・1996 夏 日本縦断@ (輪行 静岡→稚内)へ戻る |
・1996 夏 日本縦断A (宗谷岬→函館)へ戻る |
・1996 夏 日本縦断B (函館→静岡) へ進む |
・1996 夏 日本縦断C (静岡→福岡) |
・1996 夏 日本縦断D (福岡→佐多岬→指宿) へ進む |
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26日目 |
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静岡市内 |
0 km |
1996/08/29 |
今日は、歯飛びしてるランドナーと依然治らないチャリステレオの修理だ。まず、電器屋でウォークマン本体を購入。次回からは防水は気をつけねばならないところだ。荷物の着いてない軽いランドナーでワタナベへ。すっかり台形が削れて三角形になってるトップギアを見ると、走りの過酷さを表している。それが歯飛びの原因である。スプロケットを交換しチェーンも交換する。各部の増し締めをしてブレーキシューも交換して取り敢えずは安心だ。
昨日まででたまった汚れ物を洗濯していたのをたたみ直し、荷物を入れ替えて準備完了。あとは明日また続きを走るだけだ。 |
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27日目 |
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静岡 → 藤枝 → 中山峠 → 袋井 → 浜松 → 細江 |
98.76 km |
1996/08/30 |
いよいよ体も自転車もリフレッシュして後半戦のスタートだ。天気も上々。暑いが無風。体も1日休んだ効果で軽い。チャリステレオもとりあえず直った。ただ、準備に手こずってしまい、春の山陰ツーリングの時より2時間も出発が遅れて、10時発となった。
あのころとは違う走りを見せたいところだ。体も自転車も軽い感じすらあり、出発早々マシントラブルと雨に苦しめられた春と違い、あっという間に丸子と宇津ノ谷峠を越えて岡部へ。旧道、旧道へ振り回されるかったるい走りを強いられてしまうが、坂もそれなりに上がっていける。
荷ヒモがへたりかけてきたので、藤枝のホームセンターで購入していくほどの余裕もある。走り慣れた単調な国道1号だが、今日の唯一の山場がきたところで金谷で昼食だ。わずか2時間半で金谷に到着なのでかなり好調なペースである。ここからは国道1号バイパスは通れないので旧道の中山峠を越えなければならない。しかし、上り坂の苦手な俺はどこに行ったと思うほどの好調なペースで登ってしまう。足に力がみなぎっている。やはりここまでの距離でのってきた体に一日休んで回復した体。もはや敵なしという状況だ。頂上のラブホテルの前を通過し、国道1号線へ下って合流。 |

くすりや荘 出発
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車と同じぐらいのスピードでガンガン下って掛川へ。ここからはひたすら平地でひたすら車道の端を行くだけだ。まだ2時。出発して昼食含めて4時間しか経っていない。春の大苦戦は何だったんだと思うほど好調である。好調を維持したまま袋井を抜けて磐田を抜けて3時半には天竜川を渡る。ここだけは幅も狭いし集中を要する。追い越される車に追い風をもらって真っ直ぐと素早く渡りきり、浜松市に入った。
浜松市内を抜けて、北上し細江のじいさんの家を目指す。日も長いし体も絶好調。今日は早く着きそうだ。姫街道の渋滞の列をグングン追い越して、5時過ぎには細江に到着。春には11時間もかかった道のりを5時間ほどで走り抜いた。後半戦初日、さい先よいスタートだ。 |
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28日目 |
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細江 → 本坂峠 → 豊川 → 名古屋 |
90.29 km |
1996/08/31 |
春の山陰ツーリングと全く同じコースで今日は名古屋へ向かう。朝は俺にしてみれば無駄に早く起こされてしまい、やや寝不足気味だ。じいさんの老人ホームの職員と若干反対気味のじいさんに見送られながら出発。さすがに夏の浜松は暑い。天気もよく猛暑である。出発してちょうど1ヶ月経って8月も最終日だが、まだまだ秋の気配は感じられない。
ギラギラと真夏の太陽に輝く浜名湖を左に見ながら三ヶ日へと進み、本坂峠へと登っていく。さすがに1ヶ月走り込んで体ができているからか、楽である。トンネルを抜けて豊川へ行き、国道1号線に合流。ここからはバイパスなので車から追い風をもらいながら順調に進んでいく。しかし名古屋へ向かえば向かうほど気温がグングン上がっていく。これは本格的にバテるかもしれないという恐れも出てきた。
車道を走っていたら、道路交通法を理解していない愛知県警のパトカーに怒られ続けて無視し続けるハプニングもあったりしたが、かなり良いペースで名古屋に到着。今日も名古屋市内で若干道に迷いつつも6時間半ほどで走り終えてしまった。親戚の家で飲ませてもらうビールがうまい。何しろ今日は暑かった。 |
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29日目 |
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(名古屋連泊) |
0 km |
1996/09/01 |
今日はせっかくなので連泊だ。いとこに名古屋市内を観光に連れて行ってもらい、いろいろと必需品系を買いそろえて明日へ備えた。 |
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30日目 |
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名古屋 → 亀山 → 鈴鹿峠 → 草津 |
148.95 km |
1996/09/02 |
昨日の安息日で体は回復したので今日は頑張れそうだ。とはいえ、暑さが半端じゃない。国道23号で伊勢湾をぐるっと回って三重県へ進んでいく。三重県に入った途端に強烈な向かい風が襲いかかってきた。蒸し暑さと俺の行く手を阻むほどの突風。かつてこれほど苦しい平地走行があっただろうか。
鈴鹿峠を登り始める前に昼を迎えてしまう。相変わらず蒸し暑い空気と向かい風が俺を襲い続けるが亀山で昼食。少しエネルギーをもらったところで、鈴鹿峠の登りへ挑む。片側2車線のまま登りルートと下りルートに分かれてく。どこかで1車線に統合されるのかと思っていたが、そうでもないようだ。これは走り屋御用達になってしまいそうな峠だ。登りはじめは緩い。しかし時間は結構おしている。1時間ほどで登ってしまいたいところだが、前半の向かい風にやられまくってる俺にそんな体力は残っていないかに思える。今回の旅の2つ目の山場の鈴鹿峠だが、よく整備されているのでさほど苦にならずに15:00には越えた。
しかし下ってもまだツーリングマップ2ページ分の走りが残っている。右を走り抜けていく車の列に風をもらいつつ走っているつもりが、峠を抜けると追い風になった。栗東までガンガン飛ばしながら下っていく。30km/hを割ることのない快調な走りで、16:30には栗東へ。もう一走りして17:00に草津に到着。今日の宿は草津で取り敢えずは決まりだろう。これ以上、無理して走ってもしょうがない。
駅前の交番で道を尋ねて風呂を探し、あっさりと「草津温泉」という銭湯が見つかった。次は寝床だ。JRの踏切で子供2人が自転車でレースを始めていた。そして100mほどフラフラと走った後で一人が転倒した。ほら言わんこっちゃないと思いつつ自転車を止めて介抱していると救急車とパトカーが来た。いくら何でもやりすぎじゃないか?誰が誤通報したのか知らないが俺が轢いたことになっている。ギャラリーもかなり増えてきた。周囲の目は大量の荷物を積んで怪しいことをしている俺が事故を起こしたと思いこんでいる。おいおい俺が親切心で面倒見てやってるのにそれはないだろう。膝をすりむいただけのガキを救急車に乗せたところでガキの親と警察による現場での事情聴取が始まった。転けてない方のガキは黙ってる。誤解している相手の親は怒っている。そこで俺も怒りをあらわにして事実を明らかにした。「おまえらが踏切からレースして勝手に転けたんだろう」と問いただしたらガキの方が認めた。これで俺は無罪放免だ。一言も謝らずに俺は立ち去り病院にも行き相手の親に説明した。
心底、気分も悪ければ既に日没なので公園を探すのも困難な状況だ。駅前の軒先で一泊することにして「草津温泉」に風呂に入りに行く。打たせ湯もあれば露天風呂もある。しかもお湯は一応温泉だ。
この辺は川が地面より高いところを流れている天井川と言われる地形が多く、市内で数カ所ほど川の下のトンネルを渡る場所がある。つまり道路の上に橋があって橋の上に川が流れている不思議な光景なのだ。トンネル自体は極端に下って登らされるわけでもない。何とも不思議な景色だ。
駅前で寝ていたら再び職務質問だ。草津で警察の世話になるのも3度目だ。 |
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31日目 |
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草津 → 京都 → 西宮 → 神戸 |
119.50 km |
1996/09/03 |
昨日の走りと宿とハプニングに疲れていたが、ある意味怒りに燃えていた。さっさと草津を撤収して走り出す。今日は怒りに燃えている効果か30km/hを決して割ることない好調な走りだ。あっという間に大津を抜けて逢坂の関を越えて京都へ。東山で結構きつい坂を上り交通量の半端じゃなく多いトンネルを抜けると京都市内に出る。清水寺の脇を抜けて市街地へと向かう。京都で観光していきたい気持ちは山々だが、今回はとにかく日本縦断が目標なのでスルーだ。自転車で回るには最高の街だろうが、京都なら何度でも来るチャンスはありそうだ。
第2車線からウィンカーも出さずに俺を巻き込みかけながら左折するアホが居たりでさすが関西だといわんばかりのハプニングに巻き込まれたりしつつ、京都駅前を抜けて平塚から走り続けた国道1号線と分かれて、大阪市内をショートカットして行く国道171号線へ行く。京都の街に後ろ髪を引かれながら、どんどん南下していく。昨日の怒り効果は続いていてまだまだ30km/hを割ることのない走りが続く。結構、蒸し暑い炎天下だが体力のかげりは全く見えない。
大阪府に入ったところで昼食だ。ランチバイキング700円の看板があった。この際、スタミナを付けておこうと突撃。貧乏旅行の俺としては食い放題は助かる。お盆とお皿を持って一通り回り色々と盛りつけて食い始めたが、正直まずい。わんこそば150杯とかの記録を持つ俺でも2周目は突撃できなかった。何となく不完全燃焼だが元は取れたと思いたい。大阪大学の脇を抜けてついに兵庫県に突入。西宮で国道2号線に合流。下関までの長いつきあいになりそうな国道2号だ。今日の目標の神戸まで残り20kmあまり。これで今日は滋賀→京都→大阪→兵庫と4県目で関東160km走に次いで多くの県境を跨いだことになる。
神戸の市内は震災の影響か歩道の荒れた状況が見られるので車道を走り、神戸に到着。街を見渡す限り復興しているように見える。俺のセンター試験直後の悲惨な様子は表向きは見られない。ある意味、安心した。仮設だテント生活だと言ってる場所に野宿するのも気が退けると思っていたが、そういう状況でもなさそうだ。三ノ宮の駅前交番で銭湯の場所を聞くと一駅先の元町まで行かなければ無いとのことなので数km走って風呂に入り、コインランドリーで洗濯も済ませてキャンプへ。駅前の地図でぱっと見た限り大きい公園はメリケンパークしかない。行ってみると広々としていて海に面した公園である。ここに決めてしまおう。 |
日が暮れてくると、だんだんカップルの数が増えてきた。確かに海の眺めが開放的で気持ちいい公園である。周りのいろんなものがライトアップされ始めた。ベンチの上でスパゲティーを茹でながら食ってる自分が完全に浮いている。当然ながら土地勘の無い俺は昼間から夜の姿を想像できなかったのだ。「しまった・・・。」そんな気持ちに一瞬なった。
いやむしろこの状況を楽しめ と自分に言い聞かせるしかなかった。いっそテントをカップルに貸して商売でもしてしまうか。ビールが回ってしまった俺は調子に乗って夜景撮影という行動に出た。すぐそばのホテルと俺のテントは横から見た形が同じだ。こうなれば自棄だ。自転車の鍵だけしっかりかけてテントに入って落ち着かない史上最強の眠りについた。後に二組の知り合いがここで結婚式を挙げることになるとは想像も付かないアウェイの一泊である。そして「デートスポットキャンパー」の称号を手にしたのであった。そんな神戸メリケンパークの夜の風景を特設ページでお楽しみください。 |

神戸メリケンパーク
史上最凶のゲリラキャンプ
背景はオリエンタルホテル
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32日目 |
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神戸 → 明石 → 姫路 |
78.97 km |
1996/09/04 |
スッキリした朝だ。真夏の太陽に輝く瀬戸内海。すっかり落ち着きを取り戻したメリケンパーク。テントを撤収して出発。元町の商店街で朝食をとり出発。昨日、銭湯の場所を聞いた交番の人も含めて、とにかく街の人が全員親切で国道に戻る道を聞いても教えてくれる。国道2号を少し走り須磨まで来たところで、トイレ休憩。しかし駅にはトイレが無く、近所にコンビニも見あたらず探し回ってるとおばさんが話しかけてくれて、わざわざ近所の個人商店のようなとこに頼んでもらってトイレを借りれてしまった。こんな見るからに貧乏な旅人にでも親切なところを見ると神戸の一生懸命さが伝わってくる。心から完全な復興を願う。そしてまた観光に来たい。 須磨を抜けるといよいよ明石海峡大橋が見えてきた。スケールが大きく見上げてしまうほどの立派な橋だ。九州人のおなじみの関門海峡と比べてもケタが違う気がする。思わず見入ってしまうほどの規模だ。 |

明石海峡大橋(まだ建設中)
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そのまま明石の市街地の方へ抜けたところで昼だ。あまり走りが進んでいないが気にせず、名物の明石焼きを楽しむことにした。卵味の柔らかいたこ焼きでソースがかかって無くて薄味のだしに入れて食べる。上品でうまい。ソースいっぱいのタコ焼きも大好きだが、こんなのも乙でいい。サイクリストの俺には若干ボリューム不足の感もあるが、気分的には満足してしまった。
明石の市内で阪神大震災以来、地震発生時刻で止まったままの日本標準時を示す時計を目の当たりにした。資料館を見学しようとしたが震災の影響で閉まったままである。残念だが仕方がない。節々で震災の爪痕の深さを感じてしまった少し切ない阪神地方の観光となってしまった。 |

東経135度線 通過!
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そのまま明石を抜けて西に向かい、割とこじんまりしたブライダル都市・高砂などの町をぬけて姫路へ向かう。昼が若干物足りなかったので腹が減ってしまい、アイスで糖分を補給して本格的に休憩する。しかし、この休憩が命取りとなってしまう。姫路城に到着したのが16:05。姫路城は16:00までに入らないと見学できないのだ。ずっと山陽新幹線から見ていた世界遺産にも指定されている白鷺城こと姫路城は是非とも中を見たかったのだ。
今日は諦めて姫路城の近くの公園にテントを張り、明日の朝に行くことにした。開門が10時と遅いが仕方ない。最近、走るだけのツーリングになりつつあるので楽しみを織り交ぜないとやってられないし、せっかく時間を取って日本縦断している意味も無くなってしまう。ライトアップされてる姫路城の写真を夜景モードで撮るために三脚を取り出そうとすると、何と入ってない。昨日のメリケンパークに忘れてきたようだ。ショック。
諦めて眠りについた。楽しく暖かい思い出をありがとう そして復興に向けて頑張れ
神戸! |

日本標準時 明石天文台
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33日目 |
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姫路 → 相生 → 備前 → 岡山 |
99.45 km |
1996/09/05 |
昨夜、見学させてもらえなかった姫路城に開門一番で乗り込む。近くで見ても美しく迫力のある城だ。城の中は全体的に天井も低く感じる。昔の人のサイズで作られている。敷地内にはお菊の井戸やら古典が苦手な俺でも知ってるような有名所もある。すっかり城に魅せられて、出発。
少し遅くなってしまった分、飛ばしていきたい。しかし、古傷を抱えている左膝が悲鳴を上げ始めた。先々を考えると右足でかばうような走りをすると右も壊れて本当に走れなくなる。とにかくトルクかけすぎないようにギアを落として回転数だけで回していく。少し、リタイヤの予感もするほど刺すような痛みが襲いかかる。 |

世界遺産・姫路城
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膝の痛みもピークになったところでちょうど昼で岡山県に突入。相生のドライブインで意外とうまかった焼き肉定食で昼食を取る。休憩後は多少は痛みがゆるんだ。アップダウンがそれなりにある道になってきたが、アップは無理せずギアを落として慎重に走る。リタイアしたいわけではないが、どこかで膝が力尽きて走れなくなってしまう時、足が全く動かなくなるとき、どこかでリタイアを決断しなければならないときが来るのではないかという不安に駆られながら進んでいく。経験したことのない古傷の痛みに言いようの無い不安が襲う。 |
それでも、岡山まであと20kmの備前まで来た。備前焼の陶器でも見ていきたいところだが、今日は岡山の後楽園で観光したい。昨日の姫路城の二の舞を踏まないように最後の一踏ん張り岡山を目指す。ここからは膝の痛みも多少はおさまって、何とか16:00には岡山に到着。後楽園は17:00まで大丈夫なようで今日は間に合ったようだ。そのまま入場券を買って園内を散策する。広い芝生の日本庭園という感じで、日本庭園として想像していたこぢんまりしたわびさびよりは開放感を感じる庭園だ。抹茶と吉備団子をいただきながら庭園を眺めて膝にやられていた気分も多少楽になった。 |

日本三大庭園 後楽園(岡山)
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市内で遠目に岡山城も眺めつつ走り回ったが公園がみつからない。繁華街のすぐそばの人通りも多い公園で仕方なく落ち着くことにした。とはいえ、テント張りっぱなしでどこかに行ける雰囲気でもない。まずは少し粗末で貫禄のある銭湯で風呂を済ませて、鮨屋で名物のばら寿司とままかり寿司を食べに行く。鮨屋でバイトしていた頃のクセで、奥の厨房まで行ってしまいそうになるところを大将の威勢の良い声でカウンターの一番奥に止めてもらえた。ほんとは瀬戸内海の幸でお好みと行きたいところだが、俺は貧乏学生。名物だけぬかりなく食べて大将と話をして店を後にした。偉くなったらまた来いよ と言わんばかりに見送ってもらう。
市街地に見つけていた公園でテントを張り、ねむりにつく。しかし熱帯夜で全く眠れない。テントのファスナー全開にしてメッシュにしても風が全く通らない。蒸し暑い。汗が出てくる。蚊取り線香を焚いてテントの外で眠る。多少は吹いてくれる風のおかげで何とか眠れる。明け方になってようやく涼しくなってテントに戻れた。大胆な一泊であった。 |
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34日目 |
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岡山 → 倉敷 → 福山 → 尾道 |
101.21 km |
1996/09/06 |
完全な寝不足で岡山の猛暑に包まれる街を後にする。涼しげな川が流れているキャンプ場・・・ではなく公園だが日差しがまぶしい。猛暑の中をまずは倉敷を目指す。今日は美観地区なんかで観光もしていきたい。大原美術館も見ていきたい。新幹線で一駅あるのが信じられないほど近い倉敷にはあっという間に到着。
倉敷の市内は真夏の太陽に炙られて暑いが、涼しげな水郷と柳の木と古い町並みで風情がある。ただ、未だに夏休みは大学生しかいないはずの9月だというのに人でごった返している。いろいろな店に立ち寄りながら街を自転車で散策するのが気持ちいい。やはり荷物が多すぎて目立ちがちだが街と自転車というのは似合うものだ。広すぎて見切れない大原美術館を半分ほど観光する。何となく走りに焦り始めている俺は不完全燃焼のまま、倉敷を後にした。 |

倉敷 美観地区
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多少は回復の兆しもあった膝だが、午後の国道2号バイパスの走りで痛みが再発してきた。車からもらう風で前に進むものも、ケイデンスもあがらず、トルクも出ず、いよいよ苦しくなってきた。岡山県で最後の笠野を抜けて福山へ向かうわずかに上る県境の峠で痛みもピークに達してきた。力も入らないというより入れると膝が悲鳴をあげる。去年のツーリングで痛めた腰は何とも無いのに左膝というのが惜しい。限界もさほど遠くないのを実感する。標高差100mもない峠がこれほど苦しく感じるのも初めての経験だ。ペダルを止めれば自転車も止まってしまう。そんな苦闘を乗り越え、いよいよ県境が見えてきた。
「広島県 福山市」の看板をくぐり抜けると束の間の下り坂に入った。これだけ苦労して越えた県境だけに喜びはひとしおで、思わずガッツポーズが出てしまう。今回の旅で一番嬉しい県境だったとまで思える。下りに入って足を休める。福山をのんびりと通り抜けると、不思議と膝の痛みは軽くなってきた。福山城を横目に見ながら走り抜けて、尾道へ。
左に瀬戸内海と小さい島々が見える。前の方には向島に渡る尾道大橋が見えてきた。小さい海峡と渡し船と漁船たちが傾きかけた西日に照らされて何とも言えない風情を醸し出している。海のにおい、雄大ではなく箱庭のような海と湾と島、やや古い町並み、活気のある商店街、坂に密集した家々、なんとなく迷子になりそうだが迷子になるのが楽しみな街でもある。寝床探しにも苦労したが、何となく尾道を楽しめてしまった。
国道2号の車と夜通し走るJR貨物の音がうるさい公園で地元のおじさんと話が盛り上がり、帰られた後に眠りについた。尾道という街に旅の醍醐味を感じる。今度は一日かけてのんびり散歩したい。 |
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35日目 |
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尾道 → 東広島 → 広島 |
107.24 km |
1996/09/07 |
今日も良い天気だ。猛暑だ。昨日買っておいた広島名物の杜仲茶1.5Lをボトルケージに挿して出発。瀬戸内海を左に見る心地の良い道を走り、港町の三原を抜けて(当時、しまなみ海道は未開通)、東広島への峠の登りへ入る。暑さに咽も渇いてくるので、杜仲茶で乾きを潤す・・・ 俺の口には合わない。半端じゃなくまずい。漢方薬っぽいドクダミ茶とか大の苦手の俺には本当に文字通り苦い。
しかし、自販機もコンビニもないので代わりの水は無い。枯れそうになる俺を杜仲茶で我慢して潤す。よけいに咽が渇いてしまうような苦痛だ。20km近く走ったところで、ようやくコンビニがあった。水チェンジだ。夏の日差しで暖まってきた杜仲茶はさらにえぐみを増して飲めば飲むほど消耗する何かがある。やはり健康志向に入るには若すぎた。普通のウーロン茶に買い換え杜仲茶は処分した。
ドリンクが変われば、走りも変わった。東広島への峠はダラダラと緩く続いていく。峠は短く一気に登りたく長いのは嫌いな峠嫌いな俺としては苦痛だ。しかも炎天下で暑い。景色もなく標高もない坂をひたすら登らされていく。ちょうど昼で東広島の市街地にたどり着いた。とりあえず、今夜の資金をおろして昼食だ。定食屋で簡単に飯を済ませる。 |
少しリフレッシュしたところで広島市へ向けて進んでいく。あと40kmだが隣町の中心地でしかない。東広島から少し坂の続きを登ると、峠を越えて広島市に突入し、一気に傾斜が急になりカーブがいっぱいの下り坂だ。登った甲斐が十分にあったと思える走りで一気に下り、川沿いの道を緩やかに下って中心地へ向かっていく。残りの距離が30km,20km,10kmとグングン減っていく。15:00過ぎには広島の市街地に到着だ。
駅前で情報を収集し、寝床と風呂とお好み焼き屋を探す。寝床は広島市民球場のすぐ近くにあり、風呂も駅前に見つけた。コインランドリーも銭湯のすぐそばにあった。お好み焼きは八丁堀のお好み村で行きたい。すべてお膳立ては整った。神戸に忘れた三脚を市民球場の前のそごうで買う。少し痛いがそろそろ自分が写ってる写真も撮りたい。平和公園に行く。子供の頃以来で結構久しぶりである。
焼けただれた原爆ドームと平和の碑を見学し、平和に自転車の日本縦断の旅が出来る現代日本に感謝する。ドームの姿は今見ても痛ましい。戦争というのは日本がおかした最大の「間違い」以外の何物でもない。そんな暗い気持ちと厳かな気持ちを持って広島市内を走る。そして自転車で旅行できるほど平和な現代に感謝するとともに、この平和な日本と世界を維持しなければならない。 |

広島の原爆ドーム
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日が暮れて少し涼しくなった頃、風呂と洗濯を済ませてお好み村へ。ビルの中にお好み焼き屋が密集した感じの作りになっている。入ってすぐの店で香ばしいにおいに負けて席についた。まずは生ビールで咽を潤しながら焼けるのを待つ。テレビでは首位広島と0.5ゲーム差まで追い上げて迎えた巨人の広島市民球場直接対決の最終戦だ。今年は「メークミラクル」と言われて巨人が11ゲーム差を追い上げて0.5ゲーム差まで迫っている乱戦のセリーグだ。世界で一番巨人が嫌いなアンチ巨人で元広島ファンで現ホークスファンとしては広島に頑張ってもらいたいところだ。広島市民全員の夢を乗せた重要な試合だ。客の視線はテレビに集中している。そんな中で、俺の夢を乗せたお好み焼きは熱い湯気をあげて香ばしく焼けていく(それは言い過ぎだ)。焼く前のキャベツの量と焼きそばの量は渦高く、これがどこまでおさまってしまうのかという楽しみがある。それだけ中身が充実で栄養もあるということだろう。そして俺の期待を一身に集めたお好み焼きは焼き上がった。ビールもお代わりしてお好み焼きに手を付ける。地元の人たちはヘラで器用に食べてるが俺がやると崩れてしまう。無理せず箸でいただく。甘辛いおたふくソースが香ばしく、生地とキャベツとソバのバランスが素晴らしい。うまい。ビールによく合う。熱々のお好み焼きとキンキンに冷えた生ビール。走りに疲れた体と乾いた咽。最高である。
-以下、寝るまで野球です。野球に興味の無い方はごめんなさい-
すっかり満足して、夜の広島の街を走り抜けて、盛り上がりに盛り上がる広島市民球場の隣の公園へ。試合は11回と終盤で同点。歓声とため息が地面を揺らすほど盛り上がる。野球好きの俺としては試合が気になる。チャリステレオのラジオを入れて中継を聞く。テントを張りながら耳を傾ける。球場の生の興奮は伝わってくる。試合は盛り上がっている。試合は延長11回。ノーアウトランナー無しでバッターは今日同点2ランの松井。既に勝ちパターンの中継ぎ投手も使い果たしている。一打、逆転だ。そこで三村監督が指名したのは今季、怪我でシーズンを棒に振っていた抑えの左腕エース、ベテラン大野豊投手だ。少しためのあるピッチングフォームが美しく、人間的にも素晴らしい、俺の大好きな選手の一人だ。1球1球の盛り上がりが伝わってくる。俺も盛り上がる。そして松井のバットからは乾いた音がしてボールはフラフラとレフトへ上がった。レフトフライに切って取る。ワンポイント成功だ。その後、玉木があっさりと2アウト取って、勢いの付いた広島は11回裏に木田のワイルドピッチで野村がホームインしてサヨナラ勝ちを収め、1.5ゲーム差と首位を守り再び引き離した。球場と一体になって喜んだ。にわか広島ファンとしての幸せを味わえた。良い日に広島にたどり着いたものだ。野球トークが長くてごめんなさい。球場の興奮がおさまった頃、興奮と喜びに満ちて眠りについた。 |
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36日目 |
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広島 → 宮島口 → 岩国 → 熊毛峠 → 徳山 |
103.35 km |
1996/09/08 |
昨日の余韻と少し曇った空のギャップだ。テントを撤収して路面電車の軌道もあってガタガタの路面を走って市街地を去る前にコンビニで朝飯にする。昔、住んでいたこともある五日市の方へ向かって走る。小学校低学年時代はあんなに遠く感じていた五日市から広島市内は、あっという間に通り過ぎてしまう。それにしても原型がないほど変わり果ててしまっている。自然が豊かだった五日市はかなり都会化している。広く感じていた五日市を抜けて廿日市へ。
午前中は30km程度しか走っていないが、宮島口で海の向こうに見える厳島神社の鳥居を見て、名物の穴子飯屋で昼食だ。少しパサパサしてイマイチな感じに思えたが、穴子の味はおいしい。宮島は子供の頃に何度も行ったので、あえて渡らずに今回はスルーする。一応、遠目に厳島神社の赤鳥居が見えたので観光は終了。 |
寄り道することもなく、さらに西へ。岩国を観光して徳山ぐらいまでは走っておきたい。昔、遠足とか社会科見学で来たチチヤスヨーグルトの工場の前も抜けて、1時間ほどで岩国に着く。少し風情のある町並みと涼しげな川の流れを見ながら走っていると、錦帯橋が見えてきた。
5つのアーチから成る橋は芸術的で貫禄もある。もちろん風情もある。歩いて渡って橋を眺めながら休憩だ。大きくラウンドした橋はなかなか歩きにくい。清流と古き良き橋で見た目は涼しげだが、今日は残暑がまだまだ厳しい日である。少し暑いぐらいの日差しが似合う橋ではある。岩国の城跡でかき氷を食って少しクールダウンしたところで、さらに西へ向けて出発。 |

岩国 錦帯橋とランドナー
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岩国からの国道2号線は海沿いを離れて、ちょっとした峠とアップダウンに入っていく。昨日の東広島並にだらだらと登らされてしまい少し疲れてきた。タイミングよくセブンイレブンがあったので休憩だ。そこに久々にチャリダーが来た。話を聞くと長崎で結婚式に参加するために東京から移動していると言っていた。東北北海道を抜けてからはなかなか同業者を見かけなかっただけに嬉しく話は盛り上がってしまった。彼が先に出発し、俺も後を追うように出発した。すぐに、これも久しぶりに名前が付いてる熊毛峠を越えて、徳山へと下っていく。登りも緩ければ下りも緩いが長く徳山まではほとんどペダルを踏まなくても進んでいく。
徳山市内に入ると、先ほどのチャリダーに追いついた。彼はさらに西へ向かい、俺は徳山駅へ宿と風呂の情報を求めて曲がっていった。微妙に天気が悪いので屋根付きの場所を確保したい。いつものように駅前交番で銭湯情報を集めて探索する途中で、駅から距離はさほどなく公園も見つかった。予報では今夜は雨のようだ。それを予感させる蒸し暑さもある。だが、見つけた公園には屋根が付いてる東屋もあり雨もしのげそうだ。
風呂に入り、中国地方のコンビニ・ポプラで夕食を買って公園に戻ると雨が降ってきた。東屋の下で飯を食って、降りしきる雨に不安を抱きながらテントにこもった。そして眠りにつく。・・・・眠れない。暑い。テントから出て東屋内のベンチで横たわる。今度は蚊がすごい。耳にぷーんと飛んでくる。虫除けをかけれない場所はことごとく刺される。たまらずテントに戻ろうとすると、テントの位置に水たまりができて浸水している。蚊と格闘しながら外で寝るしかなさそうだ。刺されようと何だろうと疲れて眠った。 |
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37日目 |
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徳山 → 防府 → 下関 |
109.79 km |
1996/09/09 |
朝になっても雨は止まない。出発するのが面倒な状況だ。しかし、こんなとこで連泊する価値もない。荷物を撤収して徳山を出発。国道2号のバイパスで容赦なく坂を登らされて防府の街を左に見下ろす。相変わらず雨も容赦ない。本格的に雨の中を走るのも小田原-静岡以来だ。車やトラックの跳ね上げた水を容赦なく浴び、蒸し暑いゴアの下で汗をかきながら西へ向かう。何とか下関までたどり着きたいものだ。
しかし、次なる災難が俺を襲う。フリーホイール(リアのギア付近にありペダルが正転しているときは駆動力として働き、逆転または停止時は空転する機構)が不調で、ペダルを止めるとホイールが止まり空転してくれない。運良くドライブインの前だったので、そのまま自転車を降りて軒先に入れる。そこで自転車の修理を試みる。ホイールを外して、正転と逆転を繰り返してみる。そして、いつの間に治っていた。というより症状がでなくなっただけだろう。これで騙し騙し福岡まで走って修理したい。途中で何かあっても山口、下関、北九州と比較的大きい都市が続くので何とかなるだろう。意外と冷静かつ大胆な判断だった。
国道2号は高速道路のようなバイパスになり自転車は追い出された。容赦なくアップダウンを繰り返す側道を延々と走り続ける。雨も容赦なく降りしきる。心を無にして西へ向かい続ける。山口市を抜け小郡を抜けると、いよいよ下関へのカウントダウンのような距離表示が出てきた。着実に下関への距離を減らしていく。そして、久々に瀬戸内海を見た。山陰ツーリングで走った道が合流してきた。そしてついに、対岸に陸地も見えてきた。そう、それはもちろん九州だ。走る向こうには霧が掛かる白い大きな橋も見えてきた。関門橋だ。ようやく本州の完走が見えてきた。俄然、テンションは上がる。 |
相変わらず降りしきる雨の中、関門トンネル人道入り口と関門橋の下を通過し、下関市内へと進む。今日は渡らずに下関で一泊して明日にすることで決心。どうせなら天気が良いときに気持ちよく九州としての一歩を始めたい。下関タワーに登って関門海峡を眺める。天気が悪く眺望はイマイチだが橋の下を船が行き交う光景や船専用の信号など、見慣れない光景と向こうに見える九州の姿に達成感を感じる。次はあの九州の南の果てまで走りきってやる。そんな決意に満ちてタワーを降りる。 市内で寝床を探そうにも雨が相変わらずなので、すぐに駅寝に決定。駅に自転車を置いて風呂に入りに行き、軽く本州打ち上げをしにいく。フグの唐揚げとビールを夕食に追加して完走を祝った。ようやく長い日本縦断も完走へ向けて自信と手応えをつかんできた。飲み過ぎるほどの金もないので晩酌もそこそこに下関駅のバス停に戻る。カワイイがライトアップされてるせいでうなされそうなほど不気味なフグのモニュメントを見ながら眠りにつく。 |

本州 走破!! 対岸は九州
(山口県下関市 関門橋)
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38日目 |
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下関 → 関門トンネル → 門司
→ 福岡 |
98.47 km |
1996/09/10 |
朝には、昨日の天気が嘘かのように晴れている。濡れっぱなしの荷物を解体して少し乾かして、駅で朝食を食って出発…と思ったが朝食のパンを買った俺の財布には10円しかない。金をおろさないと関門トンネル人道を通れない。わずか20円が払えない。何か凄く敗北感があるが、俺は貧乏学生だ。仕方がない。ATMが稼働するまで下関駅で待つ。
金をおろして玄界灘と瀬戸内海の境を行き交う船達を眺めつつ、前に関門橋を見ながら橋のたもとの人道入り口に行く。今度は細かいのがない。一体俺は何をしているんだ。売店で買い物をして、小銭を作ってトンネルのエレベーターに突入。静かに深く下っていくエレベーター。扉が開くと、ちょっとした踊り場のようなスペースがあり、向こうには九州へ抜ける道が。まずはトンネルの中心に向かって下っていく。スピードは上がってしまうが、ブレーキでおさえながら下っていく。 |

人道トンネル 突入へ
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下りきったところで「山口県 福岡県」県境に到達。三脚をたてて写真を撮り、福岡に上っていく。この瞬間、九州に突入&本州完走である。喜びもひとしおだと言いたいところだが、昨日の時点で喜び尽くしているし、決意も新たになっている。あとは最終STAGEの九州を走り抜いて佐多岬まで行こう。それだけだ。
気合いの入ったままトンネル内の坂を上っていく。あっという間に、福岡県側のエレベーター入り口に到着してしまった。そこは、遠足の幼稚園児でごった返していた。子供の声援(?)の嵐だった。「うわぁすげぇ」「うわぁ黒い!(ほっとけ)」そんな数々の反響に見送られつつ、エレベータに乗って上がっていく。福岡県に入ったところで、今日の走りが実質始まったという感じである。昨日までマシントラブルにあえぎ、ヒザの痛みにあえいでいたとは思えないほど走りはいい。まあまあ好調である。九州上陸で少しリフレッシュしたような気分だ。 |

関門トンネル内 福岡-山口県境
さらば山口県 そして本州…。
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北九州の混雑を抜けて、国道3号線を快調に飛ばしていく。追い風であり、車からも風をもらえる。まさに風に乗って進んでいく調子である。もう9月だからか、体が慣れてしまったからか、暑さもカラッとしていて、今までよりは走りやすい。そんな絶好調な走りで、15:00には福岡市に突入。バイパスの国道3号線をガンガン進み、徐々に静岡→福岡STAGEの節目の実家が近づいてきた。
そして博多駅前を抜けて、いよいよ南区に突入。もう実家も近い。だんだん見慣れた景色になってきた。こんな重装備、日焼け、髭をたくわえた俺を見て、俺だと気付く人も少ないだろう。そして実家に到着。まずは福岡まで走り抜いた。節目としての満足感は十分にある。北海道から始めて、もう九州である。ただ、終わったという感覚は全く無かった。気持ちだけは次を向いていた。しかし、家には誰もいないので母親のパート勤務先に鍵をもらいに歩く。親ですら、俺に気付かないほど変貌を遂げていたようだ。
まず今日のところは、旅の話を少ししつつも、ゆっくり休む。 |
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・1996 夏 日本縦断C (静岡→福岡) |
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