旅記録

旅記録 目次に戻る
HOMEに戻る
地図を表示 (新しいウィンドウへ)


・1996 夏 日本縦断@ (輪行 静岡→稚内)へ戻る
・1996 夏 日本縦断A (宗谷岬→函館)
・1996 夏 日本縦断B (函館→静岡) へ進む
・1996 夏 日本縦断C (静岡→福岡) へ進む
・1996 夏 日本縦断D (福岡→佐多岬→指宿) へ進む
BACK NEXT
1日目 稚内 → 宗谷岬 → 宗谷丘陵 → 稚内 85.47 km
1996/08/04
 さわやかな二日酔いの朝、金城学院の人たちと福岡の高校の人たちに挨拶をして朝食をいただいて準備する。荷物を自分の自転車に積み込む。2年生の娘がブレーキが利かないわキーキーなってるわで困っていたので見てあげる。いじり慣れたカンチブレーキなのでサクっとなおしたら、先に北海道一周を目指して出発していった中学生が財布をYHに忘れたようなので、なおしてやったチャリを借りて追いかける。何とか追いつき無事財布を渡してYHに戻り、ちょっとしたヒーロー状態で絶好調の準備をする。
 みんな準備が終わったところで、出発だ。今日は宗谷岬まで往復してくる。距離もそんなになさそうなので福岡の人たちとも一緒に行く。それにしても、写真部の活動旅行というのが驚きだ。こんなに活動的な写真部というのも珍しい。海上自衛隊の駆逐艦の見学に寄り道したりで楽しく走っていく。はっきり言って素人だが、こんなにのんびり走っていて大丈夫か不安になるが、俺が引っ張っていく。
 さほど強くは無いが向かい風にあおられて天気の悪い宗谷岬へのまっすぐな国道を進んでいく。時折ライダーにピースサインをしてもらいつつ進む。北海道にはこんな熱い習慣があるのかと驚く。たまに間違えて地元の漁師さんのカブにピースサインをしてしまう。
 そんなこんなで昼になったので、最後のセイコーマートで飯を買い、俺はついでにガスを買って、その場で飯にする。女子も一人はいるので走りが大変そうで心配だったが、昼飯食って少しは元気が戻ったようだ。さあ、ラストスパートだ。いよいよ駐車場と三角のモニュメントが向こうに見えてきた。あれが宗谷岬か。
 ついに日本最北端の宗谷岬に到着。これだけでも、すごく達成感がある。もう十分かと思ってしまう。いや、所詮ここは出発点に過ぎないと自分に言い聞かせる。とは言え、日本の端っこまで来た喜びは押さえられない。最北端らしい行動に出ることにした。1つは現地で女性に頼んで人文字の北をやってもらう。もう一つは日本人最北に立つ。そして最北端のさらに北へ行く。これだけははずせない。長い髪がきれいで、ちょっとかっこいいライダーのお姉さんに頼んで北の字は完成した。そして海にズブズブと入っていく。気温は本州でエアコンでは再現できない17度しかない程の天気の悪さだ。半端じゃなく水が冷たい。夏だが海水浴という感じではない。足だけだが寒中水泳という感じだ。あまり長くは保てない状態で写真を撮り、上陸。日本最北端到達証明書も買った。売店には「宗谷岬」がBGMとしてずっと流れていた。最果てっぽい寂しさの漂う演歌だ。
 一応、混みまくってる観光客の合間を見ては、出発写真を撮って、俺と顧問の先生は宗谷丘陵の方へ走ってみる。緑の芝の山を登ると海の向こうに樺太が見えてきた。天気がちょうど晴れてきた。のんびりした丘の景色を走り、アップダウンがきついながらも楽しい。本州には無い景色だ。
 丘陵から降りてきたところで生徒達とも再合流して走り出す。全員疲れ切ってしまっていて、時々、俺がちぎってしまって待って追いついてという展開を繰り返してしまう。でも何とか日没までにはYHに到着した。俺は2泊するお金は無いので彼らをYHに送り、去ろうとすると、かなり美形の一人の女子大生のサイクリストが居た。せっかくなのでノシャップ岬で夕日に誘ってみた。

宗谷岬 「北」の字
御協力ありがとうございました。


日本最北端 さらに北!!
海の中にいる右下の黄色い男が俺です。


日本縦断の旅へいざ、出発!!
日本最北端 宗谷岬


日本最北端 到達証明書

 買い出しをした後でYHに迎えに行き、一緒にノシャップ岬まで走る。京都の大学生で同学年なんだが、言葉がどこかで聞いたことある感じだ・・・。妙になじみのある言葉だ。そう博多弁である。ここでも福岡の人と会ってしまったようだ。いわゆる方言が抜けないタイプだろう。俺もこの2日間の博多弁攻勢もあって安心して博多弁に戻って話もうち解ける。
 そして5kmほどの道を走り抜けるとノシャップ岬に到着。海の向こうには真っ赤な夕日が見えている。濃い青い日本海に沈む夕日が美しい。何と言っても女性と一緒に見に来ているという状況が奇跡だ。そして沈みきった夕日を見送って市内の方へ戻る。彼女はYHの方へ曲がっていき、俺はテントを張る予定にしていた公園の方へ曲がっていく。つかの間の楽しい時間は終わった。これが一期一会の旅の出会いというものだろう。

ノシャップ岬の夕日

 テントを張ったとたんに突風が吹いてきてテントごと飛ばされた。まだ買って1シーズンも使い切っていないのにフライシートに穴が開いてしまった。ぼっこしへこまされる。やはり今日はYHに連泊すべきだったのだ。残念。稚内の夜は結構冷える。なめてかかっていたのもあるし、荷物を大量に持つのも嫌だったのでTシャツと短パンだ。さっさと南にくだらないと風邪をひきそうだ。明日からがんばろう。たくさん出会った人達の期待と応援には人知れずでも応えたい。とてつもなく長い道のりがどれほどか見えないだけに、まだまだ気力は沸いてくる。


   出発(北海道稚内市)から  85.47km

2日目 稚内 → サロベツ原野 → 豊富 → 幌延 80.17 km
1996/08/05
 楽しかった昨日までを投げて今日からはストイックな走りへと向かっていく。とてつもなく遠い佐多岬を目指すのだ。稚内市内を離れたとたんに、かなり田舎の道だ。微妙にアップダウンする牧場や草原の中の道を進んでいく。コンビニはおろか自販機すら10kmに1個もない。
 今日は予定の距離も少ないのでサロベツ原野で観光していきたい。まず、小高い丘の上の展望台を上っていく。坂を上れば上るほど展望が開けていく。だだっ広い原野と向こうに見える日本海。原野の中に見えるいくつかの池や沼。一面の緑。これが北海道のスケールだ。しばらく無言で眺めてしまった後で、坂を下って原野の中を走り抜ける。上から見ると平らな原野だが、そこを走ると意外とアップダウンしている。でも本州のアップダウンと比べたら緩いし数も少ないし高低差もさほどない。
 サロベツ原野を抜けると豊富だ。ホクレンのガソリンスタンドに寄ってフラッグと地図をもらう。ダメ元で頼んでみたら給油しなくてももらえてしまった。豊富で昼食だ。定食屋に入り飯を食う。店主と話がもりあがってしまった。驚いたことにお盆を過ぎると朝晩にストーブを焚くと言っている。確かに寒いが、そこまでなのかと。
 サロベツ原野の広さを楽しむために国道から離れて農道に入ってみて、おとといの女子大生のおすすめの池に行ってみる。ひたすらのどかなダートの農道が楽しい。原野の中では初めて見る湿地帯だ。湿原というものを見るのも初めてだが、こういうもんなのかという感じだ。池の水の色も本州の池や沼とは少し違う。
 そして国道に再び戻ると、今度は北緯45度の線をまたぐ。静岡は北緯35度、佐多岬は31度と考えると、まだまだ先は長い。改めて南北だけでも長さを感じる。まあ、がんばるのみだ。せっかくなので記念撮影をしまくる。
 45度線を越えてすぐに幌延に到着。今日はここで宿にしたい。まだ余力はあるが、この先は当分街らしい街はない。一応、サイクリング部の同期と一泊だけ合流する予定だ。寂しげな幌延の街の一軒のスーパーで買いだし。殻ごとの生のホタテが激安で売ってる。今日はホタテ三昧に決定だ。

サロベツ原野 展望台


幌延 牛型のモニュメント


北緯45度線を越えて・・・

 キャンプ場に行くと、俺以外にもチャリダーは居た。男女のチャリダーと一人の男チャリダー。一人の方はロード用の細いタイヤにプラケースをキャリアに積んでいる何とも珍しい装備だ。ライダーとロードレーサーのコラボレーションだ。せっかくなので4人で飯を食うことにした。酒も入って盛り上がってきた。俺の自慢のキャンドルランタンに火を付けようとしたが、ランタンのふたが開かない。つまりろうそくに火を付けれない。
 21:00 サイクリング部の連中が幌延に到着する時間だ。迎えに行って組み立てを手伝う。一緒にキャンプ場に戻り、彼らはテントを張ってすぐに寝てしまった。俺はもう少し4人で酒を飲んで眠りについた。今日も出会いが多く楽しい旅だ。やっぱ旅は一人に限る。


   出発(北海道稚内市)から  165.64 km

3日目 幌延 → 音威子府 → 美深 109.25 km
1996/08/06
 朝から霧雨が降りしきる。そして寒い。さらに予定の距離は長い。気が重い朝だ。サイクリング部の連中と戯れつつ準備をする。ほとんど走らない彼らに合わせていたら、ついつい昼前になってしまった。彼らは北へ。俺は限りない南へ。志の180度違う別れで出発した。
 小雨が降りしきるだだっ広い草原を走り抜けていく。昨日から何時間も何kmも景色がほとんど変わらない。ひたすら牧場、草原が続いている。薄い霧で向こうはかすんでいる。そろそろ、こんな景色も見飽きてきた。というより、ただひたすら広い草原を自転車で走り抜けることが苦痛にすらなりつつある。寒さで筋肉も暖まらず動きもキレない。
 稚内から何キロ走ったことだろう。ようやく草原を終えて山の間を流れる天塩川の上流部の景色になってきた。少しアップダウンも出てきた。熊出没注意の看板も出てきた。走り始めて山をみるのも山を走るのも初めてな気がする。久々の景色の変化に少しうれしくもなってきた。
 たいしたことのない傾斜を越えたところで音威子府で休憩。親子3人で自転車で旭川から稚内へ向かっている家族と意気投合してしまい、ついでに蕎麦までごちそうになった。ここからしばらく街らしい街は無いが、どうにかがんばってほしい。北海道は、いろんなスタイルのサイクリストと出会えてなかなか楽しい。
 ここからはジャガイモ畑の丘の間を軽くアップダウンしながら進む道である。雨も止んで、多少天気も明るくなってきた。なだらかでいつまでも続くジャガイモ畑の丘の風景が本州の畑の風景と違い立体的でスケールも大きく雰囲気がいい。とりあえず日が暮れる前に、今日の目標の美幌に到着。ここまで距離を稼いでおけば明日は旭川に行けるだろう。
 宿もあっさりと見つけた。銭湯も交番で聞いてあっさり見つかった。コンビニもある。もはや何の不安も無い一泊だ。風呂で暖まりコンビニの弁当を買ってテントを張った公園で食べる。久々に完全に一人の宿だ。稚内と比べてだいぶ暖かくなってきた夜に眠りについた。


   出発(北海道稚内市)から  274.89 km

4日目 美深 → 名寄 → 剣淵 → 鷹栖 → 旭川 121.32 km
1996/08/07
 今日は朝から好天。とにかく頑張って旭川まで行きたい。そして明日は富良野で遊びたい。まだ出発する前だというのに、すでに心は明日に向いていた。至って順調に名寄まで単調な国道を走りきる。昨日のジャガイモ畑の続きのような道だ。天気は良いが景色らしい景色もない走りが続く。まあ、長い旅だしこんな日もあるだろう。
 名寄から南になると再び景色が変わってきた。といっても作物がジャガイモからトウモロコシにシフトしただけだ。これもひたすら広い畑が続いている。最初は感動した広い畑だがもうお腹いっぱいだ。ところが、そんな退屈を切り裂くように自転車に異変が。ブレーキが片利きしている。フロントのあたりからカタカタと音がする。ガタの発生源を特定すべく昼食休憩の時に荷物をすべて下ろして自転車を振ってみたりいじってみたりしたが、わからない。先が長いし今日も短い距離ではないので気になる。
 そのまま荷物を付けてトウモロコシ畑の真ん中をつっきる道道を南下する。やはりハンドルを左右に振るとカタカタと音がする。まあ、今日は旭川だから自転車屋を探して立ち寄ればいいかと不安でありつつも気楽だった。久々に暑いほどの炎天下の下を走る。日を遮るものが何一つない地獄を耐える。今日は日焼けしそうだ。腕をまくって走って少しワイルドになろう。
 こんな嫌になるほど続くトウモロコシ畑だが、みていると無性に焼きトウモロコシが食いたくなった。香ばしさと甘さのコラボレーションを楽しみたくなった。そんな俺の心理を見透かしたかのように直売所で焼きトウモロコシを売っていた。当然、飛びつく。やっぱり目の前で作ってる作物を外で食うのはうまい。ある意味、贅沢。
 近道をして国道を回避して道道を走っているはずなのに、旭川の手前の鷹栖にたどり着けない。鷹栖にたどり着く前に、すでに走行距離が100kmを越えている。トータルで100kmと思っていたのにまだまだ20km近くある。何か間違えていたようだ。何を間違えていたのかは未だにわからないが。
 そして最後に鷹栖から旭川へ峠を越えて旭川市内に降りる。さっそく自転車屋を探しながら走ろうと思ったら、あっさりと国道沿いに見つかった。立ち寄って様子を見てもらうと、何としょぼいことにフロントキャリアの固定ねじがゆるんでいた。チャリを振ると荷物に振られてカタカタ音が鳴っていただけのようだ。増し締めをしたら、すっきりと異音は消えた。これで明日から安心して富良野へいける。
 自転車に乗ったまま通過すると怒られると噂の買い物公園通りを自転車に乗ったまま通過したら、やはり怒られた。仕方なく降りて押して歩く。この重さだったら、本当に乗った方が楽だ。そして目の前に旭川駅が見えてきた。
 ゴールでも何でもないが最後の信号から駅の軒先までラストスパートしてガッツポーズして到着を決めた。何となくそんな雰囲気がある旭川の駅である。駅前の交番で銭湯の場所を教えてもらい市内地図をもらう。よさげな公園も簡単に見つかる。旭川は道路が碁盤の目のように切ってあり、X条Y丁目となっている。つまり番地がわかれば場所が即座にわかる。初心者には優しい。
 あっさりと常磐公園に宿を見つけた。すでにテントを張っている先客もあるようだ。俺は日没まで待つ。風呂と洗濯を済ませに街へ繰り出し、コンビニで飯を買って公園に戻る。そしてテントを張る。また、テントの前で一人寂しく飯を食う。
 このまま眠りにつくわけにはいかなかった。公園の灯りで日記を書いてトイレまで歩く途中に数人がいろんなポーズを取っている銅像があった。ライトアップされている。その中に台座から足を投げ出して座っている本物の人間が一人いた。心臓が飛び出るほど驚いた。動揺したまま眠りについた。

問題の銅像@旭川 常磐公園
(2003年 夏 撮影)



   出発(北海道稚内市)から 396.21 km

5日目 旭川 → 美瑛 → 富良野 76.91 km
1996/08/08
 昨日までの走りで頑張りすぎたか、体が全体的にけだるい。富良野までの短距離+遊びに設定しておいて正解だったかもしれないと思うほどの状況だ。ただ、残念ながらすっきりとした晴れではない。微妙に曇っている。せっかくの富良野観光だけに残念だ。旭川市内のランアバウトのような交差点のローソンで朝食を食って出発。
 いきなり、きつい向かい風に襲われる。とにかく前に進まない。15km/hも出ない。楽しようとした日に限って試練を与えてくる。それじゃ安息日の意味がない。鉛色の空と向かい風の中、美瑛へと向かっていく。旭川空港を越えると、アップダウンも追加だ。景色を楽しむ余裕もないほどの向かい風。そして復活した寒さ。
 向かい風に風向きが変わって吹き付ける横風にふらつきながら、短い峠を登ると美瑛/富良野らしい景色になった。美馬牛峠だ。しかし、時期が遅いせいかラベンダーは色あせてドライフラワーのようになってしまっている。もっと鮮やかな紫の景色を想像していただけに幻滅だ。せいぜいパッチワークっぽい丘が見える程度しか感動はない。無理矢理テンションを上げたくても上がらない。

富良野 美馬牛峠
ラベンダーもすでにドライフラワー

 またきつい走りに耐えて富良野市街地を目指す。もう途中で観光なんてする気にもなれない。また横風と向かい風にいじめられながら、退屈な直線道路を走る。すっかり肉体的にも精神的にも疲れ切って富良野駅に到着。
 北の国からの音楽が流れる駅前で情報収集をする。どこも遠そうだ。北の国からのロケ地関係ばかりだから、あえて強風の中行くのも嫌なので、近場でワイナリーとチーズ工房のみにしぼった。キャンプするのも面倒なのでライダーハウス(駅前のツーリングトレイン)を予約して宿をゲットした。
 荷物も置いて身軽になって観光だ。まずチーズ工房へ。試食できるチーズは1種類のみ・・・。ワイナリーへ。定休日。俺の富良野観光は終わった。がっくしへこまされて富良野駅前に戻る。
 暇だ。そこで背後から俺を呼ぶ黄色い声が。サイクリング部の先輩(記録では'96春の富士五湖で同行)がチャリダーっぽい雰囲気でもなさげな格好でたっている。どうやらペンションでバイトしていて富良野駅前まで出てきたようだ。そのまま話をしているうちに夕食を御馳走してもらえることになった。そのまま、奮発して焼き肉屋へ。バイトも富良野のペンションだと意外と楽しそうだ。それにしても、こんな有り得ないほどの偶然が起こるとは世の中せまい。結構、うれしい偶然でもある。
 そして、宿に戻り隣のチャリダーと意気投合しつつ、もう1杯やって眠りについた。


   出発(北海道稚内市)から  473.12 km

6日目 富良野 → 美唄 → 岩見沢 → 札幌 146.22 km
1996/08/09
 昨日の余韻は無いほど天気がよい。昨日もきつかった分、今日は楽をしたい。まずは朝飯だ。チャリに荷物をパッキングして駅の前の、まつや食堂へ行く。意外と朝からお腹が空いていたので、カレーの大盛りをチョイスした。そして、おばさんが運んできたものは・・・ お盆のような四角い皿に盛られたご飯。その上にドバドバとかけてあるカレー。小さい男爵が丸ごとコロコロと乗っている。半端じゃない大盛りだ。これで650円程度とやすい。出されたものは残さず食べる男ぐっさんは、構えに入って本気で食う。でも、ジャガイモはホクホクしていてうまい。お腹を抱えながらも食べきった。
 妊娠したことないが、妊婦のように重い腹を抱えて自転車で東へ向かう。今日は追い風で晴れていて楽勝な走りだ。昨日のような平原を走るわけでもなく、山の間を走っていく。途中でおいしそうなサクランボ直売所があったが、満腹状態はすぐには回復しないので、話だけしてスルーする。
 ようやくカレーライスを消化したころ、美唄へ。後は、札幌に向けて日本一長い直線道路を進むのみだ。札幌を目指すが行けるとこまで稼いで一泊という雰囲気だ。ただ、意外と今日は絶好調だ。札幌までの距離を考えても行けないこともなさそうだ。美唄で軽く昼飯を食ってレストランで同席したチャリダーと話をして出発。
 ここからは、残念ながら向かい風のようだ。昨日ほどではないが、ただでは進んでいかない。低く構えて風を後ろに流して耐える。それにしても真っ直ぐな道だ。23kmの直線で日本一だ。しかもこれを向かい風で戦わなきゃいけない運の悪さ。もう勘弁してほしい。一種の修行の様な走りだ。景色も何もない。ひたすら真っ直ぐな道。岩見沢、江別と徐々に札幌に近づく。
 ようやく道が曲がった時に、疲れでキレが全くなくなりペダルが回らなくなった。休んでも水を飲んでも回復しない。コンビニで休憩。ここで、少し糖分を補給すべく菓子パンとプリンを買って食べる。何と驚いたことに体に力がみなぎってきた。糖分補給って意外と侮れないものだと、今更気がついた。これを機に糖分を多く含む食料を持って走ることにする。
 そして日が暮れかけた頃、札幌に突入。もう140km走り切っている。向かい風だというのによく頑張ったものだ。そして、日が暮れた18:30頃、札幌駅に到着。風呂に行く体力もなく宿を探す体力もない。適当にバスターミナルに寝れそうな場所を見つけた。飯も駅の前のコンビニで弁当を買ってくる。
 何とか回復したところで、サイクリング部の連中が札幌駅に到着した。自走で来たやつも到着した。サイクリング部の合宿の集合場所を札幌にしているからか、いろんなグループが集まり始めたようだ。明日は部の連中と飲みに行く。函館まで一緒に輪行した連中たちも、完走すれば明日にも合流するはずだ。明日を最後に再び孤独な旅に戻るので今のうちに人間味のあるつきあいをしておきたいものだ。


   出発(北海道稚内市)から  619.34 km

7日目 札幌市内 14.40 km
1996/08/10
 駅の構内をうろうろしながら情報収集していると、どこかで見たことある顔Aが。まあ、似てるやつが世の中に3人は居ると言われているから、そんなこともあるだろうと思っていた。しかし、Aと仲がいいBに似てるやつがいる。似すぎている。そしてA,Bと同じくつるんでいるCが居て、Cと仲良しのDも居る。これは、どう考えても本物だ。大学の連中とこんなところで会ってしまった。驚くほどの偶然。世の中は本当に狭いものだ。俺の旅とはコンセプトが違い貧富の差を見せつけられて、貧しい道と豊かな道へと旅立っていった。
 今日は札幌市内で実家に土産を送ってあげる。しっかり蟹代ももらっている。時計台と大通り公園をみて二条市場へ行く。せっかくなので試食攻勢と行きたい。見るからに貧乏そうな俺には蟹を試食させてくれない。これでは蟹を選びようがない。夕張メロンばかり差し出してくる。それなりにおいしいが、俺が探しているのは蟹だ。極上のタラバガニを探しているのだが、うまくいかない。最初に試食させてくれた店に決めて、適当に値切って実家へ送った。
 そうこうしてるうちに夕方だ。今日も風呂に入りそびれて、飲み会の集合場所へ向かった。チャリダーの俺がひくほどチャリが集まっている。みんな無事に集まったようなので安心した。ある意味、一番リスクが高かったのは俺ではないのかとも思ってしまうが、とにかくよかった。地下鉄で移動してビール園へ行く。たった1週間程度の旅だが変な思い出が、それぞれにできていて濃い話で盛り上がった。
 札幌駅に戻り、中島公園にテントを張りにみんなで移動だ。そして酔っぱらったまま大量野宿で眠りについた。


   出発(北海道稚内市)から  633.74 km

8日目 札幌 → 小樽 66.37 km
1996/08/11
 俺は今日から小樽へ向かう。たまたま同じ方向に行こうとしている後輩が居たので連れて行くことにした。後輩たちと朝食を食う。みんな貧乏くさく食パンを食っている。そこで俺が昨日の土産巡りで買ったハスカップジャムを取り出した時には、残念ながらみんな食い終わっていた。「日本縦断終わるまで食いきらなかったら、静岡で食わしてやる」と約束を交わす。
 今日は距離は短く小樽までしか行く気がないし小樽でそんなに気合い入れて観光する気も無かったので、札幌で昼飯にラーメンを食って出発。北大のキャンパスでキャンプしてそうなグループを捜しに行ったが見つからなかった。というか、北大のキャンパスだがちょっとしたキャンプ場状態になっていた。(今では有り得ない光景だ)
 出発して、二人とも走りは絶好調であっという間に峠を1個越えて小樽に到着。適当に小樽市内を観光する。いかんせん九州人の男同士なので、さほど雰囲気の良いところにも行かないが、もともと馬が合いそうな奴なので話は盛り上がった。途中、車のドアを開けられて跳ね飛ばされたりアクシデントはあったが、無事公園にたどり着きテントを張る。史上初の2人泊だ。こんな狭いテントに2人も収まるんだろうか。
 銭湯へ行き、夕食を食いに行く。俺も相方も比較的馬鹿系なので、がっつりと昨日から2日連続の食い放題となった。当然、2日連続の飲みだ。我ながら馬鹿だなぁと思いつつ、ライトアップしてろまんちっくになっている運河を見つつテントに戻る。ほかのサイクリング部の連中も合流していた。それにしてもテントは狭い。窒息しそうで目が覚める。やはりダンロップW-271では狭すぎるのだろうか。


   出発(北海道稚内市)から  700.11 km

9日目 小樽 → 余市 → 倶知安 78.67 km
1996/08/12
 睡眠不足の俺を後目に、後輩は快適な目覚めをしていたようだ。いつの間にかサイクリング部のほかの連中も、公園に来ていた。テントの数も増えまくっている。キャンプ場のような状態になってる小樽港の前の公園で朝食。昨日買っておいたパンを食い、部員と話しながら準備をする。
 一人旅のはずが、団体旅行感を抜け出せない日々だったが、今日からは孤独な日々が始まる。見送られて出発。まず、適当に小樽運河で写真を撮り、輪行トラブルから何からお世話になりまくりの小樽の街を出発して余市へ向かう。右に日本海を眺めながらの単調な道だ。北海道らしい雄大さもないが、天気がよくて海がきれいだ。

小樽運河と俺とランドナー

 出発は遅れたが昼前には余市に到着。さあ、ニッカウヰスキー余市蒸溜所の工場見学&試飲ツアーだ。良い香りのする醸造所と倉庫、雰囲気もいい。そして、いよいよ試飲コーナーへ。濃いウヰスキーやブランデーをガンガン飲む。試飲用のコップに勝手に注いで飲んでいいのだが、3フィンガーで氷もいれずにストレートで飲む。咽が焼けるような感覚がたまらない(今は苦手だが)。品の無い飲み方をしてしまったが、酒の味を覚え始めた俺にはかなりうまかった。休憩するように余市ワインを飲む。フルーティーでおいしい。というより、もはや感覚というものはない。目の前がぼーっとして、ふらついた状態で昼食へ。工場内のレストランで食べていると、隣の席にレーサージャージを着た夫婦が居た。どう見てもチャリダーっぽい。酔っぱらった俺は話が盛り上がってしまった。
 まだまだ酔いが覚めないが、とりあえず出発。これ以上いてもしょうがない。しかし、路上に出てみると危ない俺に気づいた。ゆっくりと走って余市駅へ。適当にお茶を飲んで酔いを覚ます。30分ほど時間をつぶしていると、多少回復してきた。
 まだ、心ここにあらずな状態だが出発。もう大丈夫だ真っ直ぐ走れる。一応、慎重に走る。ここからは倶知安に向けて峠だ。大した坂ではないが微妙に汗ばんできた。と同時に酒が回ってきた。路肩に休憩。そんなことを繰り返して坂を上っていく。汗が酒臭い。ていうか、俺が酒臭い。そして、酔いが覚めたというか汗と一緒に酒が抜けたかのようにスッキリとした気持ちで峠を越えた。羊蹄山を見渡す峠の下りに満足だ。でも、もう酒酔い運転はやめよう。そう心に決めて、パノラマの景色に向かって下っていく。
 峠を下り、少し坂を上ったら倶知安の駅前に着いた。今日はここまでだ。駅前の観光案内所で風呂を探すと日帰りの温泉を発見。コインランドリーも奇跡的に見つかった。公園も駅の裏に立派なのを見つけた。駅の前でわき水もわいている。すべてが順調だ。酒の効果だろう(んなわけはない)。駅前でチェーンがはずれて自転車に乗れなくなってる女子高生を助けて、飲酒運転という一日一悪に対する一日一善をこなして、公園にテントを張り風呂に行く。温泉で酒臭い汗を流してサッパリして、洗濯&乾燥をしながら買ってきた夕食を食う。そうだ、明日こそは自炊しよう。北海道も残りわずかなので、北海道らしいものをプロデュースしよう。そんな気分になってきた。そしてイメージも固まっていた。やはり一人旅というのは寂しいが気楽でもある。我ながら馬鹿が加速して一人暴走という一日だったのだろうか。


   出発(北海道稚内市)から  778.78 km

10日目 倶知安 → 長万部 → 八雲 128.90 km
1996/08/13
 今日は長万部を越えて函館まで、どれだけ距離を稼ぐかの勝負だ。台風も近いようなので頑張っておきたい。よく晴れた空と羊蹄山とニセコを眺めながらテントをたたみ出発。昨日までのアルコール攻勢が利いてか、妙に走りがのびる。人間アルコールランプ復活か。左に富士山のような形をした稜線が美しい羊蹄山、右には複雑な稜線のニセコ。緑一色の笹の原越しに眺めるなだらかなワインディングが続く。傾斜はたいしたことが無く、気持ちよく走っていく。広々とした景色というのも、札幌近郊に来て以来、久しぶりな気もする。午前中は、そんな道を楽しんで走って終わった。
 黒松内で昼飯を食って、だんだん味気なくなってきた景色と共に、空も曇ってきた。完全に曇りになったら、長万部に降りた。太平洋の青さもなく空も曇り寒々しさすら感じる景色だ。カニの直売が並ぶ道を左に海を見て右に並ぶ小高い丘を眺めて、わずかにアップダウンする道を南へ進む。イカめしの森ぐらいまで行きたかったが、八雲で力尽きた。多少アップダウンがあったのがジャブのように利いてしまったようだ。
 八雲の駅前で情報収集。風呂と買い出しはすぐに見つかった。キャンプする手頃な公園が見つからない。天気も悪そうなので屋根付き希望だ。しかし、公園すら見つからない。すっかり日が暮れてしまった。八雲の街は妙に広い。牧場沿いにかなり走らされた。霧も立ちこめてきた。いつもより早く暗くもなってきた。不安になってきたころに、オートキャンプ場のようになってしまっている公園を見つけた。屋根付きはあきらめて、テントを張る。
 テントを張り終えて霧の立ちこめてきた八雲の街を走り、買い出し。ねらい通り北海道産の鮭を見つけた。野菜が多いので野菜炒めを作るために豚肉を探すと、八雲産のユーラップ豚なるものも見つけた。一気に豪勢な食事になった。こぎれいな銭湯で風呂に入ってテントに戻り、料理開始。順調に御飯を炊いて、蒸らしに入る。さっと野菜炒めをフライパンで作って、野菜炒めをつつきながら、鮭とモヤシとピーマンのホイル焼きを作る。まず野菜炒めは上々のできだ。さすがに地元の豚肉、コクが違うし柔らかいが歯ごたえがいい。うまみが存分に出ている。いつもの豚細切れの炒め物とは違う。そして、ホイル焼きもそろそろ完成だ。マヨネーズの酸味と鮭の塩味とモヤシのシャキシャキ感のコラボレーションがたまらない。北海道で自炊するのは今夜が最後と思われるが、最高の晩餐だった。いよいよ明日で北海道をひとまず完走だろうか。順調な旅である。

ユーラップ 豚の野菜炒め丼


北海道産 鮭のホイル焼き



   出発(北海道稚内市)から  907.68 km

11日目 八雲 → 大沼 → 函館 93.25 km
1996/08/14
 朝から霧が立ちこめる。テントは霧でびしょ濡れだ。乾くまで出発したくない気分だ。とはいえ、今日で北海道の走りは最終日。絵はがきやら何やらであこがれの大沼も見たいし夜景も見たい。その割に天気がさえないのが不安だ。と思っていたら、霧と一緒に空も晴れてきた。テントをフライから底から乾かしながら、のんびりと準備をする。テント以外をチャリに積み終えた頃にはテントも乾いてきた。バサバサと畳んでサングラスをかけて出発する。
 森まで、昨日から続く海沿いのアップダウンを耐えて走る。森からダラダラと坂を上り始めた。地図で見ると大沼が峠になっているようだ。背の低い笹の原が続くなだらかで緩いカーブの峠を登っていく。峠も楽しいが、正直早いところ大沼に到着したい。左に駒ヶ岳を見ながら登ると、湖が見えてきた。
 湖畔の道を回りつつ大沼を半周する。二つに分かれている大沼の真ん中を国道が突っ切っているが、一周回っておきたい。森の中を走り抜けつつ右に湖を眺める。モーターボートがウロウロして遊覧船も通ってて自然の趣は少ない。絵はがきとかるるぶの静かな湖はどこにいったのだろう。心を無にしても観光地チックな湖の景色は消えない。もはや諦めて昼飯だ。観光地というのは期待すると幻滅するもんなんだろうか。今日の夜景でも、こんなむなしい気持ちを味わうのかと思うと、げんなりする。確かに、富良野もドライフラワーだったし、大沼も観光地全開で好きにはなれない。2度あることは3度ある。
大沼・・・。

 そんなネガティブな気持ちも、峠の下りの「函館市」の看板を通過した時の渾身のガッツポーズとともに、ひとまず忘れ去った。徐々に下っていく道を函館駅へと進んでいく。ペダルを回さなくても、進んでいく。路面電車も見えてきた。そろそろ、第1STAGE 北海道のゴールは近い。そして、函館駅に到着。ひとまず北海道縦断を走りきった。
 天気予報によると明日は台風。YHに泊まるのも何かもったいない。だが、函館駅の構内はシュラフを広げて寝ようとしているライダーとチャリダーがいっぱい居るようだ。ここまで開けっぴろげな状態なら安心だ。宿はあっさりと決まった。風呂に入り、市場の中の店で北海道の無事完走を祝ってウニ、イクラ、イカの3色丼とイカそうめんを食い生ビールで乾杯。最高にうまい。まだ明るいが打ち上げは終了。
 函館山は一般車は通行止めでシャトルバスのみなので、混む前に登っておきたい。すでにバス停は列ができていた。日没前なので2本待ちで乗れて函館市内を走り、函館山を登っていく。登る途中で日没を迎えて暗くなってきた。徐々に街の灯りが光り始める。バスが登り切る頃には、ちょうど日が暮れた。まだ薄明るい空と光り始めた函館の街が美しい。さすがという感じだ。本格的に暗くなって街の灯りも全開になった時、砂嘴にできた函館の街のラインをくっきりと映す無数の灯りの輝き。人間の営みながら、美しい。期待を裏切られ続けた観光地だったが最後はしっかりと胸を打つ。
 美しい景色と共に、ここまで走った喜びが突き上げてきた。何かをやりきって美しいものを見るときの感激というのを初めて味わえた。楽しむのも良いが、写真も撮りたい。しっかり三脚も持ってきた。しかし、人が多すぎて展望台の先頭に行けない。後ろでじっくりと粘ること2時間。ようやくポールポジションにたった。展望台の手すりにカメラを置いて夜景モードで写真を撮りまくる。もう何枚撮ったか覚えていないほど撮りまくる。目と写真に景色を焼き付ける。
 そして、下りに入る。バスから眺める夜景も終始きれいだ。見飽きることはない。本当に美しいものは見飽きない。自分の力でここまで見に来たものは見飽きない。そんなことをわからせてくれた函館の夜景だ。
 函館駅に戻っても現実に戻される感じはない。函館駅は台風をしのごうとしている旅人でごった返していた。そんな構内の片隅で、そっと北海道の完走を喜び、次は果てしなく長い本州の完走を胸に誓って眠りについた。

第1STAGE 北海道の最後を飾る。函館山 夜景



   出発(北海道稚内市)から  1000.93 km

12日目 函館連泊 2 m
1996/08/15
 昨日の晴天も函館山の夜景も嘘だったかのような雨だ。昨日のうちに函館に着けるように走っておいて正解だった。土砂降りの雨の中でも、どんどん本州から電車で来たチャリダーが上陸してきた。そのまま函館駅に泊まる人、構内でチャリを組んで土砂降りの雨の中を出発していく人、それぞれだ。俺はシュラフを広げたまま、座って次の東北の地図を読んだり、るるぶの東北を読んだりで時間をつぶす。屋根の下にパッキングしたままのチャリを突っ込んで、昨夜から占めてる一角でたたずむ。雨も風も完全に防げているので、多少天気があれていても問題ない。
 函館の朝市を見てまわりつつ、適当に試食したりで、とにかく暇な時間を過ごす。台風が来てるだけに雨は土砂降りだが、風は大したことはない。とにかく早く通過してもらって明日はフェリーで本州に渡りたい。函館市内を歩いて風呂に入りに行き、函館駅構内で夕食を食ってサイクリストたちと共に眠りにつく


   出発(北海道稚内市)から  1000.93 km

BACK NEXT
・1996 夏 日本縦断@ (輪行 静岡→稚内)へ戻る
・1996 夏 日本縦断A (宗谷岬→函館)
・1996 夏 日本縦断B (函館→静岡) へ進む
・1996 夏 日本縦断C (静岡→福岡) へ進む
・1996 夏 日本縦断D (福岡→佐多岬→指宿) へ進む


旅記録 目次に戻る
HOMEに戻る
地図を表示 (新しいウィンドウへ)