旅記録

1996 夏 日本縦断
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・1996 夏 日本縦断@ (輪行 静岡→稚内)
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・1996 夏 日本縦断C (静岡→福岡) へ進む
・1996 夏 日本縦断D (福岡→佐多岬→指宿) へ進む
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- 静岡 −東海道本線 快速ムーンライトながら→ 東京 −山手線→ 上野
−東北本線→ 黒磯 → 郡山 → 福島 → 仙台 → 一関 → 盛岡 → 八戸
1996/08/01
 春の山陰の反省も生かし、チャリのメンテは万全。日本平を試走して備える。駅寝に使うシュラフと着替えとウォークマンと時刻表と青春18切符を残して全て一泊目の宿の稚内モシリパYHに送った。気がはやる俺は出発2時間前に夜の静岡駅南口に到着。チャリをばらし終わり、美しく輪行袋をまとめた。立てかけなくても自立する。全てが万全に進む。チャリをばらし終えてほっとしているとサイクリング部の連中が出発しに来た。てきとーに後輩達の輪行を手伝いつつ、誰にも見送られずにムーンライトながらで出発した。
 ドアの真ん前の手すりに輪行袋を固定して、席に座ると電車は出発。指定席も確保しておいたので、快適だ。今年は大量に入ってきた後輩の世話に追われ、自由な旅もできず快適とは言えない大垣夜行に詰め込まれて出発する姿と比べると、優越感すら感じる。出発の時点では、部活を捨てて独立したのは正解だと思う。
 さあ長い旅の始まりだ。まずは稚内まで3日間の鈍行の旅だ。チャリも長いが電車も長い旅になる。じっくり行こう。まずは眠る。睡眠時間を稼いでおかないと、駅寝とか移動寝なので寝不足になるのは必至だ。何度も寝たり起きたりを繰り返す。まあ、自由席で通路座りの大垣夜行よりはマシだが、結局ほとんど眠れないまま、東京へ。ここは3分で山手線の乗り換えなければならない。それに成功するか失敗するかで八戸まで行けるか青森まで行けるか分かれる。輪行袋を持つ腕に気合いが入る。ポールポジションを獲得した。電車が停車するとドアの前が階段。これはついている。
 ドアが開いた瞬間からダッシュ。荷物を持っているのに先頭を独走する走り。ホームへ駆け上がると、まだ山手線の姿は見えない。ほかの客も駆け上がってきたころ山手線の頭が見えてきた。気合いで乗り込み、上野で東北本線に乗り換える。今度こそ眠るぞとばかりに眠りにつく。しかし相変わらずよく眠れず、何度も目が覚める。そして次の試練、黒磯の3分乗り換え。今度は階段が遠い。荷物を持ってダッシュ。しかしほかの客にどんどん抜かれていく。階段を上りきったあたりで体力も限界にきた。今度こそ乗り遅れてしまうんじゃないかと思うほどグズグズだ。しかし、何とか電車にねじ込み、乗り切る。
 徐々に田舎っぽくなっていく景色、鮮やかな緑と青い空。東北の空気のきれいさが見えてくる。電車の音もローカル色を増してきた。郡山で再び乗り換え。ここで日記帳用のノートを買い、今更ながら時刻表を購入。福島行きの電車の中で、再び時刻表を確認する。東京駅で3分乗り遅れても、黒磯駅で3分乗り遅れても、明日の滝川着は同じだ。ていうか函館で追いつかれる計画のようだ。そんなことなら、サイクリング部と合流してしまおうという気分にもなってきた。
 そして仙台に到着。ここで昼食だ。せっかくの仙台だし牛タンといきたい。しかし俺は貧乏学生だし、外に食いに行く時間はない。駅弁で牛タンを探す。良い感じにあった。紐を引くと、中にある物質が酸化して熱を発して暖まる細工までしてある。弁当箱の底からあつくなってきた。ポテンシャルの高さを感じる。焼き肉に牛タンは欠かせないほどの牛タン好きの俺を満足させるだけの味がある。駅弁とは言え侮れない。きっと炭火焼きの焼きたてだともっとうまいのだろう。いつか偉くなったら食いに来よう。
 しばらく待つとサイクリング部の連中が到着した。ようやく合流して北へ向かう。微妙に眺められる松島、去年走った国道4号線、これから南下する道でもある。心して眺める。どっぷり日が暮れて一関、盛岡と乗り換えて今日最後の乗り換えをこなし、お菓子をみんなでつつきながら八戸へ。
 全て階段越えだったので疲れがたまりきって八戸駅に到着。これもまた階段越えでホームから出なきゃいけない。みんな足取りもおぼつかない状態で終了。駅の前の軒下で輪行袋を並べ、シュラフを並べて野宿…という体制だが晩飯を食いたい。八戸駅前を探すが飯を食えそうな店が一軒だけあったので、そこで飯を食って駅に戻って寝る。
 蚊がいっぱいで、みんなシュラフごとバタバタと暴れている。俺もシュラフに潜り込んで寝る。

八戸駅前 野宿の図

- 八戸 −東北本線→ 青森 −津軽海峡線 快速海峡→ 函館
−函館本線→ 森 → 長万部 → 小樽 → 江別 → 小樽
1996/08/02
 さわやかで痒い朝、手回り品切符を買って出発。今日も天気は最高。電車は北へ向かっていく。そして陸奥湾が見えてきた。深い不思議な色の青い海を右に眺めながら青森へ向かう。
 青森に着いたところで朝飯の買い出しをして、サイクリング部の連中と一緒に食う。青い森公園で散歩して、再び津軽海峡線へのりに戻る。快速・海峡のボックス席に乗り込んだところでトラブル発覚。後輩のハンドルのステムを止める部品が落ちてる。彼女が荷物を持って歩いたと思われる経路を俺が走って探す。視力、体力、運の全てを駆使して探すと、運良く到着したときのホームに見つけた。そしてダッシュで海峡に戻り一段落。これがないとチャリが組めない…という最悪の事態になるところだったが免れた。旅にトラブルは付きものだが、
 不思議な色の陸奥湾を右に眺め、蟹田からトンネルに突入。トンネルに入ったところで少し眠る。昨夜は蚊にやられまくって、ろくに眠れなかったから、2日あわせて6時間も寝ていない。目が覚めると北海道だ。函館駅に着くと、みんなの荷物を出すのを手伝い、チャリの組み立てを途中まで手伝う。俺の同期も先輩としてがんばって後輩を引っ張っていって欲しいし、後輩達も期待と不安がいっぱいな初めての旅というものを楽しんで欲しいものだ。何となく、去年の夏に1年生としてデビューしたころをチャリ組み立ての時になって思い出す。去年の俺もトラブルに見舞われては先輩に助けてもらいつつも仙台に到着できたように、札幌で元気に再会したい。お互いにがんばって走ろう。そんな気持ちと決意を持って俺の旅へと出発した。昼前に出発の森行きの普通電車に乗り換えた。
楽しい集団旅も終わり 函館駅
 ここからは、札幌で飲み会するまでは一人旅だ。大沼のど真ん中を突っ切る電車から大沼と駒ヶ岳が見える。これも南下して通る予定の場所だ。ただ、のどかな風情というのはどこか感じられず観光地チックな雰囲気すらある。大沼の山を抜けると、右に海が見えてきた。そして森駅に到着。次の長万部行きの電車を待ちながら、駅前で有名なイカめしを食う。イカの濃厚な味ともちもちした飯がうまい。
 長万部行きの電車に乗ろうとすると、昨日、東北本線で会った大学生と再会。そのうち一人は何故かスキンヘッドになっていた。すっかり夕方になった長万部に到着し、その集団も別の方面へ乗り換えていった。俺は小樽行きの電車に乗り換える。すっかり日が暮れたニセコの山の間を走り抜けて、小樽に到着。
 ここで滝川行きの電車に乗り換える。それと思われる電車が既にホームに居る。電車に荷物を積んで飯を食いに行く。発車まで時間はありそうだ。ロッテリアで簡単に飯を済ませてホームに戻ると荷物を積んでいた電車が居ない。列車を勘違いしていたようだ。荷物を積んだ電車は江別行きで別の電車だ。あわてて滝川行きの電車で追いかけて、江別へ向かう。不安な気持ちがいっぱいな状態で移動。結局、江別に荷物は無く荷物を載せたまま、小樽に引き返したと駅員から聞いた。後から考えれば小樽で駅員に言って江別で車掌さんか駅員さんに引き上げてもらうように頼んでおけばよかったが、そんな冷静さは無かった。今度は小樽駅に連絡してもらい荷物を列車から引き上げてもらえることになった。再び最終電車で小樽に引き返す。
 小樽で荷物と再会し落ち着いたところでバスターミナルのベンチで眠る。既に2時だ。明日の始発で出て滝川で特急に乗り換えれば当初の予定の時間に稚内に到着できそうだ。鈍行のみだと明日中に稚内にはたどり着けないようだ。

- 小樽 −函館本線→ 滝川 −特急スーパーホワイトアロー→ 旭川
−宗谷本線→ 名寄 → 稚内
1996/08/03
 朝日に照らされる小樽駅を見ながら目が覚める。金色の朝日が寝不足の俺の目に痛く黄色く突き刺さる。ようやく輪行の旅も最終日だ。ここまででも十分長かった。車窓から日本海を眺めるが、太陽が痛く黄色い。昨日も2時間半しか眠れなかった。決して快適とは言えない電車に揺られながら札幌の街中を過ぎ、昨日かなりお世話になった江別駅を過ぎ、滝川へ。天気が若干悪く寒い。
 ここで特急スーパーホワイトアローに乗り換えて旭川へ。驚くほど快適な乗り心地。さすが特急だ。そしてすぐに旭川に到着。旭川で昼飯を食い、宗谷本線のホームへ向かう。荷物をいっぱい持ってる華奢な女性のチャリダーに話しかけてみたりで楽しい旅になるかと思ったが、さっさと美瑛方面の電車に乗り換えてしまった。方向が違った残念。だが、荷物いっぱいなのに歩きがかなり速い。

朝日に照らされる小樽駅
なんかレトロでいい。
 どうみても18切符ユーザーっぽい客が9割、地元っぽいお婆さんが1割という感じの満員の宗谷本線に揺られていく。旭川から先は本当に超ローカル線という感じだ。駅に時折停車するが、駅の前に道すら見あたらない。牧場か荒れ野原の真ん中にぽつんと駅があるような景色だ。ひたすら人も車も見えない景色の中、電車は進んでいく。駅にちょくちょく止まるが乗り降りする客はいない。いっそバスのように降りる人はボタンを押して、乗る人がいなければ通過でも良いんじゃないかとも思ってしまう光景だ。
 そして名寄で乗り換え。稚内までの最後の乗り換えだ。相変わらず人も車もいない。たまに見かけるのはホルスタインの白黒の柄だけ。幌延を過ぎ、いよいよカウントダウンモードだ。南稚内でちらっと最後の日本海が見えた。そしてあと一駅で稚内。ついにここまで来た。鉄道の旅も3日と長く、結構手応えのある旅だ。名寄からの道のりも長く、同じボックス席の女子大生達とすっかり意気投合してしまった。そして、稚内に到着。最北端の駅に到着。本当に長い3日だった。
 駅の前で記念撮影だ。たまたま話しかけた集団が、福岡出身の高校生と先生で宿も同じモシリパYH。礼文・利尻のフェリーターミナルに向かっていった女子大生達を見送り、写真を撮ってもらう。あとでYHでよろしくとばかりに分かれて、俺も自転車を組み立てた。輪行だけでこんな達成感があるとは思わなかったが、同じ距離をチャリで戻りさらに南へ貫くことを考えるとげんなりするが、楽しみでもある。
 薄暗くなった稚内の街を抜けてモシリパYHへいく。YHにしては便利な場所にある。市内を走る自転車は一般車よりチャリダーの方が多いんじゃないかと思うほどの状況だ。そしてYHもチャリダーぽいチャリであふれていた。チェックインして、送った荷物を開梱して部屋に移動。
 YHのチャリダーがいっぱいいたのは金城学院大学サイクリング部のお嬢様ばっかりというこれまた幸運な状況だ。さっきの記念撮影で意気投合した福岡の高校の人達と金城学院のお姉さん達と飲み会だ。当然盛り上がる。到着した時点で寝不足でへとへとだったことも忘れて盛り上がる。俺の体力の限界が近いことも忘れて盛り上がる。昨日から2時間半しか寝てないことも忘れて盛り上がる。明日から日本縦断すること・・・だけは忘れずに盛り上がる。

ついに到着!! 日本最北端 稚内駅

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