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1日目 |
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静岡 → 藤枝 → 浜松 → 細江 |
108.46 km |
1996/03/01 |
サイクリング部を退部後、初のツーリングだ。試験通過率30%で多くの凡人たちは再試験という難関…S大学O形の化学にやられて出発は3/1に延びた。座って勉強しすぎて、重傷の切れ痔にもおそわれた。先輩のソロツーリングのスタイルに憧れもあった。正直、人間関係の煩わしさから部活をやめた時に自転車そのものをやめてしまおうかとも思った。いろんなわだかまりを越えて出発に踏み切る。精神的にも肉体的にも状況的にもボロボロだ。
天気は冴えないが、まずは出発。とにかく出雲大社と福岡を目指したい。早速、雨の中で静岡の駅前ぐらいで異変が。クランクのあたりから異音が聞こえてきた。ペダルにがたを感じる。オオムラに立ち寄ってみるが、何もしてくれなかった。だましだまし浜松まで走ることにした。いかんせん、メンテ不足だろう。荷物を満載するとがたがあった日には走りに現れてしまう。そんな厳しい現実を目の当たりにした。丸子から岡部へ抜けて藤枝へ。藤枝で自転車の異常に耐えられず、自転車屋を探す。とてもじゃないが街の自転車屋さんでは直せそうもないだろう。偶然、小さいながらもロードやMTBだけを扱ってる店を見つけた。クランクとファイブピンを増し締めしてもらいフィーリングは大幅に改善した。
そのまま走り慣れた浜松までの国道1号を走っていく。中山峠を越えて掛川、袋井と進んでいく。はっきり言うと退屈な道だ。なれない自転車の重さにもとまどいながら、進んでいく。袋井で、クランクのがたが再発した。しかし、磐田を超え、天竜川を渡って浜松まで騙し騙し走っていく。
浜松市内で再修理すべく店を探す。電話帳で何とか店を見つけて、見てもらう。クランクをはずし、BBを分解してグリスアップするほどの大工事になった。すべて締め付けてもらい、再出発…したころには、どっぷり日が暮れている。
すっかり疲れ切ってしまった一日だ。姫街道の途中で夕食を食って、細江のじいさんの家に向かう。20:00なんとか到着。疲れ切ってしまったのですぐに眠ってしまった。ツーリング前のメンテは本当に重要だ。反省とともに波乱の初日に先が思いやられる。 |
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2日目 |
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細江 → 本坂トンネル → 豊川 → 名古屋 |
92.92 km |
1996/03/02 |
晴れた朝、福岡までチャリで行くことに大反対のじいさんに見送られて出発。今度はブレーキの片利きで走りが重い。コンビニでバネ調整をして再出発。よくこんな状態で昨日は走っていたものだと感心するやら呆れるやら反省するやらで先が思いやられる。
奥浜名湖を見ながら走るルートは気持ちよく、あっという間に走り抜けて、三ヶ日から本坂トンネルへの上り坂にさしかかる。トンネルを抜けて愛知県へ。一人旅だと、こんなに県境がうれしいものかと思うほど、喜びがこみ上げてきた。 |

静岡-愛知県境(本坂峠)
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本坂トンネルを抜けて豊川へ。快調にとばして国道1号に合流。あとは一気に距離を稼ぎたい。ずっと4車線のバイパスが続いている。車の流れに追い風をもらってグングン進む。音羽のコンビニで昼食を食って、すぐ出発。午後3時には豊明から名古屋へ。親戚の家もあっさりと見つかって、落ち着く。2日目は、昨日とはうってかわって恐ろしいほど順調に終わった。 |
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3日目 |
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(名古屋 連泊) |
0 km |
1996/03/03 |
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4日目 |
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名古屋 → 岐阜 → 米原 → 木之元 |
111.31 km |
1996/03/04 |
楽しい連泊も終わり、いよいよ出発。天気もいい。体も休めたおかげでのってきた。熱田神宮の前を通り抜けて、俺の生まれ故郷の西春をすぎ一宮へ。とにかく高速道路みたいなバイパスが岐阜まで続いている。走りとしては退屈だが、愛知県も抜けた。
岐阜県も風にあおられて、グングン西へ進む。何も景色らしい景色のないバイパスなので、ひたすら距離を稼ぐのみだ。あっさりと走り抜けた岐阜県は、いよいよ終わりにさしかかると、右側に雪をかぶった伊吹山が見えてきた。やはり、まだまだ冬だ。そんな不安な気持ちにすらさせる景色だが、きれいなもんだ。
関ヶ原のジリジリと上る道が始まった。荷物を大量に持って走るツーリングは、こういうのが一番こたえる。伊吹おろしとよばれる風だろうか、北風が冷たい。天気も若干悪くなってきた。
天気も徐々に悪くなってきて寒々とした雰囲気、路肩に残る雪を見て山の上だけの話じゃなく下界もやばいかもと恐れと楽しみを味わいなながら、関ヶ原を越えて滋賀県に突入。
関ヶ原を越えると道は平らで小高い丘がポツポツと並ぶ地形の道だ。天気は悪く、薄暗い。そして寒い。目標の木之元を目指して進んでいく。何もない道を淡々と走る。割と近いイメージで木之元に到着。駅とちょっとした温泉街、1軒のスーパーとコンビニ、そんな感じの街だ。雪か雨が降りそうだから屋根付きの宿が欲しい。
風呂に入りにいく途中で雪がハラハラと舞い始めた。とうとう雪中キャンプ確定か。温泉で暖まったが、外はすっかり雪が降っている。小学校の体育館の軒下にテントを張る。明け方には出て行くので問題ないだろう。(当時、怖いもの知らずで強気なゲリラキャンプをしていた)
すっかり冷え切った夜、お湯を沸かしても時間がかかる。不安と楽しみが交錯する中、眠りについた。 |
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5日目 |
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木之元 → 今津 → 小浜 |
72.68 km |
1996/03/05 |
夜中にトイレに行きたくなり、目が覚めた。頬を打たれるような寒さ。茂みに立ちションをすべく、テントから出るとそこは、白銀の世界だった。5cm以上も積もっている。これはえらいことになった…と思いながら、再び眠りについた。 |
朝、いきなりは出発できない。のんびりと朝食のパンを食い、テントの中を片づける。自分のテントを購入して、ソロツーリングに出かけて初めてのテント張りになったが、初っぱなからとんでもない一泊だ。伝説の一泊になる。これから数年間の波乱の旅の幕開けを予感する一泊だ。
すでに通学してきた小学生に注目されることもなくテントを撤収して出発。いきなり雪道をかき分けて走る。地面もほどよく凍っている。そしてまだ雪は降り続く。頬を打つような寒さも続いている。今日はRUDY
PROJECTのクリアレンズに付け替えて走る。長袖のアンダーウェアにジャージにフリースにゴアを着込んで走る。インナーグローブにMTB用フルグローブ、ズボンはジャージにゴア、靴はSPDにカバーと着物もフル装備だ。 とにかく轍の上を慎重に走る。今津を目指して琵琶湖沿いの道を進む。初めて見る琵琶湖だが、景色を眺める余裕はない。水平線の向こうは見えない。鉛色の空と鉛色の湖面、白い路面と白い山。スキーをしない俺には見慣れない雰囲気の中、チャリを漕ぐ。少し楽しみにしていた雪道走行だけに、走りもさほど危なげなく、つらいという感覚はなかった。ただ、寒さだけが苦痛である。
琵琶湖沿いを抜けたところで、突然晴れた。雪国特有の天気なのだろうか。真っ白い山、白く反射する路面がまぶしい。車道だけは雪が少し解けてきた。あわててクリアレンズからサングラスに変えて走る。 |

史上最強の一泊。テントからの眺め
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白銀の世界とランドナー
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雪は鳥取県と島根県で遭遇するものだとなめてかかっていたが、まさかこんなに早く雪に降られるとは思っていなかった。冷静に考えると、「雪国」のイメージのある福井県だ。当然だ。
今津で昼飯を食っている間にまた雪が降ってきた。道路の気温表示を見ると、昼時だというのに−7度だ。朝と昨日の夜は一体何度や!?。と思わずつっこみを入れたくなる数字だ。でも、正直
非日常な状況が楽しくもある。焼き肉定食を食って暖を取って、パッキングを少し強化して出発。
また道路に雪が積もり始めた。しかも今津から小浜へ県境の峠を抜ける。滋賀県から福井県へ抜ける。イメージとしては峠の向こうの方が雪がすごそうだ。どきどきわくわくしながら、雪の積もる峠を登っていく。車もまばらで傾斜もさほどない。インナーギアを使わずに登り切れてしまった。峠をすぎると、予想通り雪が多かった。相変わらず気温は−7度。雪の下りは予想外にハードだった。轍の上でないと滑ってしまう。横滑りがすごい。後ろの車の非難を浴びながら轍をマイペースに下っていく。向こうも無理な追い越しはしてこない。数台たまってきたところで路肩によけてはける。また轍を走る。台数がたまったらよけて抜かせる。そんなことを繰り返して峠を下りきる。
峠を下りきると雪は見えない。しかし、相変わらず天気は悪く曇っている。今日の目標地の小浜駅に到着。今日の宿をどうするか…。まさか駅寝は寒すぎる。やはりテントは張りたい。雪が降りそうだから屋根付きがいい。そこで大胆にも図書館の軒先を見つけた。
風呂に入り、買い出しをすませる。今日ばかりは風呂の暖かさが身にしみる。芯まで冷え切った体が生き返る感じだ。なかなか沸かないお湯で暖を取って、図書館の軒下でパスタをゆでて、夕食にする。静かな夜は更けていき眠りについた。また小雪が舞っているようだ。 |
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6日目 |
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小浜 → 舞鶴 → 天橋立 |
103.19 km |
1996/03/06 |
今朝は天気が良いようだ。雪の心配もない。さほど寒くもない。気分よくテントを撤収していると、図書館の職員が出勤してきた。工事のおっさんも出勤してきた。当然、怒られてしまう。あまり大胆すぎる一泊も考え物だ。
小浜を出発し、右に若狭湾を見ながら進んでいく。複雑な地形に青い海。ツーリングの醍醐味満点の景色だ。アップダウンもさほどきつくはない。そして全ての岬にと言っていいほど、原発がある。何とも不思議な景色でもある。時折、訪れるアップダウンを耐えて、昼には舞鶴に到着。意外に都会でびっくりした。そして京都府に突入ということになる。都会の割に飯を食うところは、そんなに無く、ファーストフードですましてしまった。
ここからもアップダウンは、さほどきつくもない道が続くが海は見えない。原発銀座も終わってしまった。内陸から海に向かう途中で森鴎外の小説で安寿と厨子王が別れた由良の浜に来た。文学の単位で選択していたテーマだけに、少し感動。
気持ちの良い海沿いのワインディングを走り、宮津に着いた。今日の目標地の天橋立だ。確かに海の向こうに一本砂浜と松並木が続いている。是非、上から眺めて見たい景色だ。とは言え、寝床など現実的なところも探さなきゃならない。探せど探せど見つからない。結局、走り回って湾を一周して対岸まで行ってしまった。諦めてYHで一泊することにした。天橋立YHに電話して予約できた。安心したので対岸側で山へ登って上から眺めてみることにした。 |
YHに荷物を置いて、観光だ。YHから坂を駆け下りたら、山に登るためのリフトがあるのだが、ちょうど俺が着いたところで営業終了だ。どうせ金もないし、若いし脚力は人一倍あるはずだし、歩いて上ることに躊躇はなかった。だんだん暗くなってくる山道を上っていく。道の脇には雪も残る。すっかり薄暗くなった山の上で天橋立を眺める。何となく見飽きてしまったような気もするが、見れば見るほど不思議な地形だ。有名な又覗きもやってみた。まあ、逆さの天橋立である。寒い。戻ろう。 山を駆け下りて、自転車に乗って、今度は飯を食いに行く。天橋立をわたって再び対岸へ移動。うっそうとした松並木、左右から波の音が聞こえる不思議な気配。くねくね曲がった砂の道。これが天橋立なのか・・という感じ。当然だが、外海はそこそこ波があるが、湾側は全然波がなく静かだ。 |

また覗きの天橋立
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対岸で飯を食ったころには真っ暗だ。また天橋立をわたって戻る。波の音が聞こえるが夜道で少し怖いもんがある。真っ暗で波の音だけ鮮明に聞こえる不思議な道を走ってYHに戻った。今日ばかりは晩酌だ。ビールと竹輪で一緒に泊まってた客とペアレントと飲む。話は盛り上がってしまった。驚いたことに客とペアレントともに、途中の道と天橋立の駅で俺を目撃していた。すっかり楽しい夜は更けて眠りについた。 |
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7日目 |
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天橋立 → 城之崎 →香住 |
96.08 km |
1996/03/07 |
今日は朝から天気が悪い。予報もバリバリの雨。出発した時点で落ちてきそうな空だ。なんだかんだ言って結構楽しかった天橋立を後にして、丹後半島を横断するのどかな道を走っていると雨が降ってきた。城之崎まで峠2本と読んでいたが、1本目の峠から雨の中を登らされる。結構、堪える雨の峠越えをこなし、2本目の方がどぎつい感じだ。雨も酷くなってきた。
久美浜峠から城之崎の温泉街へ下り休憩だ。天気が天気で時期が時期なので観光客も全くいないカニの売店で休憩。営業だけはしっかりしている。当然カニなんて買えそうもない貧乏旅行客の俺だが、店主は店の中で休ませてくれた。でもカニの試食はさせてくれなかった。(当たり前か)
覚悟を決めて出発。土砂降りの雨の中、今日・・・いや下手するとこの旅最大の難関、但馬海岸道路を攻める。いきなり急な上り坂。海面がどんどん遠くなっていく。200m近いアップダウンがあるのだろうか。大荒れの日本海を眺めて、再び土砂降りの雨の中、一気に下っていく。下りきったところの岸壁には波が打ち付けている。そして、また上っていく。標高差200m〜300mはあろうかと思われる急なアップダウンがどこまでも続く。
体も冷えるし、足もきつい。全身ずぶぬれだ。すっかり疲れ切ってアップダウンも収まって地獄の但馬海岸道路は終わり、香住に到着。駅の前に銭湯もある。飯も食える。香住で一泊は決定だ。土砂降りの雨だし駅の待合室で駅寝に決定だ。駅にチャリを置いたまま銭湯に行き、定食屋で飯食いに行く。
夜行もあるので駅は終日開いている。ベンチにシュラフを拡げて眠りについた。今日も大胆な一泊だ。そろそろ落ち着きたい。ノーマルな公園でのんびりテントを張って寝たいのだが、状況がそれを許さない。時折、夜行や人の出入りで起こされてしまう。 |
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8日目 |
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香住 → 富浦海岸 → 鳥取砂丘 → 鳥取 |
63.00 km |
1996/03/08 |
相変わらず天気は冴えない。雨だけは止んでるのが救いだ。寒く重い空気の中、出発。やはり山陰というのは、そんなにカラッと晴れることは無いのだろうか。相変わらずアップダウンは容赦なく続いていく。餘部の鉄橋をくぐって、浜坂をこえる。ひたすらアップダウンに耐えて退屈な走りが続く。昨日の疲れも残って足が冴えない。焦る気も攻める気もしないので淡々と走っていく。
今日は比較的距離も短いので安息日という感じだ。鳥取砂丘へ向かう前に浦富海岸に寄り道してみる。暗い鉛色の日本海と昨日ほどでも無いがあれてる海。奇妙な形の岩がごつごつした感じの海岸線。正直、このような景色も見飽き気味だ。
いよいよそんな岩がちな海岸も終わり砂浜が見えてきた。鳥取砂丘だ。開けたからか、風が強くなってきた。砂丘沿いの道に入ると砂山が広がっていて海までは見渡せなくなっている。そして、突風が吹き荒れて砂粒が大量に俺に降りかかる。痛みと強風によるバランス崩れで車道にふらつく。後ろの観光バスから大音量のクラクション。チャリを止めて風をやり過ごす。砂丘の雄大さは十分に伝わるが楽しむ余裕はない。
砂丘のドライブインで休憩し、落ち着いて眺める。雨でしっとりと濡れた砂浜。でも風に乗って砂は飛んで来る。あまり砂丘の上まで歩いていくこともなく眺めて写真を撮って観光を終了。残念ながら余裕がない。 昼飯を食って、鳥取市内へと向かう。3時には今日の走りが終了。キャンプする場所も駅の裏にすんなりと見つかった。しかも屋根付きだ。もう着替えがないので洗濯をしにいく。洗濯中に着る物もない。上はゴア1枚、下もノーパンでゴア1枚。人通りの居ないすきを狙って、洗濯機の陰で着替える。全ての汚れ物を洗濯機に投入して待つ。乾燥まで待たないと何もできない。田舎が長かったので仕方がない。
洗濯、乾燥も終わったところで風呂に入りに行く。今日は寒かったので、芯まで温まる。鳥取駅前に珍しくチャリダーが居た。今回の旅でチャリダーと会うのは初めてだ。春先に山陰に行こうという発想が無茶だったのだろうか。その人は俺と逆方向に向かっていた。アップダウンがんばれ。
夕食を買って、キャンプ予定の公園へ行く。カップルがいちゃついていたが容赦なくベンチの横にテントを張る。明らかに邪魔そうにされてたが、追い出すぐらいの勢いで張る。根負けしたか、どこかに行ってくれた。今日も雪が降ってきた。寒いわけだ。まだまだ、寒い旅が続きそうだ。そろそろ、カラッと晴れた天気が望まれる。そんな淡い期待を持って眠りについた。 |

浦富海岸
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鳥取砂丘。
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旧鳥取駅
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9日目 |
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鳥取 → 羽合 → 米子 |
112.00 km |
1996/03/09 |
今日は晴れた。久々の晴れだ。昨日が安息日だったので、足も復活している。日本海と大山が見えればいいのだが・・・という思いを持って出発。鳥取市を出ようとしたところで、積算距離4444.4km達成。数字が数字だけに不吉なメモリアルにならないことを祈る。 右に少し離れた日本海、左に大山にかかる雲を見ながら改走。アップダウンもなく平坦な道で走りも比較的楽だ。昨日までの激アップダウンと寒くて雨も降る状況とえらい違いだ。
前から一度行ってみたい場所、羽合へ。地名はハワイだが、何があるというわけでもない。話のタネに通って見る。一応、休憩し昼飯もここで食う。適当に記念写真も撮って出発。
それにしても天気だけはいいが、大山は見えない。雲の陰でも大山の雄大さが伝わって・・・こない。もう走りどころではない。大山の周り以外は雲一つないぐらいの勢いの快晴。ええ加減、山ぐらい見せてくれと思うばかり、もはや走っている場合ではない心境だ。
そうこうしてるうちに大山の脇を通り過ぎて米子へ。今日はここで一泊だ。中海沿いの公園を見つけた。米子市内で買い物をしていると夕焼けに照らされて雲がかかる大山の稜線がようやく見えてきた。山の雄大さを存分に味わえた。夕焼けにそまる中海を眺めながらテントを張る。
スーパーで中海産のシジミと味噌を買って、公園で夕食を作る。久々に地の物を使った豪華な夕食になった。貝のだしが存分に出て体が温まる一杯だ。ご飯が失敗気味だったのが残念だが。明日は境港で魚を買ってもっと豪華な夕食を作ろう。そう意気込んだ。それを十分に予感させる序章のような今夜の晩餐であった。 |

ハワイ。(いやそれだけ)
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日本海の晩餐
沖キス塩焼きとシジミ汁
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10日目 |
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米子 → 境港 → 大根島 → 松江 |
73.44 km |
1996/03/10 |
微妙に天気は悪い。雨は降らないとは思うが湖三昧の今日としては晴れて欲しい。当然、大山は全く見えなくなっている。まずは中海と日本海の間の道を境港へ急ぐ。あっという間に境港に到着。ゲゲゲの鬼太郎の作者・水木しげるの出身地のようで街中に妖怪のモニュメントがある。ガキの頃にアニメにはまっていた世代としては懐かしい。
なんとなく天気も悪く寂しげな境港の街を行き、魚市場へ行く。そこで昼飯を食って買い物だ。新鮮でうまそうな魚介類がいっぱい売っている。そこで、塩焼き用とみそ汁用と刺身用に買っていく。大きくてうまそうなメバル、白ハタ、大振りな甘エビを買っていった。松江まで冷えたまま運ぶべく氷をいっぱいもらっていく。 境港の湾にかかる境港大橋を見上げて、中海への水門へ走る。干拓用に閉ざせるようにした水門を渡って、大根島へ。干拓として閉ざされることが永遠にないことをいのる。島を回りながら中海を眺める。結構、広い湖だ。漂う雰囲気は湖というより海岸っぽいが湖面は静かだ。のんびりと島を回って、干拓で埋め立てられつつある堤防沿いを走り抜けて中海を渡りおえる。中海を豪快に渡る開放感のようなものを想像していたが、土手に隠されて湖が見えず残念。
宍道湖岸の松江を目指して走る。中海と宍道湖は短い川でつながっている。その途中で、軽自動車1台分ぐらいまでなら運べる世界最小のフェリーがある。当然、乗りに行く。地味な船に自転車で乗り込む。区間も川をまっすぐ渡るだけなのであっという間に終わってしまう船旅だ。ツーリング中の初フェリーは、こんなところになった。 そして、松江に到着。市内に大きめの公園もすぐに見つかった。今日は豪華自炊なので早めに用事を済ませる。今日ばかりは気合いを入れて飯を炊く。失敗は許されない。魚に当てていた氷もとけていない。慣れない手つきで魚をさばく。メバルをぶつ切りにしてコッフェルにつっこみ煮る。味噌で味を付けてみそ汁に仕立てる。ガスバーナーの上に焼き網をのせて白ハタを塩焼きにする。甘エビはコッフェルのふたに拡げて刺身に。魚貝類満載の豪華夕食の開始だ。気合いが乗り移ったかのように飯はうまく炊けた。みそ汁もメバルの出汁が出ていてかなり濃厚な味。甘エビも文字通り甘みがあってうまい。頭だけを塩焼きにして楽しむ。白ハタもほくほくした白身がうまい。すべてがうまくいった。
冷たい水で洗い物をすませて眠りについた。こんなに気合いの入った自炊も珍しい。やればできるもんだ。すっかり満足して眠りについた。 |

境港 ゲゲゲの鬼太郎通り
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世界最小のフェリー・矢田の渡し
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史上最大の晩餐
・メバルのみそ汁
・甘エビの刺身
・白ハタの塩焼き
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