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| 1999年 |
夏 |
北海道
(道東) |
初の飛行機輪行で千歳へ飛んで滝川で旅をスタートする。北竜のヒマワリ畑や旭川を抜けたところで、前回の旅から止まらない連続した雨。越える予定の峠が大雨で2日間通行止めになったりで気が滅入ってきたが、層雲峡で見た雨の後にしか現れない虹が萎えた俺の心を立ち直らせた。ここで雨ラッシュは終わりを告げる。晴天で豪快な阿寒横断道路と摩周湖、美幌峠を越えて、網走から知床へ走り知床峠を越えてさらに根室まで行く。そしてついに、本土最東端
納沙布岬に到達。ここで本土4端を制覇し、日本最東端の駅 東根室にたどり着いた時点で鉄道の4隅も制覇。節目を迎える。そして霧多布と厚岸を通り釧路へ行き旅を終える。 |
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| 8 |
| 1999年 |
春 |
紀伊半島 |
京都へステージを移して、紀伊半島を回る。ついに奈良県に入り、沖縄以外すべて自走での全都道府県制覇を果たす。相変わらず雨に苦しめられる紀伊半島一周となる。しかし、要所だけはきっちり晴れる運のツキにも恵まれる。新宮で一度、卒業式出席のために静岡に帰って、また新宮から旅を続けて、日本唯一の飛び地県の和歌山県北山村へ行き、瀞峡、熊野、伊勢、鳥羽へ。鳥羽からフェリーで渥美半島の伊良湖岬に渡り、浜松まで走り、昨年の雪辱を果たした。 |
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| 1999年 |
春 |
九州 |
幾多の応援を頂き何とかして卒業論文を終えて旅に出た。本土最西端を制覇したく、福岡から玄界灘を西へ向かう。陶器の街の伊万里・有田を越えて、平戸へ。西岸沿いに南下し、ついに長崎県小佐々の本土最西端
神崎鼻に立つ。佐世保で一旦走りを終える。輪行で熊本へステージを移し、阿蘇・やまなみハイウェイへ。しかし、天気は冴えず宿も取れず日没寸前に湯布院から峠を攻めて別府へ。 |
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| 1998年 |
夏 |
信州 |
自転車を復旧して、浜松から自走の旅に出る。初日を走り抜く喜び、一日一日が無事であることの重要性を改めて感じる。浜松から北上し灼熱の佐久間、飯田から諏訪湖へ。塩尻峠を越えて松本へ行き、長野から渋峠にトライ。丸一日かかってしまう程の死闘を制して国道最高地点の渋峠を踏破し、ヒルクライムの喜びを得る。雨の草津温泉、軽井沢、八ヶ岳を越えて、国道52号線のアップダウン、灼熱の静岡の苦しみを越えて浜松まで完走。サイクリストとして復活を果たした。 |
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| 1997年 |
夏 |
北陸 |
日本海ツーリングIIということで北陸を行く。ツーリング直前の衝突事故を克服し、1996年春の通過地点の小浜から日本海沿いに北上する。灼熱の北陸と能登半島を回り、富山、親不知子不知を越えて新潟へ。前回の旅で得た離島の楽しみを満喫するため佐渡島へ渡る。最後はツーリングデビューでリタイヤした秋田本荘までの完走を果たす。これで本州の日本海側はほぼすべて走り抜いたことになる。 |
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| 1997年 |
春 |
四国 |
和歌山に降り立ち、フェリーで徳島に渡り鳴門、高松へ。そして小豆島で離島の楽しさと寒霞渓に感動させられるもカメラ故障に苦しむ。高松から金比羅山や祖谷渓へ行く。祖谷渓では日没寸前の泣きそうなパンクを体験する。ひたすら広い高知県と四万十川、足摺岬へ行き、四国西側を北上して松山を抜けて今治へ。まだ開通していないしまなみ海道で離島三昧を満喫して尾道まで走る。島と川沿いの醍醐味を存分に味わえた旅。 |
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