1日目 |
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浜松 → 豊橋 → 安城 |
約100 km |
1998/02/25 |
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新安城 −名鉄名古屋本線→ 豊橋 −東海道本線→ 浜松 |
準備に手こずり、AM3:00に就寝。さらにアルミの板を切ってサイドバックの中板を加工して腕が筋肉痛になってしまった。さらに急な出発のため名古屋の親戚の家にアポを取っていないため、三重県桑名市まで走ろうと決める。さらに、朝から雨が激しく降っている。サークルKで荷物を実家に送って、朝食を買って準備をする。だが、ソロツアーも4回目。もう慣れたものだ。少々ピンチではあるが、負ける気はしていなかった。
準備をしていると学科の同期が見送りにやってきた。出発写真を撮って、少し話して、いざ出発。浜松市内のホワイトストリートあたりでサイドバックカバーを紛失したらしい。いつの間に紺色のサイドバックが露わになっていた。少しブルーにはなるが内側でも防水をしているので不安はない。それ以上に体力的な不安の方が大きい。疲れがいつもより早いし、体が少し重い。
豊橋まで続く潮見坂でへばる。アップダウンの多い紀伊半島と長崎県と天草が待っていることを考えると先が思いやられる。どう考えてもそれらと比べると大した坂ではない。初日だから仕方がないと割り切り、先へ進む。登りの後には当然下りが待っている。愛知県に突入すると下り坂だ。長く緩いので快走。風もやや追い風である。
豊橋の市街地で後輪の空気が少ないことに気づき空気を入れる。それが走りの重たい原因であることに気づいた。ここまで、すこし変な重さを感じていたのだ。途中のAMPMで昼食。浜松→名古屋は3回目の走りだが、今までの2回は浜松の北から本坂トンネルを越えて、豊川市のロッテリア前の交差点から国道1号に合流していた。そこのロッテリアで昼食にする予定が少しだけ遅れてしまった。
そして、その交差点に到達。そこからバイパス沿いにじりじりと上り坂が続く。浜松→名古屋で唯一かったるい場所である。あとはだいたい平地なのだ。この辺で雨でチャリステレオのリモコンが濡れて操作がきかなくなってきた。ちょっといらつく。
岡崎市で雨が上がった。ゴアは着たまま走り続けた。そろそろ休憩したいのだがコンビニがない。路面が濡れて汚いしのでコンビニで休憩したいところだ。国道1号線沿いなのでありそうなものだ。だが、安城市までコンビニはなく、無理して走りすぎて腰が痛くなってしまった。
そこで湿布を買って腰に貼り、再び走り始めた。休憩して楽になり、集中力もあった。25km/h程度で国道1号線の車道を走る。交通量は多いがあまり気にならない。慣れたものだ。安城市でサークルKを過ぎたところで、道の端のコンクリート部分の傾斜にタイヤを取られバランスを崩した。どんどん左に吸い寄せられている。落車は覚悟した。しかし、その先に縁石の角が...前方に1回転してうつぶせに歩道の砂利に倒れていて、チャリがSPDで俺についてきてしまったのだろう俺の上にあった。チャリをどけて、起きあがった。けがは全くなかった。泥が付いて少し汚れたのが気になっただけだ。縁石に正面衝突したのでホイールとホークの歪みがあるのではと思ったらそれはなかった。ほっとしたのもつかの間、ホイールとダウンチューブが交差している。どう考えてもおかしい。そうフレームが曲がっていたのだ。
脱力感に襲われた。俺の中にすべてが終わったという絶望感だけが残った。この旅は終わりである。もう1台自転車を組むのはもう嫌だ。チャリダー引退を一時決心した。とりあえず、現場を見ると本当に良くできた構造である。俺を事故らせるための構造としか思えないものだった。
サークルKでタクシーを手配して最寄りの駅に自転車を持っていこうとしたが、線路がちらっと見えた。ちょうど新安城駅も見えた。どうやら名鉄の線路がすぐそばだ。荷物をはずして自転車を担いで駅に向かった。腰の痛みを我慢して2往復で駅に着いた。さっそく輪行だ。もうやる気はない。フレームに傷が付いてもかまわない状況だ。だらだらと輪行して適当に袋に詰めて、腰が痛いのでチャリ以外の荷物と一部パーツをペリカン便で浜松に送ることにした。
名鉄に乗り、豊橋へ行き、JRで浜松へ。その日のうちに帰ってきてしまった。悔しくてならないが、すべてが終わってあっけない。怒る気力もない。荷物が浜松に届いたら実家に帰ってのんびりすることにして今年の春休みは終わるのであった。 |
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1998/03/17 |
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浜松−東海道本線・ムーンライトながら→東京−京葉線→蘇我
−内房線→蘇我→館山→鴨川→勝浦→大網−外房線→千葉
−成田線→成田−鹿島線→鹿島神宮−鹿島線→潮来 |
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館山→洲崎→野島崎→館山 |
約 35km |
悪夢の事故で余ったツアー代でCDRを購入し、実家で退屈な日々を送っていた。実家では生活費もかからないのでPCにでもつぎ込みたい。18切符も2回分余る。食っては適当に車で走り回って寝るという日々だ。
3月半ばに浜松で飲むのでついでに、房総に電車で行くことを思いついた。 1泊2日だとちょうどいい距離だろう。シュラフを持っていって駅寝という気合いの入ったプランも考えられるが、YHを使ってやることにした。
浜松で飲み会が終わり、房総へ向けムーンライトながらで出発。指定席券がないため、寒いドアの前で座り込んで乗る。東京までやけに遠く感じる。通常、ムーンライトには輪行で乗るため、輪行袋がないので手持ちぶさただ。何か忘れ物をしてるような気分になってしまう。
チャリダーやってれば…と考えているうちに東京に到着。500mほどある通路を歩いて京葉線のホームに行く。電車に乗り込み、黄色い朝日に照らされる東京ディズニーランドを眺めながらうとうとする。蘇我で内房線に乗り換え。やっぱり輪行袋無しで電車に乗るのは慣れない。何か足りない気分でホームに立つ。
蘇我駅のホームは寒い。Hotのコーヒーをすすりながら電車を待つ。早朝なので接続が悪い。内房線に乗り込むとさすがに都市から離れる向きなので空いていた。富津から海が見えてきた。半島を旅している気分になってきた。線路も単線になってきた。単線は駅の停車時間が長いため無駄に時間がかかる。
東京湾が見えなくなってきてしばらくすると館山に到着。無数の高校生とともに降りた。世間は平日である。旅行の格好をしている俺は明らかに浮いていた。そしてまた自転車がない不満にかられた。駅前で野島崎にいくバスを探していると、バス停にいるバスに気づいたが、そのまま出ていってしまった。次のバスを待つため時刻表を見ると…
昼までない。レンタカー使おうにも免許証がない。 |
レンタサイクルとなった。小さく変速もなく、ブレーキからいい音のする自転車を借りた。借りる時間を「5時間」といったら断られた。結局3時間しか借りれなかった。それで館山駅を出発。しばらくすると海が見えてきて気持ちがいい。東京湾とはいえ、ここまで来ればだいぶきれいだ。ほとんど外海に近い。灯台もあっていかにも岬という感じの州崎をめざす。15kmほどだ。1時間弱で着いたが、その岬は眺めもそんなに良くなく、何もなかった。
またしばらく海を見ながらアップダウンの緩い道を進むと、フラワーラインに着いた。道沿いに菜の花が植えてある。それ以外にも花がいろいろ咲いていて海も見えてきれいなところである。道もよくママチャリでも楽だった。でもやっぱりランドナーがいい。それを考えると気が重くなってくる。
いかにも春らしい海を眺めて走ると、房総半島最南端・野島崎についた。国内の最南端の醍醐味、丸い太平洋が何とも美しい。灯台を見学して海を眺めて帰る。行きより多少距離が減るが、結構館山駅が遠いのでブルーである。のんびりした景色を眺めながら、結構急いで走る。下手すると1時までに戻れない。すると超過料金がかかってしまう。
標高100mほどの軽い峠もかなりきつい。やっぱりランドナーがいい。ママチャリではきつい。ヘトヘトになりながら峠を越えると下りが気持ちいい。そして、館山駅に戻った。記念写真を撮って自転車をかえして、名物で昼御飯...と行きたいところだったが、そういう店が見あたらない。結局駅前のマクドナルドとなった。でもやっぱり名物は食いたいので土産物屋で琵琶ゼリーを買ってデザートにした。これが結構いける。
また電車で鴨川へ。この辺から乗り換えを続けて、銚子、鹿島、潮来と回りたいところだった。時刻表を見ると、どう考えても間に合わない。銚子でPM6:00。犬吠崎につく頃には真っ暗になりそうだ。銚子をあきらめて、鹿島と潮来YHだけにした。意外に房総は広い。回りきれないものだ。2泊3日は要りそうだ。鴨川と勝浦で乗り換えて、大網から千葉に向かう。これで房総を1周したことになる。千葉市が意外に都会で少しびっくり。千葉駅も混雑していた。 |

南房総 フラワーライン
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野島崎灯台と房総半島最南端の碑
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館山駅前 レンタサイクル
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千葉から満員電車に揺られながら成田の方へ行く。成田空港は東京から意外と遠い。少し不便である。ここにきてようやく輪行袋がない状況になれてきた。電車に乗ってる間は人間観察と美人探しくらいしかする事がなくなった。しばらくすると佐原で成田線から鹿島線に乗り換えだ。今日の宿は潮来YHにとり、鹿島神宮だけ行っておくことにした。
鹿島神宮駅に降りると、鹿島アントラーズ一色だ。鹿島スタジアムがいつも満員になる理由も分かる。サッカー以外娯楽がないといってしまえばそれまでだが... 薄暗い道を歩いて鹿島神宮に行ったが、余りよく見えないし、お巫女さんもいない。俺が満足できる訳がない。また明日も来ることにした。潮来から近いのですぐ寄れるのだ。
駅に戻って、YHに電話して宿を取って、ホームで電車を待つが、体の芯から冷えるほど寒い。冷たい風が吹いている。茨城県は意外に寒かった。電車に乗ると一安心だ。しかし潮来で降りるとまた寒い。駅前のコンビニで地図を確認して、使い捨てカイロを購入。
駅前の豚カツ屋で夕食を済ませて、気合いを入れてYHに向けて出発。暗くて交通量の多い田舎道を歩くこと30分。足がつかれてしまった。JRerも大変である。こういうとき自転車だと楽なのだ。YHは必ず駅から離れたところにある。歩きだと当然大変だ。
YHでチェックインして、部屋に行くとなんと個室。相部屋が常識なのだが、こたつ、TVもついていて冷暖房完備。建物は新しくないが設備はいい。徹夜明けで眠いが、「きらきらひかる」の最終回を見て寝た。 |
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1998/03/18 |
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潮来−鹿島線→鹿島神宮−鹿島臨海鉄道→水戸
−常磐線→上野−山手線→秋葉原−山手線→東京
−東海道本線→三島−ホームライナー→浜松 |
徹夜明けで1日中電車に乗っていたので熟睡。しかし、朝になると厳しい寒さで布団から出たくない。8時過ぎの電車で鹿島へ向かいたいところだった。6:30に起きて、準備して出発。ペアレントに挨拶してチェックアウトしようとするが、いない。
寒さに震えながら、潮来駅に向かう。潮来駅に近づくと、観光旅館が多くなってきた。昨夜は気づかなかったが、結構観光地である。よくよく見ると水郷の風情がある。せっかくだからすずめ焼きを買って行った。晩酌のつまみにでもしようという考えだ。
利根川沿いに歩くと、朝食からやってる定食屋があった。そこで朝食にすることにした。ワカサギのフライの定食にした。霞ヶ浦産らしいが、ワカサギがかなりうまかった。こんなにワカサギのフライがうまいと感じたことはなかった。よくよく考えると朝食に和定食なんて数年ぶりだからかもしれない。 |
潮来の水郷を見ながら潮来駅に到着。潮来から高校生で満員の電車に乗って鹿島神宮へ行く。鹿島神宮のお巫女さんはきれいな人が多かった。俺の中では出雲大社の次に好きだ。鹿島神宮は何の神様なのか分からなかったが、その後で調べると「鹿島立ち」から来ているそうで出立などの際に参る神宮なので、旅の守りとしては最適なのだ。
鹿島臨海鉄道の快速に乗り水戸に向かう。すぐに鹿島スタジアムが見えてきた。清水エスパルスの日本平に比べて駅から近く便利である。そこを過ぎると何もない、畑ばかりのところを電車が進んでいく。
しばらくすると、水戸に到着。駅を出るとかなり都会だった。駅前だけなら「浜松より都会だ...」ショックを受けてしまった。今まで田舎とバカにしていた茨城県の首都に負けている。気を取り直して駅前の水戸黄門の銅像の写真を撮って、偕楽園に向かって歩く。ガイドブックを見れば道はすぐに分かった。
千波湖沿いの歩道を歩き、徳川慶喜の臨時の博物館を見物したが、幕末あたりの歴史は苦手で結局よく分からなかった。ただドラマのセットを紹介してる色が強いためきれいな設備で時間をかければよく分かりそうな感じだった。
水戸黄門の大きな銅像で写真を撮って、最大の目的、日本3名園の偕楽園を見に行く事にした。これで、日本三名園制覇だ。しかもなんと、入場無料。そこは梅の花が満開だった。梅園はかなり見事なものだが、日本庭園らしさがないように思えた。お花見で弁当を広げてる人たちがいっぱいで風情のない庭園だと感じた。
しかし、好文亭にお金を払って入ると、いかにも「わびさび」という感じの庭園とその先の梅園でかなり風情のある景色になっていた。やっぱり日本三名園と言われるだけの事はあると思えた。偕楽園は一番有名なところが梅園だが、竹林になってるところなど場所によって景色が違い、さらに広い。兼六園や後楽園とは違うが、たしかに立派な庭だ。
そう考えるとさっきは花見でうるさいと思っていた梅園も風情を感じる。いとおかし。十分に雰囲気を味わってから、飯を食って、地元大洗産のたこの大きなたこ焼きとビールをやって、義烈館を見物して水戸黄門の実際のところを見て、偕楽園駅(春だけの臨時駅)から水戸に18切符で戻る。 |

鹿島神宮
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水戸黄門像
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水戸偕楽園の梅園
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水戸駅で降りて、笹沼五郎商店でわらに包まれている本場の水戸納豆を買って、また水戸駅に戻る。そして寒いホームで常磐線を待つ。とにかく冷える。茨城県は寒い。意外に冷える。電車でひたすら上野を目指す。秋葉原で32倍速CDROMを買いたいのだ。だが時刻表を見て、意外なことに気づいた。東京をPM7:30に出ないと、今日中に浜松に着かないのだ。精神的には焦り始めた。
上野で降りて、急いで山手線に乗り、秋葉原で降りる。パソコン屋をいくつか回り、32倍速CDROMを購入。CD屋でCDを買い込んで、急いで秋葉原駅に戻り、山手線で東京駅に行く。
さっそく、そのCDを聴きながら電車に乗り、帰るだけだ。あわただしく回ったが、何か物足りない。やはり自転車だ。房総を薄く広く見て回るだけになったのが残念だ。そのうち自転車で走ろうと決めた。そして、電車は三島に着いた。310円を払ってホームライナーに乗ることにした。静岡で乗り換えがあって面倒だからだ。
だが、メリットはそれだけではなかった。18切符で乗っていいの? というくらいきれいで乗り心地が良くて、とばしまくってくれるのだ。しかもリクライニングがついていて窓も大きい。足下も広い。やっぱり乗車券いるのかな?と思うとぞっとする。三島−浜松の乗車券買うほどの金は残っていない。弁当を買ったのが痛かった。
車掌が回っていたが、310円の整理券しか見ていない。どうやら助かったらしい。ゆったりとした車両で浜松に到着。バスで家に戻り、PCをCDROMを装着して、すずめ焼きで晩酌。ちょっと味が濃い。ご飯のおかずか...
今回の旅で初めてJRerなるものをしたが、やっぱり俺はチャリダーだ。このスタイルを変えるのは難しいと改めて感じた。チャリダーとしての復活を決心したのであった。 |
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