここからは楽勝…と最初は思っていた。しかし、疲れた足と判断力が低下している神経はトロッコの枕木を正確に踏めない。そして枕木の隙間に足がはまって転びそうになる。時に線路に沿って歩けず線路にも躓いてしまう。そして最も怖いのは橋だ。ここで踏み外せば川に落ちる。注意力の低下している俺にはきつい。時々、何度か転びそうになりながらも橋だけは転けて川に落ちることはないように進む。そして長い長いトロッコ道もいよいよ終盤。まだまだ登山者を追い越す元気はあるまま、小学校跡まで来た。ようやく残りの道のりも見えてきて、時間も2時間半近く残っている。
 最後の力というか集中力を振り絞って進んでいく。そしてようやく終わりが見えてくる。1時間半ほど残して登山口へ戻ってきた。何となく登りと合わせて戻ってこれた達成感が湧いてくる。一緒に下ってきた相方はヒッチハイクで安房へと戻っていった。(というよりはトイレに行ってる間にはぐれた) 登山口で脚を休めてのんびり過ごしていると、フェリーで一緒だった旅人も戻ってきた。また色々と話をしながらバスを待つ。1日1往復のバスは早朝に登山口に我々を届けて、17:00まで登山口には来ないのだ。
 バスに乗って、峠道を下っていく。次はヤクスギランドのルートを自転車もプラスしてトライしてみたい。絶景の原生林の谷を眺めながらバスは下り、安房へとたどり着いた。多くの旅人はここで降りる。一期一会の時を楽しんだ旅人たちは別れて新たな旅へと向かっていく。
 俺もバスを降りて、また新たな旅へと向かう一人。バス停の前にあるスーパーで夕食を買っていると、何となく体に不調を感じてきた。美味しいものを食べれば元気になるかと思って、地魚の切り身を3種類買っていく。白身系の魚を2種類、赤身系の魚を1種類見つけた。白身はコメジロとエバ、赤身はツンブリ。どれも聞いたことのない名前だ。どんな味がするんだろう。白身を一つは鯛茶漬けのように漬けにして、御飯と一緒にいただく。もう一つは純粋に刺身として食いたい。赤身は刺身だ。
 キャンプ場に戻ってシャワーを浴びる。すると、ますます体調は悪化してきた。悪寒とだるさが出てきた。鼻水も止まらなくなってきた。だが、意地で料理する。米を炊きながら、魚をさばく。まずはコメジロを一口大に切ってコッフェルの中で醤油と芋焼酎と和える。普通は日本酒と醤油で和えるのだが、焼酎だとどうなるか… これは味のチャレンジである。しばらく漬けにしてゴマを振って待つ。味がしみて出汁が出るまで待つ。20分〜30分ぐらいで味が融合しはじめる。あまりつけ込み過ぎるよりは、こっちの方が好きだ。御飯が炊きあがったころ、脂が乗っていてトロみたいな見た目のツンブリもエバも裁き終わった。醤油とわさびで刺身として頂きながら、ビールを飲む。アルコールで風邪なんて吹き飛ばしたい。魚の歯ごたえも味もしっかりしていて最高の刺身だ。やはり島の地魚は味わいが違う。ツンブリも何系の魚か最後まで分からないが、マグロよりは柔らかく、皮のあたりは鯛のような食感で不思議な感じである。そして御飯の蒸らしもOK、茶漬けの漬かり具合も絶妙なタイミングで御飯にぶっかけてゴマと海苔を振る。これが泣けるほど美味い。やはり魚の味が力強いと漬けにしても醤油と酒に負けずに味を主張する。そして魚の身から出た味は汁を豊かにする。
 感激の夕食が終わると、ますます体調が悪くなってきた。何とか食器を洗い、眠りにつく。こりゃ明日はやばいかもしれんな。


屋久島の地魚刺身 三点盛り
左上はツンブリ、右上はエバ
真ん中下はコメジロ


コメジロの身を醤油と芋焼酎に漬ける


そして御飯へぶっかけて
屋久島産コメジロ茶漬け


   出発(鹿児島県鹿児島市)から 184.07 km


5日目 宮之浦 連泊 0 km
2008/04/30
 予想通りに体調は最悪で朝を迎えた。全身を襲う倦怠感、寒くないのに感じる悪寒、ずんずん響く頭痛、のどの痛み、止めどなくあふれる鼻水、止まらない咳…。体温計は無いがガッツリと風邪である。さすがに俺でも分かる。ツーリング中に、こんなにヘビーな風邪は史上初である。種子島に渡る予定は諦めて、このキャンプ場に連泊だ。天気は最高に良いのにどこにも行けない歯がゆさが泣ける。明日以降の計画は再検討が必要そうだ。
 テントで眠ると日差しで蒸される。テントの外の木陰の平らな石の上で寝ると風で寒い。風も出てきたしテントで寝てみるかとテントに戻ると風は止まって日差しが出てくる。すると蒸される。そんなことを繰り返しながら体を休めて行く。

鹿児島郷土料理 あくまき

 昼に少しだけ食欲が出てきた…というか腹が減ったので買っておいた あくまき を剥いて切って食う。砂糖醤油で食うと不思議なモチモチ感と灰汁の風味が面白い。3年前に志布志から鹿児島まで走ったときに休憩した家屋のおじさんからもらった味そのものだ。灰の持ってそうな殺菌作用もあり、元気になれればいいのだが。
 昼下がりからは木陰にシュラフを持って行って眠り、体を休める。何とか落ち着いて寝れた。相変わらず頭痛はあるが、体のだるさは少し治ってきた。そして食欲も戻ってきて夕飯時には空腹感も出てきた。何とか回復へと持ち込みたい。CCレモンなどビタミンC強制摂取のドリンクに、胃に負担がない弁当を買ってテントの前で食う。
 明日の体調回復を願いながら、少し早い眠りにつく。


   出発(鹿児島県鹿児島市)から 184.07 km

6日目 屋久島・宮之浦 −フェリー太陽→ 種子島・島間
2008/05/01 島間 → 門倉岬 → 宇宙技術センター → 西之表 84.14 km
 体調は大幅に回復して朝を迎えた。多少なら走る元気はある。縄文杉で作ってきた筋肉痛ぐらいだ。しかし、テントを打つ大粒の雨。屋久島は1ヶ月に35日 雨が降ると言われているのも納得の大雨。連泊したい気持ちは山々だが、心を鬼にしてテントを畳む。荷物を整理してテントを出てぬれまくりながらテントを片付ける。水をばたばたと飛ばしては袋へ詰め込む。雨が落ちてこない軒先を使ってパッキングしてキャンプ場を後にする。
 欠航かもしれないが港へ行ってみる。種子島へ渡るフェリー太陽は就航するようだ。チケットを買って手続きをしてから、土産を買いに行く。鹿児島で買っても良いのだが、せっかくなので屋久島ならではのものを手に入れたい。もう3回目の訪問になる土産屋へ行き、使い果たした黒糖と屋久島名産の芋焼酎・三岳とたんかん系のお菓子を買う。
 そして、今年の屋久島ではやり残した事はない!!という万感の思いを持ってフェリーへ乗り込む。キャンプ場から港までの短い距離ながら服もグローブもずぶ濡れだ。水をはじき飛ばして絞って船室内で干して種子島へ向かう。雨で離れていく屋久島を寂しく見送りながら、船は波を切り裂いていく。港を出ると船は揺れまくる。土砂降りの雨で外海を渡っていく小さなフェリーは波をもろに受ける。時間は短いものの、酔いそうだ。
 そして、揺れが収まりはじめたら目の前に種子島が見えてきた。
 種子島に着岸し上陸すると雨は止んでいる。この天気で何とかもってくれればという願いを込めて走り出す。まずは最南端になる門倉岬へと向かう。どこまで回り方を短縮するかの検討であるが、まずは島間から西之表へ向かう方向とは逆へ行く。しかしながら、病み上がりでキレもない俺の体には厳しいアップダウンが続く。全く脚が動かない自分に苛立ちながら進んでいく。海の向こうに屋久島が見えるが、宮之浦岳には雲がかかっている。これで晴れていて山頂まで見えると、まさに洋上アルプスという感じなのだろう。
 進めども進めども体のキレは戻ることもないが、何とか門倉岬にたどり着く。鉄砲伝来の地であり、広がる海と弓なりの海岸線の眺めを満喫できる。右を見ると屋久島も見える。空の色がイマイチだが良い景色だ。しかし、そんな景色を満喫する俺を奈落の底に落とすべく土砂降りの雨が降ってきた。降り始めがスコールのようだ。やはり、ここは南の島だ。
 岬から坂を下って、今度は宇宙科学センターへと向かう。ロケットの打ち上げ基地に博物館があるようだ。ここもアップダウンは厳しい。そして俺の体調も厳しい。そろそろ、昼食にしたいと思っていたのだが、食えそうな感じの店は無い。赤米の里などという博物館もあるのに、食事する場所はない。何とか宇宙センターへ曲がる交差点に弁当屋を見つけた。そして店も開店している。ここで弁当を買って軒先で食べようとしたら、雨脚が強くなってきた。店の中で食わせてもらいながら、雨をしのいでいる。するとサーファーの集団も来た。日焼けしていると言うこと以外は真逆の人たちに思えたが、意外と意気投合した。
 そして、土砂降りの雨の中を心を鬼にして体に鞭を打ちながら宇宙科学センターへと向かう。不思議な砂岩の海岸を見ながら進み、そんな自然の中に違和感すら感じるほど科学的な施設が建ち並ぶ。そして宇宙科学センターへ入り、見学していく。ロケットの打ち上げや宇宙科学、実寸大の人工衛星など充実の展示内容だ。しかも、これで無料。天気さえ良ければ最高なのだが…。

種子島・門倉岬
この海岸に難破した船から鉄砲伝来


宇宙科学技術館の人工衛星

 地図を見る限りは宇宙科学センターの構内道路を北へ抜けることもできそうだが、雨の中で道に迷うのもイヤだし体調もイマイチなので、来た道を戻っていく。いくつかのルートが考えられるが、今の俺の財布には金がない。何とか夕方には西之表に戻って貨物フェリーに乗り込んで鹿児島に戻ってしまいたい。調べた限りでは西之表には銭湯も温泉も日帰り入浴のホテルや旅館もないのだ。早い時間にたどり着いて、金もゲットして船に乗るというのが目標である。まずは南種子町へ向かう。イヤになるほどしつこく長い上り坂を登っていく。何かのガイドブックに種子島は平らな島と書いてあったが、どうみても嘘だ。土砂降りの雨だし、体のキレもないし、坂はきついし、いらだちは隠せない。
 何とか南種子町にたどり着いて、コンビニで道を聞いて銀行へ行く。何とか銀行で金はおろせた。フェリーに乗る金ぐらいはありそうだ。雨で宿に泊まるにしてもフェリーで島外逃亡するにも金は必要。まず第一歩は進めた。
 そして島内を縦に貫く国道を走っていく。西之表まで40km近くあるが、すでに14:30。相も変わらず激しいアップダウンに体調の悪い俺は苛められ続ける。雨は全く収まる気配もなく土砂降りだ。楽しみなんて何もないが、俺の意地を示すために走る。今までのツーリングを振り返ると、俺という男は決して強くはないし、速くもない。ただ、自転車での旅を愛し、体力のなさや襲いかかる困難を気力ではね除けてフォローしてここまで来た。今回も同じように耐えるだけの走りだが、西之表まで行かないことには次に行けない。久々に「完走」という目標だけを純粋に求めて行く一日になりつつある。へこみや苛立ちなど忘れながらペダルを回していく。下りでは滑る路面やスプラッシュで自分の姿を見失う車に気をつけながら進む。だんだん体の調子も上がってきた。体の疲れは隠せないが、土砂降りの雨で暗い島の道を進む。そして久々に海沿いへ出る。地図を見る限りでは海沿いは平らな感じである。西之表への残距離表示も徐々に減っていく。19:00発の貨物フェリーにもギリギリ間に合いそうなタイミングになってきた。
 最後の最後に糖分を補給して10kmを走る。雨も厳しくアップダウンも最後に一踏ん張りある。しかし、脚は動く。すっかり暗くなった道の先には西之表の町が見えてきた。そして西之表の港に着いた。フェリー受付を探しながら本能と勘で走っていく。何とか受付を見つけて駆け込んでみるが、自転車は貨物ではないからNGという返答。つまらん。乗せるだけで数千円の利益が出るのに、杓子定規に断るだけ。
 仕方なく宿を探す。値段とか質とか選ぶ気もない。見つけたホテルに飛び込んでみる。難なく宿を確保した。部屋に入ったらウェストバッグの中身を引っ張り出す。ゴアテックスの防水袋は水に耐えられず、中に水が染み始めている。慌ててカメラと財布を出して中身を乾かす。カメラは防水なので安心だ。ウェストバッグを干して、風呂に入る。風呂でスッキリしたところで、何となく島旅の打ち上げがしたくなり、ホテル内の居酒屋へ行く。島の幸と芋焼酎で乾杯しながらお一人様を満喫する。キビナゴ、トビウオ、芋焼酎が最高である。厳しい一日ではあったが頑張って走り抜いた自分のサイクルツーリスト魂に喜びを噛みしめる。
 今日も風邪薬を飲むこともなく眠りについた。


   出発(鹿児島県鹿児島市)から 268.21 km

7日目 種子島・西之表 −フェリーはいびすかす→ 鹿児島・谷山港
2008/05/02 鹿児島市内 32.38 km
 体調悪を引きずることもなく、風邪がぶり返すこともなく目覚めた。窓の外は曇りではあるが雨は止んでいるし路面も乾いている。ホテルを後にして、市内で朝飯を食いつつ、今日の行動を考える。フェリーは14:00発と中途半端な時間帯しかない。種子島鉄砲伝来館と銘打った博物館へと行ってみる。鉄砲伝来の歴史や種子島の豊かな自然についての展示がある。種子島自体が砂鉄が多く刀鍛冶が盛んな土地だったので鉄砲もスムーズに伝来したという歴史もある。子供の頃から、こんな離れ小島が何で鉄砲伝来の地なのか不思議だったが謎が解けた。
 市内へと下り、港の土産屋でも物色しながらフェリーを待とうかと思っていたが、見覚えのあるピンク色のフェリーが着岸している。そう、俺が屋久島に渡るのに使ったフェリーはいびすかすである。試しに行ってみる。マイナー航路だけあって道案内や看板など一切無い。船のそばに受付所がある。係員にダメ元で今からでも乗れます?と聞いてみると、快く手続きしてくれる。そこが昨夜の貨物船とは違う懐の深さだ。乗船手続きを済ませて乗り込む。
 そしてフェリーは出港した。今まで溜まった日記を船室で書く。集団の中に俺一人だけとなった船室は気まずいが空気の読めない俺には関係ない。外海に出ると船の揺れはハンパじゃなくなってきた。揺れに対して直角じゃないと寝転がっても居られないほどの揺れだ。デッキにでも出たら海に投げ出されそうな感じすらする。白波立つ海をフェリーは進んでいく。その中で溜まった日記を書き込んでいく。揺れに合わせて体とノートを揺らすが手元は乱れる。
 そして、右に佐多岬、左に開聞岳を見ながら錦江湾へ入り込むと揺れは収まった。谷山港に入るまで何とか日記を書き続ける。何とか2日遅れ分ぐらいまで追い上げた。そして、今日はよく見えている桜島を見ながら谷山港へと着岸していく。
 昼飯を買い忘れたまま乗ったフェリーはひもじく、谷山港に上陸しフェリーとの別れを名残惜しんで、乗船前に買い出ししたショッピングセンターへ行く。ここで遅い昼飯で腹を満たして、鹿児島市内へと向かう。今日は桜島を回るのは諦めよう そんな時間帯である。ひたすら不足分の補給に走る。3.5Vの電池を充電できそうな電池式携帯電話の充電器を探す。これは見つからず断念。
 そして鹿児島港へとたどり着いた。奄美大島や沖縄へ向かう航路に思いを馳せながらフェリーターミナル巡りをしてみる。次回は絶対に奄美大島と沖縄へ行き、沖縄で全都道府県制覇の記念すべき上陸を果たしたい。フェリーのゲートブリッジを渾身のガッツポーズで走り抜けて沖縄の地へ上陸したい。そんな思いを胸に港を巡る、ささやかな旅人の幸せを噛みしめる。
 錦江湾の向こうにはクッキリと険しい山肌を顕わにする桜島がそびえ立つ。昨日の雨で洗い流された空に映える見事な姿だ。しばらく海越しに眺めて、城山展望台へと立ち寄ってみる。そんなに激しく坂を登る気は無かったのだが、急な坂が俺に襲いかかる。坂の途中には西郷隆盛が身を潜めた洞窟などの史跡もある。公園にたどり着くと鹿児島の街並みと桜島を見下ろせる見事な展望台がある。地元の黒猫は俺に懐いてしまい、景色と猫を楽しむ。何となく島と鹿児島の眺めに、また夏まで頑張れる活力を得たような気持ちになれた。
 転がってしまうかと思うほどの激坂を市内へと下る。鹿児島中央駅近辺でホテルを探してみる。前に鹿児島に来たときはキャンプできそうな公園など見つからなかった。温泉付きのホテルを見つけて、ギリギリにもGW直前で空室もあって宿を確保した。コインランドリーも近くにあるし、昨日の種子島で濡れまくった衣類を洗濯して乾燥できそうだ。洗濯物が貯まっているわけでもないが、流れをスッキリと断ち切って、霧島へ臨みたいのだ。
 風呂に入って汗を洗い流してから、コインランドリーへ行く。コインランドリーで洗濯しながら、鹿児島中央駅近辺で夕飯を食うところを探す。ちょっと晩酌という感じのコンセプトのよさげな店を何軒かチェックして、コインランドリーへ戻る。洗濯機から乾燥機へ衣類を移して、再び待つ。その間に、日記を書いて追い上げる。そうこうしているうちに、飲み気は薄れてきた。ホテルの斜め向かいにあるトンカツ屋へ行って夕食にする。女子大生で紅一点の店員に萌えながら黒豚のトンカツと角煮を満喫。そして、ついうっかりビールを飲んでしまう。また風邪薬を飲めない状況に追い込んでしまった。
 ホテルに戻り、明日からの走りと、また来る鹿児島 そして次の島旅へと思いを馳せながら眠りについた。

鹿児島・城山展望台からの眺め


黒豚のトンカツ (2回目)


黒豚の角煮



   出発(鹿児島県鹿児島市)から 300.59 km

8日目 鹿児島 −桜島フェリー→ 桜島
2008/05/03 鹿児島 → 桜島 → 国分 → 霧島温泉 82.27 km
 今日も天気は上々だ。でも、明後日あたりは崩れるという予報がある。最終日は雨か? そんな不安を胸に出発する前に、サドルを少し上げるためにネジをゆるめて、高さを2mm上げてネジを締める。締めてもいつものトルクで締まりきった感がないので力を入れると甲高い音とともに何かが折れた。シートポスト締め付け用のネジが折れたようだ。さすがに、こんな部品は予備などない。長いネジとナットがあれば挟み込んで締めれるのだが…と思いながら荷物の中でネジを探すが、見つからない。
 仕方なく自転車を押しながら鹿児島中央駅近辺で街の自転車屋を探してみる。ちょうどシャッターを開けたところの老人が経営する自転車屋を見つけた。決してスポーツサイクルなどを扱うような店ではないが、長いネジとナットぐらいはあるだろう。少し世間話をしながらネジを締めてもらい事なきを得た。ただ、俺がもってない工具サイズのナットなので調整はできない。
 鹿児島市内を駆け抜けて桜島へ渡る港へ向かう。桜島へ向かうフェリーにはすでに車の列ができていた。これは並ぶしかないか?と覚悟したが、自転車は別の列から誘導された。そしてポールポジションへ。真っ先に乗れたので待つこともなく出発だ。桜島フェリーは便数も多く24時間就航だ。車を乗せるスペースは2階建てになっていて、とても外海に出れる仕様ではないが小さい船にして搭載台数は多い。そして高く開放感のあるデッキで桜島とキラキラ輝く錦江湾の眺めを楽しめるのだ。デッキにはGWらしく鯉のぼりが飾られて海風にあおられて元気に泳いでいる。空は澄み切って鹿児島らしい南国の太陽が照りつける。
 気分も上々のまま、あっという間に桜島に着岸した。有料道路のゲートのような料金所でフェリー代を支払って、フェリーターミナルの真ん前にある公園、温泉、道の駅という昨夜は桜島に渡ってゲリラキャンプしても良かったかと思うほどの場所に驚く。今度は鹿児島に来たときには桜島側でゲリラキャンプしてしまおう。きっと、海越しに鹿児島の夜景も楽しめるだろう。トイレ目的に立ち寄ったビジターセンターで桜島噴火の猛威を学んで走り出す。
 桜島のすさまじさを物語る溶岩台地がそこに広がる。そこを縫うように走る道。左には雄大な桜島、右には錦江湾、道沿いには豪快な溶岩という気持ちの良い道が続いている。そしてうれしいことに道は平らだ。
 最後まで平らなままで行くかと思ったら、そんなに甘くはなかった。公園道路から一周道路に戻ると厳しいアップダウンが始まる。いや厳しいというか俺にキレがなくなりつつあるからだろうか。そして道は狭く走りづらい。灼熱の太陽にあぶられる暑さもある。車のはけた隙に右を見ると真っ青な錦江湾を見下ろす気持ちの良い眺めが続く。前方の視界が開けると桜島が堂々とそびえ立つ。今日は険しく生々しい火山らしい岩肌がハッキリと見える。
 そして、桜島の迫力が最大に達したころ、有村溶岩展望台へたどり着いた。さっきまでとは全然違う溶岩台地の迫力。溶けて転がって流れ落ちてきた溶岩が積もっている。その向こうに荒々しい岩肌を見せる桜島がある。溶岩台地を巡る道を歩いて眺める。短い遊歩道だがかなり楽しめる。海の方を見下ろすと海岸まで続く溶岩と青い海、山の方は大迫力。噴火というか火山というものの凄まじさを感じる。やや暑い遊歩道を歩き回って、桜島を身軽なチャリで回っているサイクリストと話して水分補給して出発する。
 有村溶岩展望台を出て坂を下ると、大隅半島へ出る。日本縦断で走った道に懐かしさを感じるかと思ったが、桜島から合流するルートは立派な橋になっていて面影が薄い。大隅半島沿いの国道に戻って走り出すと、すぐに道の駅がある。GWということもあり混雑していて、昼食を買うのも面倒。何をするにも行列ができているので、スルーを決断する。桜島を眺めながら入れる足湯も混雑する。今日は暑いし、まだまだ走るので足湯はスルーだが空いてる時期に来たいところだ。
 奥錦江湾ともなると波もなく穏やかな海が続く。夏のような日差しに照らされている。静かに揺らめく海面に映る桜島が何とも言えない雰囲気を醸し出している。風もなく好調な走りが戻りつつある。日本縦断した時の記憶では峠が一ヶ所あるだけでアップダウンはさほど無かったはずなので、気楽に走っていく。そんな時はペースも延びる。
峠の手前に一軒だけスーパーがあったので立ち寄る。どうもこのルートで唯一かと思われるスーパーのようだ。そこでサンドイッチと飲み物と、そのままかじれそうなトマトを買って昼飯にする。海岸の岸壁に腰をかけて、サンドイッチとトマトを頬張っている。ご当地でも何でもない何の変哲もない食事だが、旅先だとやけに美味しく感じる。鏡のようにゆれない海に桜島を見ていると、桜島から噴煙が上がった。鹿児島では当たり前の光景なのだろうが、俺には驚きの瞬間である。それほどど派手な噴煙ではないが、活きている火山の姿を目の当たりにして驚くばかりである。鹿児島市内は火山灰が降ってしまうだろうが、この光景は新鮮な感覚だ。
 そして、暑さの中で気合を入れて走り出す。昼に国分ぐらいをイメージしていたが20kmほど未達である。国分へ向けて峠を1個迎えるのだ。日本縦断のころは難なく越えてしまった峠だが、今の俺には足や体に響くものがある。思った以上にキレがないので苦戦する。ゆるすぎずきつすぎずな傾斜ではあり、さほど長くもない。ここ数年、年齢のせいか、何か別の要因かキレが出ない日があるのだ。今日はどうもそういう日のようだ。
 何とか越えて下ると一気に国分へ向かう。日本縦断したころと比べると高速道路ができていたり、道幅が広がっていたり大きく変わったような印象を受ける。国分で洗濯してキャンプした公園を懐かしく通り過ぎていく。隼人からは北へ向けて上り坂が始まるのだ。国分を過ぎて隼人で右折し、霧島を目指して登っていく。一度、しっかり休憩をして上りに備える。
 そして上り坂は始まった。日本縦断の時に逆に北の牧園町から気持ちよく下ってきた道だけに延々と上り坂が続くルートであることも知っていて、ブルーでもある。ただ、道は川沿いの温泉街が続くので雰囲気がいいことだけは覚えている。それだけが精神的に救いではある。確かに昔から変わらない雰囲気の温泉街が続いている。さらさらと流れる川を横目に、何軒かの温泉宿にちょっとした店・・・ そんないかにも温泉街という感じの場所に居心地のよさを感じながら緩い坂を上っていく。最初のころは、まずまずの走りを見せていたが、徐々に疲労が足に蓄積してくる。

フェリーのデッキからの眺め


フェリーのデッキに泳ぐ鯉のぼり


有村展望所からの桜島


海まで続く溶岩台地


展望台でマンゴージュース


少し噴火している桜島とトマト


霧島温泉郷の道


川沿いの温泉宿

 足の疲れも出てきたころには、暑さというもうひとつの要素、そして体の根底にある不調感。いろんなものに苦しみながら上っていく。昔、分岐してきた牧園を過ぎるころには、少しグロッキーな感覚すら覚えた。今日の目標地点である霧島高原のキャンプ場までの10kmそこそこの道がものすごく遠く感じる。力尽きつつ、だらだらと上っていると、ついに俺の歴史で誇っていたものは崩れた。1996年からソロ化して以降、キャンプ装備を積んだ自転車には一度も抜かれたことは無かった。サイクリストが集うような有名どころの峠でも数々のサイクリストを俺の後方へと追いやってきた。後ろからアスリートっぽい体形でキャンプ装備を積んだランドナーが追ってくる。キレがまったく無い俺に逃げ切る体力は無くあっさりと抜かれてしまう。とうとう そういう時が来てしまったかと実感するが、逆に今まで逃げ切り続けていた自分というのも考えてみたら恐ろしいものだ。
 ある意味では、この出来事で何か肩の荷が下りたような気がする。より気楽で楽しいサイクリストを目指していこうという気にもなってくる。サイクルツーリングは速さを競うものでも何でもないし、闘争心など俺には無いのでどうでもいいことだと思っていたが、誰からも抜かれることのない状況が俺のつまらない闘争心を燃やしていたが、心底 その心を忘れることができそうだ。ある意味では何かの呪縛から解かれたような気すら感じる。
 とにかくキャンプ場を目指して・・・という気持ちであせる事も無く進めていく。足のキレは相変わらずないものの、南国の日差しが西日になってきたところで少し気温的にも楽になってきた。キャンプ場まで残り5km弱まで来たが、安心感はない。進めば進むほど傾斜は厳しくなってくる。だんだん緩い坂をダラダラと上る雰囲気から、本気にヒルクライムに近い状態になってきた。がんばって進んでいくとママチャリで上ろうとしているおじさんと休憩場所が一致する。俺と同じルートを変速もないママチャリで走り続ける人もいるもので、驚いてしまう。
 そして体力も限界に近く売り切れてきた体を押して、キャンプ場にたどり着いた。キャンプ場の隣にイベントスペースもあり、ロックフェスが行われているようだ。もしかしてキャンプ場は閉鎖かと不安にもなってくる。しかし、キャンプ場に行ってみると大量のテントが張られているので安心だ。ただ、次の不安は俺のテントを張る場所が残っているのかどうかだ。受付をしてみたら一応は受け付けてもらえた。しかもキャンプ場内に温泉も併設されていて露天風呂もしっかりある。スーパーも近所にある。とても山の上とは思えないほどの待遇に安心する。オートキャンプの車とテントの列をゆっくりと走り抜けて、隅っこに場所を見つけた。といっても端の方は広々と場所はあいている。テントを張ってみるが、3日前の雨で水を吸っているテントとシュラフが少しくさい。まずは西日を当てながらテントとシュラフを干す。テントのボトムとフライを広げて、ロープにシュラフをかけて、できるだけ置いてみる。強い西日に当たってテントはぐんぐん乾いていく。もともと防水性の生地なので表面の水さえ乾けばOKだ。
 テントを張ってペグで固定し、荷物を放り込んで買出しに出かける。スーパーは自転車で2分ほどのところにある。ひたすらサザンの流れる店内で俺も歌いたい気持ちを抑えながら買出しだ。ビールと鶏刺と野菜炒めの食材を買って、明日の朝食も買って戻る。しかし、チャリの後輪の空気は抜けていた。この場で直すのも面倒なのでチャリを押していってテントまで戻ってから直すことにした。
 テントの前で荷物から修理キットを出し、後輪をはずしてチェックする。ピンのようなものを踏んでタイヤに引っかかっていた。落ち着いて取り除き、ほかの原因がないかタイヤ内を見てチューブの穴位置を確認する。そんな俺の修理風景を隣のテントのファミリーが訝しげに見ている。チューブに空気を入れて穴の位置を音と感触で探し、修理パッチを張ってタイヤへと戻す。人に見られている緊張感を満喫しながら手際よく修理していく。ついでに前輪も空気圧をチェックしながら空気を入れて直す。
 そして風呂へと行く。混んでるかと思いきや意外に空いている温泉で体を洗って露天風呂を満喫する。すっかり暗くなって高原の涼しさがそこにはある。顔を渡る風は気持ちよく、いい湯に浸かっている体は癒される。この旅が始まってから温泉は鹿児島市内のホテルとここだけで後半にのみ集中している。そして露天風呂はこの1回しかないのだ。もっと風呂はがんばらないといけない 今回の旅に課題を見てしまったような感じである。
 テントに戻って、米を炊きながら晩酌をする。いつもどおりの段取りである。皮の面だけ軽く炙った後のある鶏刺しを弱々しいジャックナイフ式の100円包丁で裁いていく。皮が切れない。やはり、料理をこだわろうとしたら強力な包丁は必要だろう。何とか裁いてポン酢で鶏刺しを食ってみる。これが鶏のうまみがいっぱいに出ているわりに、さっぱりとして美味しい。食とビールは止め処もなく進む。そうしているころに飯は炊き上がった。火をそのままに野菜炒めを作る。バランスよく体によさそうな食事だが若干 量が多すぎたか・・・。すっかり満足した晩餐は終了した。
 明日はどこまで走るか詳細は決まっていない。やる気と体力があれば宮崎まで走りきって旅を完結させることも不可能ではないだろう。霧島を越えることは最低限の目標だ。明日に走りきれば宮崎で旅の打ち上げができる。正直、キレのない体と状況に明日が想像つかない状況である。明日で旅を完結させて宮崎で打ち上げができれば最高だが、無理はしない・・・ そんなところが落としどころだろうか そう思いながら眠りについた。

キャンプ場でテントを干す


鹿児島産地鶏の鶏刺し



   出発(鹿児島県鹿児島市)から 382.86 km

9日目 霧島温泉 → えびの高原 → 小林 → 宮崎 98.45 km
2008/05/04
 朝は早めに目が覚めた。レーサータイツを穿いて最後の山場に備えながらテントを撤収していく。ゴミを捨てて水を補充して出発。朝っぱらだからかまったくもってキレのない体に苦戦する。昨日の比ではないほどのキレのなさで坂がまったく上っていけない。30歳を過ぎた今としては、ツーリング中の生活面を含めて見直しが必要なところまで来ているのだろうか。そんなことすら思い始めてきた。霧島温泉の温泉街を少しずつ上がっていく。振り返ると湯煙のあがる旅館の風情がいい。キレのない体を憂いるよりは景色や雰囲気を楽しみたい。森と温泉街の続く峠を上っていく。時間が経てば経つほど太陽も高くなって気温も上がってきた。
 ぼこぼこした泥沼が沸いてる源泉で霧島温泉の豊かさを楽しんでいると、関西人の旅人から話しかけられる。一般旅人からかわいがられる旅人でありたい俺の取り組みも徐々に実を結びつつある。源泉の迫力を楽しんで上っていくと、今度は穴場のような展望台に出た。向こうには雲海に浮かぶ桜島が見える。さらに向こうに開聞岳もうっすらと見えている。近くの山々が層のように重なり合い、錦江湾と霧島から続く山々が見事な眺めである。しばらく景色を楽しんでいく。

湯煙の漂う霧島温泉郷


霧島温泉の源泉


桜島方面を眺める絶景


源泉の泥沼

 徐々に自然に近くなってきた森の中を楽しみつつ苦しみつつあがっていく。別のルートから来る道と合流する分岐を過ぎると、いよいよ雰囲気が高原らしくなってきた。坂は緩く森の中を抜けていく。開放感のある高原である。緩い坂ですら俺の体には重いが進んでいく。高原の途中に大浪池を見に行く登山道があって観光客がごった返している。俺も寄り道してみる。小さな子供ですら行き来している雰囲気なので、楽勝だろうと思って俺も行って見る。石畳の上を気持ちよく歩いていく。何人もの観光客を追い越していく屋久島のような状況ではないが、それなりに進んでいける。登山道でがんばっている小さな子供たちをあやして人気を取りながら進んでいく。しかし、進めど進めど展望台はない。いい加減に疲れて休んでいると、さっき源泉であった関西人の旅人とすれ違う。「まだ、半分ぐらいやな」との一言に凹む。
 寄り道なんてレベルではなかった。ただ、途中まで上っておいて引き返すのも癪なので、このままがんばって上ってみる。だんだん足のキレがなくなり、水分も減っていく。小さな子連れの親子ですら抜きつ抜かれつの展開で上っていくほど俺のパワーは落ちている。屋久島で見せていたパフォーマンスは俺にはない。そして、目の前の展望は一気に開けてくる。右を見ると霧島の山々を見下ろす。少し上ってみると、火山の火口のようなクレーターに池がある。その向こうには韓国岳が見えている。なかなか見事な眺望である。池を囲むような原生林と荒々しくもやわらかい感じの見え方の山肌、真ん中には空の青さをもつ池。
 そして登山道を下っていく。上りで感じたのと同じぐらいの長さを感じながら下っていく。ひざが爆笑しないように気をつけていきたいところだ。意外に踏ん張りも必要で暑いので、なけなしの水は飲みつくした。急で滑りやすい石畳に苦戦していく。そして、下りきった。
 空のボトルは補充されることもなく、また高原を走り出す。微妙にアップダウンしながら木々の間を抜ける広々としたまっすぐな道を進んでいく。走れば走るほど喉は渇いてしまうが、飲む水はない。何とかのどの渇きをわすれて高原を楽しんで行く。右には韓国岳を眺めていく。登山で目先が少し変わったからか、足にキレは戻ってきつつある。意外に力強く走れている自分に驚きながら進む。
 えびの高原にたどり着くと、右に鹿の群れがいる。チャリにまたがったまま写真を撮ろうとすると対向車も停車して写真を撮る。車が邪魔で写真を撮れない苛立ちを少し感じながら、自然の動物たちの様子を楽しんでみていく。鹿たちの群れの前を過ぎると、宮崎県に突入した。看板の前で写真を撮ったら、道は少し下り始めた。実質、ここが峠のようだ。
 下り始めるとすぐに、えびの高原のキャンプ場やドライブインが見えてきた。まずは、キャンプ場に立ち寄って水道で水を補充する。乾ききった喉を潤す水は心底うまみを感じる。ドライブインは車やバイクで混んでいる。露店の焼きそばも何も全てが待ち状態。2Fにあるレストランも行列ができている。中をのぞくと席は空いているし、待ってみる。客捌きが悪くて、なかなか列がはけない。やっと席に座ったところで決めつくした注文をする。宮崎といえばチキン南蛮ははずせない。そして、待ち続ける。客さばきの悪さからして想像はしていたが、なかなか料理は来ない。料理を待ちながら午後からの走りの作戦を立てる。小林あたりで一泊してしまおうと思えばキャンプ場もありそうだ。宮崎まで走りぬいても50km うち10kmは完全な下り坂だろうし、残りも下り基調だし行けそうな気はしなくもない。なんとなくキレの戻りつつある体が俺の背中を押し、ラストスパートで宮崎入りするこを決意した。がんばるが、無理はしない そんなスタンスで行こう。そんなことを思案していたら、チキン南蛮はようやくやってきた。ふわっとさくっと揚がったチキンにマヨネーズベースのタルタルソースがかかっている。少しジャンキーな感じがするが、食材は確かなので旨いのだ。
 食を満喫して、いよいよ下り・・・ と思っていたが、えびの高原を少しだけ登り始めた。見る向きの変わった韓国岳は本当に荒々しい感じの山肌を露にしている。少し荒れ野原という感じのえびの高原と山を満喫しつつ登っていく。考えてみれば、これほどのぼりが楽しいルートも少ないだろう。川沿いの温泉街に始まって、景色のいい展望台、気持ちのよい高原、荒れ野原と山肌。最後は丸い池を眺めて終わる峠である。最後にして最大の山場を終えて満足である。
 気を引き締めて下っていく。急で長い坂が続いている。少しテクニカルな要素もある。直登という雰囲気ではない。背中を押されている俺としては秋田のトラウマを感じない。安全のためにアウトインアウトしながら思い切って下っている。傾斜とカーブをしっかり見極めて、スピードを殺しつつキレよく曲がっていく。途中の展望台でえびの市内と小林市内の盆地を眺めて、おそらくこの旅では最後であろう峠の眺望を満喫する。そして、再び鋭く下っていく。
 下り坂は、長く楽しめる。思い切ってスピードも乗ってきた。そして、上半身の操りで疲れた体を休めるために、寄り道をしていく。花畑を眺めていく。花畑に入るのは有料ではあるが、無料で入れる売店スペースからでも十分に見える。気のいい店員から、日向夏ジュースを買って、ボトルケージに挿して続きの道へと進んでいく。まだまだ下り坂は続いていく。傾斜も緩くまっすぐになって走りやすくなってきた下り坂を気持ちよく走れる。
 小林市内まで進み、俺の勢いはとまらない。もはや宮崎まで行くラストスパートを心も体も決意した状態にある。予想通りに下り基調ではある。そんな国道を東へ東へと進んで宮崎を目指す。道路標示の残距離も徐々に減っていく。 

大浪池の眺め


霧島高原の道


えびの高原にいる野生の鹿


チキン南蛮


えびの高原から 韓国岳


えびの高原 不動池


えびの盆地の眺め


えびのの花畑

 しかし、進めば進むほどアップダウンが増えてきた。なかなか楽はさせてくれないところにがっくり来ながらも、着実に宮崎への残距離を減らしていく。40・・・35・・・30と少しずつ旅の終わりが近づいていく。何度かラストスパート的な走りというのは経験あるが、なんとも言えない独特の雰囲気が漂う。寂しいはずの旅の終わりを自らの足で早めていく。ここまで楽しみつくして、もう満足している・・・ そんな気持ちに満ちた足は好調に回っていく。これまでの蓄積疲労など忘れるほど好調である。それが最終日、それがラストスパート。燃え尽きる直前の蝋燭のような精神と体の状態だろう。
 下り坂だけは慎重に下る。車の流れが多いが、手信号で思い切って道路の真ん中へ入り、俺の横からのすりぬけを防ぐ。下りきってスピードが落ちてきたら、左へよりながら対向車線を見て手信号で追い越しを指示しながら、ぎりぎりまで左に寄せる。慎重な走りを続けていくと、いよいよ残りも20km程度となったところで宮崎市に突入した。アップダウンもなくなり平地となってきた。やや薄暗くもなってきたので、テールランプを点滅させてヘッドライトも点滅させる。照らすほどの暗さではないが、存在表示が目的だ。 コンビニや道の駅で休憩しつつ進んでいく。地元のヤン車乗りなどいろいろと話しかけられながらも、最後の労をねぎらってもらう。そして、空がすっかり赤くなって太陽の姿も消えたところで残りが10kmを切った。体のキレは衰えることなく、ラストスパートをしていく。雰囲気は宮崎市内の都会じみた空気になってきた。建物も増えて道も4車線。大淀川を越えて、いよいよカウントダウンとなってきた。すっかり暗くなったが、車道を好調に進んでいく。そして宮崎駅が見えてきた。最後の交差点をわたって駅の前にたどり着いた。渾身のガッツポーズで今年のGWも完走を決めた。しばらくは喜びと余韻にひたる。

宮崎銘菓 チーズまんじゅう


宮崎駅へ到着!!

 現実に戻ってホテルを探す。宮崎市内は雨をしのげそうなキャンプ場所は無い。前にも見つけきらずにあきらめた。10軒ほど電話したが、どこも満室だ。だんだん探すのが面倒になってきたので、野宿スポットを探す。裏口の公園がよさそうだ。候補地を何箇所か決めて走り出す。これ以上、ホテルを探すより野宿で済ませて、風呂と飲みに注力するほうが賢いと判断した。裏口の科学技術館と公園が隣接するところに行ってみたら、屋根下にテントを張れそうな広さの東屋すらある。いざとなれば科学技術館の軒先でも寝れそうだ。そして道路からも目立たない。宿は決まった。
 温泉があるスーパー銭湯へ行き、入浴も済ませたい。これもさほど遠くない。ついでに明日の荷物発送できそうな大きな郵便局も見つかった。とんとん拍子に事が進んでいく。スーパー銭湯の駐輪場に自転車を置いていると、自転車のワイヤー錠をいじりまわしている高校生がいる。少し不安を感じつつ着替えとお風呂セットを引っ張り出す。高校生を警戒しながら準備していると、地元のおじさんと自転車・旅論を語り始めた。なんとなく不穏な空気を感じていたので、自然な時間稼ぎがありがたいところだ。すると高校生たちは俺に話しかけてきた。ワイヤー錠を切るためのワイヤーカッターが無いか聞いてきた。長い時間をかけて人が通っても何をしてもいじり続けているので、他人の自転車を盗んでいるわけではないだろう。どうも番号をあわせても開かなくなってしまったようだ。俺のワイヤーカッターで切ってあげた。やっと風呂に入れた。露天風呂で体を癒していきたいところだが、空腹には勝てない。風呂も早々に済ませて、街へ繰り出す。
 夜風が涼しい宮崎の街を駆け抜ける。新規に店を探そうかと思ったが、意外にいけてる雰囲気の店が見つからない。野性の感でピンと来る店がないのだ。3年前にも行って気に入ってる柚子庵へ向かう。店の場所はおぼろげにしか覚えていない。何とかなるもので店はすぐに見つかった。自転車を置いて店に入る。少し薄暗いカウンターに座る。まずは生ビールだろう。今年の旅も風邪をひいたりトラブルやハプニングは多かったような気がするが、本当に充実していた。念願の屋久島にも行けたし登山という楽しみも見つけることができた。最後の最後だけではあったが、強い俺の走りも帰ってきた。今日の走りには心底納得できた。次につなげていく自信がついた。刺身や地鶏焼きを楽しみつつ飲みはビールから芋焼酎へと切り替わっていく。食べ物が何でも美味しい宮崎の懐の深さを楽しみながら打ち上げは進んでいく。最後のしめに、宮崎の郷土料理の冷や汁を頼んだが品切れというところが痛いところだが、最高の打ち上げは終わった。
 公園へ戻る途中でラッキーにもコインランドリーも発見し、明日の段取りも取れた。東屋の下はホームレスの人に取られてしまったので、科学技術館の裏の軒下にマットとシュラフを広げて眠りについた。こんなリアル野宿も久しぶりだ。


   出発(鹿児島県鹿児島市)から 481.31 km

10日目 宮崎市内 2.52 km
2008/05/05 宮崎 −特急きりしま→ 鹿児島中央−九州新幹線つばめ→ 新八代
−特急リレーつばめ→ 博多
 しとしとと降る雨音で目が覚めた。まどろんだ雰囲気でダラダラと片付けようとしていると警備員が来た。住み着いてるホームレスかと思って追い払おうとしたが、一泊者なので開館までには出てくれよといわれるだけで済んだ。少し雑談して、撤収してここをあとにする。
 まずはコインランドリーへ行って洗濯物を洗濯機に入れる。無駄におしゃれな雰囲気のコインランドリーに戸惑いを感じながらも、洗濯を開始する。そして、洗濯しながら駅へ行き、朝飯へ。天ぷらうどんを頼む。天ぷらといってもさつま揚げのような天が載っているので朝にはちょうどいい。やわらかめに茹でてあるうどんに少し唐辛子を振って食う。野宿でやや冷えた体にはありがたい味だ。
 そしてコインランドリーへ戻ってみるとドアから水が流れ出てきている。コインランドリーの向かいのバイク屋のオヤジさんが見ている。管理人を呼んでくれたようだ。俺は床においてある雑誌類を高いところに移して、管理人を待つ。俺が洗濯している洗濯機が故障して水があふれているのだ。切る方法が見当たらない。水浸しのコインランドリーで困り果ててしまう。無駄におしゃれなコインランドリーだが、洗濯機はイマイチのようだ。どうやらすすぎの途中で壊れたようなので、洗いは完了している。洗濯代も返却され、乾燥機代まで管理人から出してもらって乾燥も済ませる。
 そんなハプニングも終えて、荷物を発送しに郵便局へ向かう。もう雨も完全にやんでいる。郵便局で特大サイズの段ボールを3つ買って組み立てる。箱に荷物とリアキャリアを詰めていく。ゆうパック最大サイズでギリギリ3箱分というボリュームはいつもどおりだが、いつもギリギリなのだ。リアキャリアがつぶれないように力の受け方を考えながら荷物を詰め込んで梱包を済ませる。全ての箱のガムテープを貼って、最後の箱は箱についてくるテープで閉めて発送だ。
 軽くなった自転車で宮崎駅へ行く。もう旅は終わりへと向かう。駅の前で自転車をばらして輪行袋へ詰め込む。すると、同じく輪行しようとしている人もいる。聞くと俺が行きたいと思っている奄美大島から帰ったようだ。いろいろと情報を聞き出しながら、次のたびへと思いをはせる。輪行が完了した荷物を駅内へ持ち込んで、いったん置いて昼飯にする。昨日食べそびれた冷や汁を満喫する。ご飯、味噌、魚、きゅうり これら全ての食材の確かさがあるから美味しいのかと思える味だ。熱い飯にかける氷の利いた味噌汁が心地よいのだ。
 昼食を満喫したら土産を選ぶ。今日は久々に実家で飲むので芋焼酎を買っていく。今日飲む分と持って帰る分とで2本選んでいく。地鶏の真空パックなど家で楽しめそうな土産を自分に買っていく。すっかりやりきった感覚で、特急きりしまへ乗り込む。これから長い鉄道の旅が始まる。赤い特急列車に乗り込む。宮崎を出る特急に寂しさをおぼえながら旅は少しずつ現実の世界へと自分を引き戻していく。
 のどかな宮崎の内陸を進んでいく列車に揺られながら、日記を書く。帰りの電車は日記の追い込みには絶好の場所である。記憶が新鮮なうちに記憶をノートへと書き写していく。10年前の旅ですら日記帳がなくても、どこで何をしたか覚えているのでノートなんて書かなくてもいいような気がするが書かないと気がすまないのだ。
 国分あたりで乗ってきた赤ちゃんをあやしつつ鹿児島中央へと向かっていく。窓からは空港から走った懐かしい錦江湾沿いの道と海を眺めている。走った道を眺める喜びというのは輪行独特の喜びだろう。鹿児島中央で降りて、上司へ送る土産も選んでみたが、どうもしっくりくるものがない。さつま揚げなんかもいいが、好みが分かれそうだし日持ちもしない。芋焼酎だけ送るのも家族には喜ばれないだろう。結局は、あきらめて福岡から明太子という結論になった。両親と爺さん婆さんに かるかん、友達にも かすたどん、俺には芋焼酎を買っていく。ものすごい数の荷物となってしまった。
 土産も何もかもやりきったので、九州新幹線つばめに乗り込む。連休ということもあり混雑している。座るのはあきらめて列からはみ出して待つ。最後に自転車を載せて手すりにストラップを固定して一応、席が空いてないか見たら、意外にも席はあった。いぐさのすだれや、木の椅子など九州の暖かさを内装で表現し、シートは2+2でゆったりした広さ。東海道山陽新幹線ならグリーン車並の作りだ。さすがは特急王国の九州である。エクステリアデザインも普通にかっこいい。この新幹線なら運転してみたい そう思える。しかも山がちな九州を走れるようにヒルクライムに強い仕様なのだ。男が生まれたころから持つ運転を好む感覚を刺激する車両である。その熱い走りを満喫しながら日記を書き進めていく。

天ぷらうどん
丸天がなかなか美味い


やたらオシャレなコインランドリー


オシャレなコインランドリー(内装)


荷物発送の様子
段ボール3つ分の荷物を積んでいた


宮崎郷土料理 冷や汁


特急 きりしま

 残念なことに、この新幹線は区間が短く新八代で特急リレーつばめに乗り換えるのだ。あっという間に乗り換えがきた。大量の荷物を持って隣のホームの列車へ駆け込む。無事に座席も確保した。昔は特急つばめもかっこいいし好きだったが、新幹線と乗り比べると振動や音も大きいし、狭い。さらに日記を書き進めるうちに博多へ到着。
 自転車を組んで家まで帰るのも面倒なので、そのままタクシーに乗り込む。リアシートに自転車を入れて助手席へ座る。実家への道を忘れるほど、帰っていないのでタクシーを自宅に進ませる自信がない。
 久々の実家ではすでに宴会の準備がされていた。久々の実家を満喫して夜は更けていく。ちなみに我が家がそろったのは爺さんの葬式以来で1年半ぶり。それ以外だと5年ぶりぐらいだろう。我が家の宴会が終わったら、友達と遊びにいく。めったに帰らないので、遊びが詰め込み型になりがちだ。酒を飲めなくなってしまった友達とはファミレスのドリンクバーで語るという健康的な夜をすごす。そしてカラオケへ行き、朝まで遊んで眠りについた。次に会うのはロンドン五輪の年だろうか。


   出発(鹿児島県鹿児島市)から 483.83 km

11日目 博多 −東海道山陽新幹線→ 東京 −東北新幹線→ 宇都宮
2008/05/06
 11時ごろまで寝て朝食をとって、爺さんの家へ行き久々に会って元気な様子を見て安心し、近所の明太子屋で明太子を発送して福岡での用事も終わりつつある。弟に送ってもらって博多駅へ行く。社会人になった弟もすっかり大人びた雰囲気を持ち始めている。いろんなことを思いながら、博多をあとにする。好きな街ではないが、たまには帰ってきてもいいかなとも思う。3年前に比べると誰からも「結婚」という言葉を言われるようになったが、予定も意志もない。
 新幹線のホームは3本分ぐらいの列ができている。そしてN700に乗り込んで東京へと向かっていく。いいポジションに並んだのでシートの後ろのスペースに自転車も積んで安心だ。全てが95点という感じの T車のようなできばえに少し納得いかない俺であった。
 そして、東京で東北新幹線に乗り換えて宇都宮へ向かう。もう完全に帰ってきた感じがある。宇都宮駅で自転車を組んで自宅へ帰る。かなり疲れ果てて自宅についたところで、旅は完全に終わった。


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