旅記録

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・1996 夏 日本縦断@ (輪行 静岡→稚内)へ戻る
・1996 夏 日本縦断A (宗谷岬→函館)へ戻る
・1996 夏 日本縦断B (函館→静岡)へ戻る
・1996 夏 日本縦断C (静岡→福岡) へ戻る
・1996 夏 日本縦断D (福岡→佐多岬→指宿)
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39日目 福岡市内 27.24 km
1996/09/11
 親には「ここまで走ったんだから、もういいじゃない」と言われてしまうが、俺の気持ちは前を向いている。だが、一昨日壊れたフリーホイールの件もあるし、徳山のテント浸水の件もあるし、連泊してメンテをしておきたい。まずは福岡市内のプロショップと言われる自転車屋を当たってみるが、運悪く定休日だ。ほかを探してみたいところだが、俺には免許がない。諦めて、壊れないことを祈りつつ騙し騙し走ることにする。天神のアウトドアショップに行き、撥水剤を買う。実家の庭でテントのボトムとフライに塗って乾かす。多少、テントが重くなるぐらいしっかり塗り少し安心感が出てきた。
 親と近所に飲みに行き、明日以降の旅に向けて鋭気を養う。


   出発(北海道稚内市)から 3560.12 km

40日目 福岡 → 八女 → 山鹿 → 熊本 140.70 km
1996/09/12
 さあ、最終STAGE:九州の始まりだ。もう残りは少ないし、調子も上がってきたし、連泊で疲労も取れた。見慣れた道を高校に向けて、いやもとい、久留米・鹿児島方面に向けて走り出す。高校時代にさんざんサイクリングで走った道を南下していく。高校時代のサイクリングでは久留米までの道のりですら何度も休憩していたが、今はさらに先の八女までノンストップで進んでいく。恐ろしいほどの好調ぶりである。ツーリングマップを縦に1ページ半をぶち抜いてしまう快走だ。よく言えば快走であるが、悪く言えば単調なコースだ。これもいたしかたない。
 八女のコンビニで昼飯を食って、熊本県境に向けて、峠を徐々に登っていく。峠と言っても標高は200mにも満たないものなので、大してギアを落とさずに力強く進んでいく。そして右にパーキングが見えて、「小栗峠」の看板が見えてきた。いよいよ熊本県に突入だ。そして、走行距離もメモリアルを迎えようとしている。
 まずは、峠を越えて熊本県山鹿市に突入。まずは束の間の下り坂を満喫し、田んぼの真ん中の国道3号線を走っていると、いよいよ積算距離が9ばかりになってきた。9999.7、9999.8、9999.9 まずはここで写真撮影だ。そしてさらに、ゆっくりと進み、ついにメーターの画面は大きく変わった。10000! まだ、俺にとっては通過点にすぎない数字であるが、節目というのは嬉しいものである。このまま2万でも3万でも10万でも伸ばしていきたい。CATEYE CORDLESS2は積算距離が10000以上になると積算距離の最小桁が0.1kmから1kmに変わってしまうので、いったんリセットする。

積算距離 10000km 達成!!
熊本県山鹿市

 熊本市まで40kmあまりを、前半同様に淡々と走り抜いてしまう。景色自体は印象に残るものもなく、熊本市内に突入。何とか今日中に水前寺公園を観光しておきたい。そんな気分で、走りも好調で一気に熊本駅へ。水前寺は微妙に遠く片道10km弱あるようなので、まずは行っておく。姫路城のように時間切れクローズとなっては困る。車も人も多い街中を抜けて水前寺公園へ行くと、公園の中はしっとりとした日本庭園で池もきれいな感じである。しかも静寂がある。しかし園内から隣のビルが見えてしまっているあたりが残念だ。
 水前寺公園を後にして熊本市街へ戻る。熊本駅で情報収集し風呂は簡単に見つかったが、公園が全く見つからない。市内をかなり走り回るが、雨にも耐えられそうな公園は見つからない。結局、市内のめぼしい公園をまわりきったところで諦めた。熊本のバスターミナルが雨もしのげそうだし、バスも遅くまでは走っていないので何とか寝れそうだ。

熊本市 水前寺公園

 既に見つけていた銭湯で風呂に入り、コンビニ弁当で夕食を済ませて、バスターミナルに戻る。隅っこの近距離系の路線バスのベンチに場所を決めた。終バスが出て行くまで時間をつぶすべく、バスターミナル内にある小ぎれいな喫茶店でコーヒーを飲み、アイスを食べながら日記を書く。束の間の優雅なひとときである。
 最終バスを見送ったところで、ベンチの上にシュラフを広げて眠りにつく。・・・。蚊がブンブン飛んでくる。バスのロータリーを暴走族がまわってきた。そのまま寝る・・・。しかし寝れない夜は続く。


   出発(北海道稚内市)から 3700.82 km

41日目 熊本 → 八代 → 球泉洞 → 人吉 90.29 km
1996/09/13
 完全なる寝不足のまま朝を迎えた。警備員に起こされて追い出されるようにターミナルを出る。コンビニでパンを買ってターミナルのベンチで食べていると、地元のおじさんが話しかけてきた。ネイティブの九州弁がさっぱり分からない。俺はほんとに九州人なんだろうか・・・。雨が降っているので出発も面倒だ。
 うだうだしていたが、ゴアを着て意を決して出発。眠いけど頑張って走るしかない。目標は人吉だ。走り始めれば眠気もさめてきた。雨も徐々に小降りになってきた。い草畑を抜ける平地で単調なバイパスを南下していき、ついに八代にたどり着く。ここで、盛岡で国道4号線を走り始めて、1号線、2号線、3号線と2000km近く続いた一桁国道も終わりである。いよいよ日本縦断も終わりが近くなってきた実感が湧いてきた。まずは、ここまで無事に力強く走り抜いたことを喜ぶ。
 国道3号線を見送り、球磨川沿いの国道219へ曲がる。ここからは球磨川に沿って上り坂が続く。深い谷底を流れる川は静かで緑に囲まれて美しい。ようやく晴れてきた空に照らされている。一桁国道ばかり走ってきたので、こういう自然が豊かな景色も久しぶりな感じである。やはりサイクルツーリングは田舎に限る。あくまでも距離を稼ぐための一桁国道であり、醍醐味は田舎道にあるものだということを実感する。
 アップダウンしながら徐々に上っていく球磨川沿いの道を楽しみながら進む。昼過ぎに球泉洞に寄り道。鍾乳洞観光コースがいくつか選べるようになっている。当然、一番上の探検コースを選ぶ。これは入水鍾乳洞の探検コースのようにロウソク一本の灯りを頼りに歩いていって、最後の方は鍾乳石の隙間を抜けて地下水が流れるところをほふく前進で泳ぐなんていうマゾな展開も期待してしまう。ガイドとカップルと俺で奥へと進んでいく。ヘルメットを被ってヘッドランプを点灯させて進む。どこまで入っていくのか楽しみだ。いよいよ一般コースは終わり探検コースだ。いろんな形の鍾乳石と長い年月で自然にできたことにロマンを感じるが、コースの面白さはそうでもないところで引き返すようだ。ある意味では期待はずれだが、鍾乳洞好きにはたまらないほどの神秘的なものであった。
 続きの走りで人吉を目指して進む。もう20km弱を残すばかりである。多少、アップダウンをしながら徐々に川沿いに上っていく道を楽しみつつ、徐々にサラサラした清流になってきた球磨川の変化を楽しみながら走ると人吉に到着。地図を見ると温泉マークがあるので、風呂は安心である。人吉城跡に宿も決める。ちょっと古風な風情と清流のある人吉の街はなかなか雰囲気がいい。
 久々の温泉で風呂だ。やはり疲れはたまってきているのだろう。普通の風呂と温泉では疲れの取れ方が目に見えて違う。風呂はできるだけ温泉にする。これは重要だ。わが家(といっても独身だが)の家訓にしよう。城跡で夕食を作って、球磨川から来る涼しい風を浴びて癒される。この涼しさがありがたい。とはいえ、もう9月だ。


   出発(北海道稚内市)から 3791.11 km

42日目 人吉 → えびの → 霧島温泉郷 → 国分 102.97 km
1996/09/14
 暑さに蒸し出されて目が覚める。やはりテントを張る場所を考えるべきだ。サラサラと涼しげに流れる球磨川であるが日差しは夏の九州だ。テントを撤収して人吉駅に行き朝飯を食う。せっかくなので駅弁の鮎寿司を頂く。酢で締めた鮎だが、香りもよくうまい。人吉名産の木炭を待合室の片隅に積んであり、「日本一 空気のきれいな駅」と書いてある。まあ、そうかもしれないが・・・。
 今日は、いきなり上り坂が始まる。宮崎県と熊本県の県境に向けて上っていく。走行計画を北海道から順に立ててきたので、こんな南の端の方は計画たてるだけで疲れてルートのチェックが甘かった。かなり、きつい峠だ。標高も700m近くあるではないか。これは鈴鹿峠よりも遙かに上だし、箱根峠より多少はマシなぐらいのボリュームだ。まあ、上れないレベルの峠ではないと思うので諦めて頑張る。昨日の温泉効果もあって、わりと足は軽い。

人吉駅 日本一空気のきれいな駅

 途中、ループ橋もある。登りのループ橋はきついだけだが、多少そこだけ人工物だけあって傾斜が緩くなっているのは助かる。1時間強で越えて長いトンネルを抜ける。結構、交通量は多いが下り坂が始まっているのでリフレクタランプを点滅させながら流れに乗って走る。トンネル内で宮崎県に突入!そして、トンネルを抜けるとそこは・・・
 えびのを見下ろして向こうに霧島を眺める大絶景が広がっている。もちろん、カーブがガンガン続く楽しい下りも付いている。こんなに気持ちがよく下り甲斐のある峠は久しぶりである。下りには上りより規模が大きいループ橋がある。チャリを倒しながらカーブを高速でまわる。かなり、満足させてもらって峠を下りきった。そして峠の下のえびの市を抜けたら、いよいよ最後の県・鹿児島県に到達。ついに日本縦断もここまで来た。渾身のガッツポーズで県境を通過する。県境を越えるたびに突き上げてくる達成感、これがロングツーリングのよろこびである。

堀切峠へのループ橋
(熊本県 人吉市)

 ここからは道が複雑なので間違えずに行きたい。南下する途中の吉松町で、北緯32度線を通過。宗谷岬は北緯45度よりも北である。俺の走りはもはや地球規模か、と勝手に思ってしまうが、北緯にして13度も走ってきたのかと思うと、改めて旅の長さを感じる。振り返っても今回の旅は長い。旅というのはあっという間に終わったというのがいつも思うことだが、今回は本当に長い。佐多岬は北緯31度線のちょっと南なので、北緯にしてあと1度分走ればいい。逆に、これまでの道程の1割近い13分の1も残っているのか!と思ってしまうとげんなりする。受け止め方はそれぞれである。
 のどかな道を進み、霧島温泉街を川沿いに下っていく。国分で錦江湾に出るまで、ずっとこのまま行けばいいな♪と甘ったれたことを考えながら、気持ちよく下っていく。少しひなびた温泉街というのも、いい。ただ、今回は寄り道はしないでいく。
 夕方には国分に到着。ここまで走れば十分だろう。洗濯もしたいので、ここで宿る。風呂は国分温泉であっさり決定。コインランドリーも見つかった。すぐ隣に芝生の公園もあった。いつも通り、買い出しして風呂に入りに行く。今日も温泉である。露天風呂があるような派手な温泉ではないが、体の疲れをすっと抜いてくれるだけの癒しがある。やはり、サイクリングの後は温泉に限る。

北緯32度線 通過!
鹿児島県吉松町

 飯を作りながら、コインランドリーで洗濯をする。24時間営業で立派なベンチもあり、下手すると泊まれてしまうんじゃないかと思うほどのものだ。だが、テントを張ってしまったので公園で泊まる。鹿児島県までついに来た。この満足感と残り短い佐多岬への思いを胸に眠りにつく。ていうか鹿児島は熱帯夜だ。暑い・・・。


   出発(北海道稚内市)から 3894.08 km

43日目 国分 → 垂水 → 鹿屋 77.23 km
1996/09/15
 暑い。今日もテントに蒸されて起きて、撤収。大隅半島へと進む。錦江湾と桜島の眺めが最高である。活火山のゴツゴツした赤茶けた複雑な稜線を見ながら、徐々に桜島に近づいていく走りだ。多少、海沿いでアップダウンしながら気持ちよく走っていく。フェニックスが生えていたり、ハイビスカスが咲いていたりで南国ムードが満点になってきた。熊本より南に行ったことが無かった俺には見慣れない風景であり楽しい。
 溶岩流れてきた後や、海に流れ込んで固まったような跡をみながら、桜島の噴火のすさまじさを時間しつつ桜島のわきを南に抜けた。しばらくは俺の背後からプレッシャーをかける桜島いや俺の背後を見守る桜島と錦江湾を眺めて走る。竜ヶ水でおいしい水を飲み、飯を食って鹿屋を目指す。

桜島の眺め

 静岡に忘れてきたライトを買っておかないと、夜中の佐多岬突撃ができない。鹿屋に向けてきつい上り坂が俺を待ち受けていた。坂の上には国立の体育大学の鹿屋体育大学がある。さすが体育大学だ。大学までの道のきつさは静岡大学の定年坂の比ではない。ボリュームが違う。
 峠を1個越えると鹿屋の市街地に到着。少し早いが佐多岬で感動する体力を温存するために鹿屋で宿にする。ナイトランは全くしていないのでライトが無い。そこで、自転車屋に立ち寄ってライトを買う。俺が使ってるたのと同じタイプがあったのでブラケットもそのままに取り付ける。これで佐多岬のナイトランも安心だ。
 鹿屋市内の温泉で風呂に入るが、サッカー少年が大量に入ってきていて、芋洗い状態で楽しめない。残念だ。観光ホテルの庭っぽい公園にテントを張って、自炊する。青い森公園、メリケンパークに次ぐ、度胸満点のキャンプだ。芝生、目の前の滝、観光旅館、当たり前すぎて「キャンプ禁止」とはどこにも書いていない。野菜炒めと御飯で夕食を食っていると、いろんな人から話しかけられる。佐多岬のゲートの情報なども得られた。出口と入り口だけじゃなく真ん中に1個あるらしい。有効な一泊であった。
 明日は佐多岬の寸前まで行って一泊だ。いよいよ日本縦断も完走が見えてきた。また決意を新たに眠りにつく。

   出発(北海道稚内市)から 3971.31 km

44日目 鹿屋 → 根占 → 佐多 62.58 km
1996/09/16
 相変わらず目立つ俺のテントには人並みが絶えない。それでも、こんなワガママキャンプの俺を応援してくれる声が多いのはありがたい。その声援には応えて、佐多岬まで走り抜きたい。そんな決意を持って出発。昨日は距離が短かったので、足もまだまだ元気である。昨日の鹿屋体育大学の坂だけは回避して、また南へと向かっていく。
 1時間弱ほど走ると海沿いの道に出た。昨日までは遙か遠くに見えていた、開聞岳がだんだん近くに見えてきた。海の向こうの山だが、結構大きく見える。もちろん背後には桜島が見える。錦江湾とトロピカルムードの海岸道路と桜島と開聞岳という贅沢な展望を満喫しながら、微妙にアップダウンするワインディングロードを南へ南へと向かっていく。佐多岬までの距離を示す看板も徐々に数字が少なくなってきた。ペースも上がっていく。

鹿屋市内 豪華で大胆な一泊
(皆さんは真似しないように)

 大根占を抜けて根占まで行ったところで昼食と買い出しをする。もしかすると、ここのA-COAPが最後のスーパーかもしれない。本土最南のスーパー!? という感じの表示はどこにもない。とは言え、今日はじり貧キャンプになるのは目に見えているので確実に買い出す。佐多町に突入し、今日の目的地までの最後のアップダウンを踏ん張ろうと気合いを入れる。
 そして、いきなり急な坂が始まった。覚悟はしていたが最後の山場だ。少しトロピカルなムードに時々見える開放的な東シナ海。峠を越えて尾根沿いのアップダウンを走る。もはや疲れなんてものは忘れた。
 最後の下りを攻めると、右折路があり、大きなゲートのある佐多岬ロードパークが見えてきた。もしやと思いゲートに行ってみたが、やはり自転車は走れないようだ。歩行者も禁止だ。でも日本縦断でマスコミに取り上げられるほどの有名な小学生は通すのだ。貴重な日本の最南端の地を私有地として占有し車以外には一切開放しないわりに佐多岬を宣伝できそうな有名人のみを優遇する岩崎産業を心から非難します。さっさと経営放棄して佐多岬ロードパークを単なる公道として開放してください。
 諦めて、休みの近所の小学校の校庭で飯を作る。しかし、あっさりと用務員に追い出されてしまった。漁港の近くの広場にテントを張ると、もう一人のサイクルツーリストがやってきた。一緒に飯を食いながら、ここまでの道のりを振り返る。創価大学サイクリング部でキャノンボールランで日本縦断していて、まだ数人来るようだが、先頭から2位らしい。一日150km近く走りつつ日本海側と九州東岸と最短コースで貫いてきた精鋭だ。
 朝も早いので眠りにつく。結構な熱帯夜だったので波の音を聞きながら、空を見ながら眠りにつく。星の数が半端じゃない。本土の最南端ともなると民家も少なく周りは海に囲まれているので空が暗い。暗い空に無数の星が浮かぶ。流れ星もいくつともなく目の前を通り過ぎる。最後の夜に素晴らしいものを見た。しかし、蚊が多くなってきたのでテントにもぐって眠る。

   出発(北海道稚内市)から 4036.59 km

45日目 佐多 → 佐多岬 8.62 km
1996/09/17 佐多岬 → 佐多 → 根占 , 山川 → 指宿 49.81 km
根占 → 山川
 朝4:30 目覚まし時計は鳴った。あまり眠った気はしないがしゃきっと目が覚めた。もう一人のサイクリストはやっと目が覚めたようだが、のんびりしている。ゴールの瞬間は一人で迎えたい気分だったし、気合いが入っていたので俺は先に出発した。まずは、荷物の無い軽いランドナーを持ち上げて料金所のゲートを乗り越える。真っ暗でセンターラインしか見えない道を走る。暗いので上り坂の感覚も足でしか感じられない。うっそうとしたソテツの林からは猿が走り回るガサガサとした大きい音と、猿の叫び声が聞こえる。この感覚は怖い。猿に食われる! そんなおびえる草食動物の気分だ。
 たくましく坂を上り、トンネルを越えると2つめのゲートだ。ここも落ち着いて乗り越える。そして坂を下って上ってというのを繰り返していると、北緯31度線の記念碑を通過した。さらにアップダウンを耐えると、遊覧船サタデイ号の乗り場を過ぎて、最後のゲートだ。ここも落ち着いて自転車ごと乗り越えて、また上り坂を上っていく。

北緯31度 通過!

 そして、道は料金所のある歩道のトンネルに突き当たる。車やバイクはここまでのようだ。トンネルを抜けると、またうっそうとしたソテツの林があり、遊歩道になる。遊歩道の手前に自転車を置いて、ライトを自転車から抜いて懐中電灯代わりにして歩き出す。日本縦断自転車の旅はここに極まった。ソテツの林の中の神社の前を通り過ぎ、左右が切り立った崖の上の遊歩道を歩いて、さらに進む。ちょっとした階段を上った先に…
 「本土最南端 佐多岬」の看板が俺の目の前にある。その向こうは真っ暗な海と佐多岬灯台。朝5:10 ついに 日本縦断完走だ!! 喜びと安堵の感情が入り交じっているが、南には何もない真っ暗な海を眺めていると、純粋な喜びの感情がわき上がってきた。渾身のガッツポーズやら絶叫やら体が動いてしまう。この旅は本当に長かった。春の静岡→福岡などとは比べものにもならない程の達成感と喜びがある。

本土最南端 佐多岬 到着の瞬間!

 本当に走ってきて良かった。ヒザの故障やトラブルなどにも途中でやめなくて良かった。そして、俺の旅を目に見えるところで支えてくれた人たち、陰で支えてくれた人たちへの感謝の気持ちもある。そんな感じで出会った人たちに報告したい。
 しばらく余韻に浸っていると、もう一人のサイクリストも到着した。彼の方は冷静だったが、喜びと安堵の気持ちが隠せない。海も日が昇ってきて明るくなってきた。複雑な地形が広い海につきだしているので、岬からの海の視界は広い。お互いに写真を撮りあい、ジュースで乾杯する。この満足感は何にも代え難い。
 長い長い旅を終えた二人の足取りは、一気に疲労が来てしまったのか覚束ない。本当に気も力も抜けてしまったようだ。

佐多岬からの眺め
 抜け殻になった俺たちは、朝日に照らされる夜中に走り抜いた佐多岬ロードパークを、まったりと戻っていく。こうして明るくなって見てみると、トロピカルな雰囲気も満点でアップダウンも結構多い。そして道の端は崖に面していて吸い込まれそうになる。ガードレールらしきものも無い。考えるとぞっとするものがあるし、暗さとラストの必死さだけに、きつさを忘れた感もあったようだ。そして、ゲートが開業する前にテントへ戻ってきた。隠密行動は成功に終わりトラブルも無く無事完走を果たした。
 俺は朝飯にスパゲティーを茹でて食い、始発のバスで佐多岬へと再び向かった。本土最南端到達証明書を買いたいからだ。ハワイアンのようなBGMが流れるバスに客は俺しかいない。

佐多岬ロードパーク
一日でも早く開放してもらいたい道だ

※2013年1月時点で町道となり無料化
自転車・歩行者も立ち入り自由
結構アップダウンもカーブも多いワインディングを走るバスに揺られ、運転手も観光スポットの「ここが北緯31度線です」なんて言ってるが、夜中に自走で行ってるので盛り上がらない。そして、佐多岬の駐車場にバスは到着。15分程度の待ち時間の間に佐多岬へと観光してくる。夜中はタダで通り抜けたトンネルで再び入場料を取られる。せっかくなので真っ昼間の佐多岬へ再び行く。そのまま往復してトンネルの売店で到達証明書を3部買う。またバスでゲートの前に戻り、到達証明書をもう一人のサイクリストに渡し、彼は輪行して、そのバスで帰っていった。
本土最南端 到達証明書
 気の抜けた俺だが、テントを片づけて撤収する。だんだん日差しがきつくなり出掛ける頃には猛暑になってきた。昨日、勢いよく下ってきた坂を再び上って、やや覚束ない足取りで峠を越え直す。とにかく頑張って走らないことには、大隅半島の南の端では電車も通っていないし帰る手段もない。せっかくなので、日本最南端の駅の西大山にも行っておきたい。そこから輪行して鈍行輪行の日本縦断も達成したい。それが今年の夏の目標だ。目標を設定し直して気合いを入れて走る。とはいえ、もうウィニングランという雰囲気すらある楽しさだ。
 根占からフェリーに乗り、薩摩半島の山川へと向かう。さすがに自走で錦江湾を回って指宿まで行く元気はない。穏やかな薩摩湾を渡るフェリーで絵はがきを書き上げて、薩摩半島の山川港へ上陸した。まずは指宿まで走って一泊したい。大隅とはまた違う南国ムードな道を走っていると、「日本最南端の有人駅 山川」という看板が出てきた。せっかくなので写真を撮る。記念入場券みたいなものは売っていなかった。
 指宿市内に着いたところで、疲れが出てきているのでキャンプは面倒だ。もう宿を取ってしまうことにした。稚内以来の有料宿だ。結局、フルキャンプ・フル野宿ほかは親戚の家や自分の家だけで日本縦断を果たしたことになる。これもよくよく考えてみると快挙だ。圭屋YHは指宿温泉だけあって、しっかり風呂は温泉だった。久々に旅人が集っている雰囲気の宿に入り、日本縦断を終えた俺と、まだまだ旅を続けている人たちで会話は盛り上がった。たまには宿で旅人とコミュニケーションを取ることも重要だ。
 心から満足し、生まれて初めて6つに割れた腹筋と2つに割れた大胸筋をもつ少したくましくもなった自分の心と体にナルな部分も覚えて日本縦断完走の記念すべき長い一日を終えた。

   出発(北海道稚内市)から 4095.02 km

46日目 指宿 → 池田湖 → 長崎鼻 → 西大山駅 40.17 km
1996/09/18 西大山 −指宿枕崎線→ 枕崎 → 指宿 → 西鹿児島
 興奮の一夜を明けて、まったりと他の旅人と話しながらの朝食だ。御飯とおかずと味噌汁のついてる朝飯なんて、久しぶりな気すらする。指宿の明るい日差しの下でチャリに荷物を積んで、最後の目的地とウィニングランに向けて走り出した。まずは指宿から池田湖に向けて峠が始まる。もうガツガツと走る気もなく、ひたすら楽しんで上っていく。あれほど嫌いだった上り坂も何となく楽しく思える気持ちである。
 ハイビスカスが咲き誇り、見るからに南国っぽい坂道を登り切り、坂の下に池田湖を見下ろしながら下っていく。もはや怖い物は何もなく、久々に70km/hを越えて坂を下っていく。池田湖へと落ちていくような下りが最高に気持ちいい。意外とこじんまりした池田湖の周りを走っていると、そこら中に「大鰻」の看板があり、土産物屋で飼育されている。そのうちの1軒に立ち寄って鰻を見物する。長さが1m50cmぐらいあって、太さも俺の腕以上にある。でも顔は少しかわいい。次にふと土産物を試食して回っていると、かるかんに目がとまった。猫まっしぐらのかるかんではなく、山芋を蒸した饅頭で鹿児島の名物だ。もっちりふっくらした生地とあんこが美味である。やや日に焼けた店員さんに珍しがられたついでに買っていった。意外と、この辺ではサイクリストやら日焼けした奴やらはウケがいい。池田湖バージョンのネッシーのイッシーに跨って写真を撮ったところで、大鰻やイッシーなど謎の生物のロマンあふれる池田湖をあとにした。
池田湖 イッシーと俺

 次は薩摩半島の突端の長崎鼻へ向かう。ハイビスカスの咲き乱れる岬と海の向こうの屋久島や佐多岬の眺め。真っ青で広い海が気持ちいい。やはり南国の海という感じがする明るさである。すぐ目の前にはきれいな稜線の開聞岳がそびえ立つ。まさに薩摩富士と言うたたずまいである。富士山より形がきれいかもしれない。そんな南日本のハイライトとも言える景色を眺めて、いよいよ今回の旅のゴールである西大山駅を目指していく。とは言え、距離にして5kmもない。
 少し坂を上りつつ田舎道を走り、いよいよ西大山駅へ左折する看板がみえてきた。少し砂利の駅前、向こうに見える開聞岳、ちょっと沢庵臭い空気、素朴な無人駅のホーム。ついに日本縦断の完走である。日本最南端・西大山駅に到着である。鉄道日本最北端・稚内駅を起点として走り始め、日本最北端の宗谷岬へ行き、日本を縦断して本土最南端の佐多岬へ行き、日本最南端・西大山駅から輪行する壮大な走行は終わった。心の底から達成感と満足感がこみ上げてくる。
 しかし、俺の旅というものにとって「日本縦断」は始まりに過ぎない。今回の完走も節目であるものの通過点である。もっといろんな場所を走りたい。高い場所にも挑戦したい。本土最南端ではなく日本最南端まで行きたい。最東端も最西端も極めたい。全都道府県走りたい。いつかは海外にも挑戦したい。まだまだ走りたいモチベーションや夢のようなものも同時に湧いてきた。
 駅のホームで写真を撮って、せっかくここまで来たので福岡方面へ帰る列車ではなく、この線路の端っこである枕崎へ向かう列車を待つ。1時間近く待ち時間がある。輪行してみると、ここまで酷使した自転車は部品が錆びてきてハンドルが簡単に抜けない。完全にグリスが切れてしまっていたが、何とか引っこ抜いてバラバラにした。ちょうど、列車が来る直前にカップルが記念写真を撮りに来た。俺がカメラを構えて撮ってあげた。列車に荷物を載せていると、自転車だけをのせて他の荷物を残した状態で勝手にドアを閉められて出発されてしまう。カップルがあわてて電車を止めてくれた。カップルには感謝したいし助かったが、何も考えていない運転手に対して腹立たしい。

今回の旅の終着点
日本最南端 西大山駅

 もう青春18切符シーズンは過ぎているので、次に停車した駅で整理券を取って一応金を払う気で枕崎へ向かっていく。開聞岳のわきを抜けて、海を眺めながら西へ向かっていく。旅情のある素朴なローカル線に揺られ、そろそろ日が傾きかけた海を見ながら「終点」へと進んでいく。この寂しさが旅の終わりを象徴する。
 薄暗くなってきた枕崎の駅に一度降りたが、お金を払う機会もなく、西鹿児島までの切符を買ってから、また電車に乗り込む。今度は、細身で綺麗なお姉さんと話が意気投合した。南国らしく少し日に焼けた筋肉質で明るい感じの年上の少し格好いい雰囲気すらある女性である。よくよく話を聞いてみると指宿でエアロビのインストラクターをしているそうである。何となく納得してしまう。指宿での乗り換えのついでに街中の居酒屋で夕食を御馳走になる。かなり、楽しい旅の最後の夜である。
 もう体も完全にできあがっているおかげか、すべての荷物を一気に持って階段を上っても、多少酒が入っていてもきつくない。指宿発 西鹿児島行きの最終に乗って、西鹿児島へ向かう。また、静岡へ向けての長い鉄道旅が続くが、今夜は西鹿児島あたりで野宿して明日は博多という予定である。実家や俺を応援してくれた友人にテレカが尽きるまで電話した。俺の完走を喜んでくれる声が電話越しにいっぱい聞こえて、心から幸せな気持ちになれた。そして、駅前にシュラフを広げて眠りにつ・・・こうとしたら、お巡りさんから職務質問を受けた。もはやご愛敬である。

   出発(北海道稚内市)から 4135.19 km

西鹿児島 −鹿児島本線→ 川内 → 出水 → 熊本 → 大牟田 → 博多
1996/09/19
 朝まで静かな西鹿児島駅前で目が覚めた。駅の売店でかるかんを買って、切符を買う。博多まで乗車券だけと言ってるのに特急券を作りかけていた。残念ながら特急に乗る金はないし、鈍行での日本縦断もテーマなので乗車券のみだ。そして売店でスポーツ新聞のコーナーを見ると「野茂 ノーヒットノーラン」が一面だ。電車に乗り遅れそうなので購入は見送ったが気になる。ひたすら単調な鹿児島本線に揺られながら北へと帰って行く。
 最初の乗り換えは川内である。ここで途中下車して朝食とスポーツ新聞を買う。やはり本当にノーヒットノーランだったようだ。電車は単調に北へと進んでいく。もはや静岡→稚内ほど長い旅でもないので気楽だ。出発から6時間あまりで昼過ぎには博多に到着した。親に迎えにきてもらって車のトランクに輪行袋を入れて家に帰る。ようやくつかの間の「夏休み」が始まった。充実感と疲れからか実家では何もせずのんびりと過ごして夏は終わっていく。

博多 −鹿児島本線→ 小倉 → 下関 −山陽本線→ 広島 → 岡山 → 姫路 −東海道本線・新快速→ 米原 → 浜松 → 静岡
1996/09/25
 俺の旅と生活を見るに見かねた親から新幹線代はもらえそうだったが、ここは旅の「目標」というものを改めて思い直して、鈍行で帰る。博多駅に自走で行き、自転車をばらす。9月もおおづめとなり、やや涼しくもなってきた。まだ暗い朝4:30には作業が終わってしまい、5:30の始発まで時間がある。コンビニで手を洗って立ち読みして、帰りに読むための雑誌を買って電車に乗り込む。このルートも春の山陰の帰りと同じなので、単調である。ただ、日本縦断とほぼ同じルートの線路なので旅を懐かしみながら帰って行く。そして、夜には静岡に到着。
 静岡駅前で自転車を組む俺の背中には、涼しい風が吹いていた。まだ蒸し暑かった出発から、こんな時期まで旅を続けて来た長さを改めて感じる。そして、その冷たい風に去りゆく夏と終わりゆく旅の寂しさを感じた。その満足感とサイクリング部から完全に独立して達成した快挙に孤独感も感じて俺の夏は終わった。

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