・1996 夏 日本縦断@ (輪行 静岡→稚内)へ戻る |
・1996 夏 日本縦断A (宗谷岬→函館)へ戻る |
・1996 夏 日本縦断B (函館→静岡) |
・1996 夏 日本縦断C (静岡→福岡) へ進む |
・1996 夏 日本縦断D (福岡→佐多岬→指宿) へ進む |
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13日目 |
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函館 → 大間 |
1996/08/16 |
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大間 → 大畑 → 恐山 → むつ |
104.90 km |
台風一過で、スッキリと晴れた。わくわくしながら、チャリに荷物をパッキングし、函館港に向けて出発。昨日は丸一日に渡って欠航していたせいか、青森行きのフェリーは混雑していた。そんな列の中、数少ない「大間」へのフェリーの搭乗手続きを済ませる。大量に並んでいる青森行きのターミナルを横目に乗り込む。そうはいっても大間行きも船は小さいものの車は満杯になった。
あっという間に大間に到着してしまった。ゲートのすぐそばに陣取れて、すぐに颯爽とフェリーを飛び出す。滑りそうな金属のブリッジの上を抜けて本州へ上陸。第2STAGEの始まりだ。あえて大間に降りた理由、それは本州最北端から本州縦断を始めたかったからだ。台風一過の風と白波立つ津軽海峡を見ながら大間崎へいく。最果てっぽい石碑があり、その向こうには鮮やかな灯台と北海道が見える。海は荒れているので海には入らなかったが、ここでも女の人に頼んで「北」の字を作る。見た感じ年は近く、かなり綺麗で可愛らしい外国の人で最高の形の「北」になったが、彼女は日本語が分からないので、写真の意味を理解してもらうのに、ボディーランゲージと「ノース」の連呼で人文字を説明した。ここでも最北端到達証明書を買って、追い風に乗って南へ向かった。 |

本州最北端 大間崎
北の字ご協力ありがとう!
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アップダウンもほとんど無い道を快調に飛ばす。大間で昼食を買わなかった俺が失敗だった。大畑までの道に店も自販機も無かった。ひもじさに耐えながら走りつつ途中で見つけた商店で食パンとソーセージを手に入れて、岸壁に腰掛けて海を眺めながら食べて何とか腹を満たす。台風一過で白波立つ太平洋を眺めながら、食う貧しい飯もなかなかうまい。ちなみに財布には小銭しかない。金も下ろしておきたいが、ATMのある農協も銀行もない。不安になりながら南へと走ると、大畑の街中は多少栄えていた。ここで買い物も済ませて金もおろしていく。ローカルな雰囲気の街がオアシスに感じる。
大畑を出ると、恐山と薬研温泉への上り坂が始まった。今度は風向きが悪く、先ほどから続いている台風一過の風が向かい風として襲いかかる。しかも西に傾きかけた日と台風に洗い流された空がまぶしい。とはいえ、昨日は全く走っておらず体力も有り余っているので、登りも絶好調だ。薬研温泉で混浴露天風呂を満喫したい気持ちは山々だが、もう少し距離を稼ぎたいので、横目に見つつ左折。ここからはワインディングも多少本格的になってきた。風はようやく止んだ。天気は相変わらず抜けるような青空でまぶしい。気持ちいいほどのワインディングを登る。 |
登り切ると、いきなり景色が奇妙な感じになってきた。不気味な形の山と湖。アーチ型の橋。立っている仏像と山門。そう、恐山だ。せっかくなので拝観料も払って散策してみる。カラカラとまわるたくさんの風車、硫黄を含んで生物が一切ない地面、ゴツゴツした岩肌、気持ち悪いほどにきれいな湖。きれいな形の山。何となく不気味な感じはある。ただ、天気がよすぎるせいか、心霊スポットっぽさは全くない。少し気持ち悪い取り合わせにとりあえずは満足である。山門の前で売っている「霊場アイス」を買う。薄くリンゴの味のついたシャーベットっぽいアイスである。どうせならもう少し味が濃くてもいいような気もする。
そろそろ日が暮れそうな恐山を下る。下る途中に地獄のXX丁目とずっと等間隔に書いてある。何かに取り憑かれそうな気すらしてしまう演出だ。深い森の道、かなり長い下り坂だ。俺はこんなに登ったっけ?と疑問に感じるほど長い。果たしてここは現世なのだろうか。そろそろ日が暮れそうな暗さでむつに到着。さっさと駅をまわって公園を探す。こんな時に限って良い公園が見つからない。風呂はすんなりと見つかったのだが、寝床だけが見つからない。
すっかり日が暮れたむつを走り回る。盆踊りやら何やらでにぎわう街を抜けたはずれに、運動公園を見つけた。ここで何とかテントを張れそうだ。祭りでにぎわうむつの街で風呂に入り、祭りの露店で飯を買い、その場で食ってテントへ戻る。本州の初日もきつさそこそこ楽しさそこそこの順調な一日として終わった。 |

恐山 山門と宇曾利山湖を見下ろす・・・
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恐山 宇曾利山湖 極楽浜
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14日目 |
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むつ → 横浜 → 野辺地 → 青森 |
109.94 km |
1996/08/17 |
思いのほかよく走った昨日の疲れを若干残して、今日もよく晴れた空の下で撤収。日本縦断でもなければ、もう少し下北半島で遊んで行きたいところだ。尻屋崎とか仏ヶ浦とか脇ノ沢とか行ってみたいし、恐山もよかったし薬研温泉も寄っていきたいので、いつか再び来たい。そんな寂しさに後ろ髪を引かれつつ、意外と栄えていたむつの街中を抜けて下北半島の斧の形の柄の部分へ進む。
海は見えないが海の香りが漂う松並木の真っ直ぐな国道を真夏の日差しを浴びながら南下する。かなり田舎だが横浜という地名の町を抜けていく。今日は暑いが追い風で調子よく進んでいく。そんな斧の柄もあっという間に走り抜けた。
野辺地で昼食を取って、ここからは右に陸奥湾を眺めて青森へ向かっていく。静岡で見る太平洋と違って濃い青い海と静かに波打つ海岸の景色だ。同じ塩水と太陽の光なのに何故こんなに色が違って見えるのか不思議な物だ。アップダウンもそれほど無い海岸沿いの道、左には終点間際の東北本線。海の向こうには下北半島が見える。ひたすら気持ちの良い走りを満喫して、あっという間に青森の手前の浅虫温泉の温泉街を通過した。
温泉街を抜けると、いっきに都会めいてきた。青森の市街地へと突入だ。時間的には少し早いが、今日は市内で終わりにしておきたい。ようやく青森駅と駅前の三角のビルが見えてきた。そして青森駅に到着。まずはねぶた写真が印刷してある100%リンゴジュースで乾杯だ。今日の完走を喜ぶ。
一休みしたら青森市内の手頃な公園を探す。駅の真ん前に青い森公園という名の大きい公園もあって海を眺めながらテントは張れそうだ。日が暮れた後のみのゲリラキャンプになりそうだ。青森港と陸奥湾と三角のビルと青森港を渡る橋を見れるシチュエーションにテーブルとベンチもあり屋根もついてる。夕食も安心だ。しかも地面は芝生。ちょっと人が多いこと以外は文句なしのシチュエーションだ。
風呂も簡単に見つけて、買い出しへ行く。何故か北海道が懐かしくなり、ジンギスカンの肉を買った。当然のごときモヤシも買う。生野菜も買う。これで準備は整った。風呂でさっぱりして青い森公園に戻る。夕焼けに染まる陸奥湾を眺めながら、テーブルの上で飯を炊く。すると女性2人のチャリダーも来た。少し話をした後に二人ともいなくなってしまった。日が沈む頃、飯も炊きあがった。コッフェルをフライパンに切り替えて、バーナーの上でジンギスカンの肉を焼く。というよりたれ漬けの肉なのでたれの中で煮るような感覚になってきた。いくら何でも汁が多すぎる。たれとモヤシの水分でぐつぐつと煮えている感じだ。そこで、御飯にかけるという暴挙に出た。この際、混ぜて食っちゃえ。混ぜ御飯だ。という状況。まずかろうと何だろうと腹を満たしてタンパク質が摂れればかまわない。しかし! 意外な新発見。ジンギスカン丼はなかなか美味だった。マトンのクセのあるにおいと御飯のコラボレーションはなかなかだ。そんな飯をうはうは言いながら頬張っていると、地元のおじさんと話が盛り上がってきた。「奥さんと子供は連れてこないのか?」と聞かれてしまった。俺は、まだ19歳だ。
日が暮れると、八甲田丸と三角ビルと青森港の橋はライトアップされてきた。いわゆる「ろまんちっく」な景色である。俺の周りはカップルだらけになってしまった。この公園に居るのは、へたくそなストリートミュージシャンとカップルと俺。しまった立地がよすぎると思ったら青森一のデートスポットだ。すでに張られているテントとテーブルでビールを飲みながら夕食を食ってる俺だけが、ものすごくういている。しかし、ここで「デートスポットキャンパー」の技能を身につけたようだ。どうせアウェイだし、もはや吹っ切れた。デートスポットの中でも超一等地にテントを張って飯を食う。独り身&アウェイの強みだ。変な自信と不安感を持って眠りについた。 |
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15日目 |
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青森 → 黒石 → 碇ヶ関 → 大館 → 鷹巣 |
117.27 km |
1996/08/18 |
昨日の喧噪が嘘のように静かな朝だ。静かに打ち寄せる陸奥湾。ある意味、気持ちの良い朝だ。思わず散歩したくなるような公園だ。昨日買ってきておいたパンを陸奥湾を眺めながら食う。テントを片づけてチャリに積んで出発。明日は山岳コースで途中は田舎で泊まれそうも無いので、頑張って田沢湖畔まで行きたい。それを考えると今日は秋田の鷹巣ぐらいまでは距離を稼いでおきたい。なんとなく、初めて山場らしい山場を迎える。
そんな気合いを入れて陸奥湾に別れを告げて、内陸を南下していく。黒石から県道を走って碇ヶ関を目指していく。特にアップダウンもない田舎道。天気も微妙に悪く景色らしい景色もない普通の曇り。雨が降るような気配は無い。たまには、こんな涼しい走りもいいかなというところだろう。
碇ヶ関から、徐々に登りが始まった。秋田との県境へ向かって登っていく。アップダウンを繰り返しながらのたるい登りだ。しょせんは幹線国道の峠でインナーギアを使わなくとも登れるがボディーブローのようにアップダウンが堪える。 矢立峠を越えると秋田県大館市だ。順調に3県目に突入という感じだ。やはり峠で県境というのは気持ちが盛り上がる。拳を空に突き上げて峠を通過。大館に向けて、ガンガン攻めながら下っていく。宿泊地としての検討もかねて大館駅へ向かう。情報収集&宿泊検討&休憩だ。明日のことも考えると、もう少し走っておきたいという意図もあるが、次の街は鷹巣だ。果たして風呂とか洗濯とかできるのだろうか。少し不安でもある。
大館駅の前に忠犬ハチ公像がある。秋田といえば秋田美人。もとい秋田といえば秋田犬。秋田犬といえばハチ公だ。発祥の地は大館。ハチ公前と言えば、ここだ。普通に写真を撮って用事を済ます。情報収集してみると、鷹巣でもそこそこ風呂とかありそうだ。大館だからと言って極端に優位性も感じられない。明日のためにも走っておくことにした。 大館を出発して西へ向かう。傾きかけた日を前に見ながら、西日のまぶしい道を進んでいく。そろそろ沈みかけて薄暗くなった頃に鷹巣駅に到着。公園と風呂は駅前交番と駅前の地図で見つけた。
後は洗濯を何とかしたい。一般論で銭湯の近くにコインランドリーはあるはずなので、銭湯で聞いてみることにする。夕食の食材を買って風呂に行き、銭湯の番台のお婆さんに尋ねてみた。すごい返答だ。「◎▲¥・:;□〜@!だべ」東北弁がきつすぎて何を言っているのかがサッパリ分からない。しかし、こっちの言うことはすべて通じる。なぜなら日本語だからだ。とはいえ、親切に一生懸命説明してくれるお婆さんの言うことを、必死で訳し・・・いやもとい聞く。同じ通りの大きい病院の中にコインランドリーはあるという情報を得た。言葉が分からないが、一生懸命に会話する。これも旅の楽しみの一つであることを実感するできごとでもあった。
入院患者のための洗濯機。そういう発想はなかった。確かに病院の中にコインランドリーはあった。しかも安い。半額ぐらいの勢いだ。洗濯物をぶち込んで、公園に戻り夕食を作る。簡単に御飯とレトルトのカレーと生野菜で済ませる。飯を食い終わったところで、今度は乾燥機だ。これもガス仕様で助かる。当然、安い。ハッキリ言って病院の中だというのに挙動不審な俺だ。そそくさと洗濯物を引き揚げてテントへ戻り、眠りについた。順調なので明日の山岳コースも頑張りたい。 |
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16日目 |
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鷹巣 → 阿仁 → 田沢湖 |
96.90 km |
1996/08/19 |
SLが飾ってある公園でテントを畳み出発。今日も天気はよい。目標は田沢湖だ。峠らしい峠は田沢湖の寸前しか見あたらないが、途中がどんなもんか読めないが、こんな内陸を走るのでアップダウンは必至だ。気合いを入れて出発。
そんな気合いが空回りだが、鷹巣からしばらく平地が続く。天気もよく快適な田園地帯の向こうに低い山並みが見える気持ちいいほどの道だ。今日は終始アップダウンの激しい山岳地帯の道を想像していただけに少し得をした気分ですらある。北海道の海沿いに恐山の登りに慣らされた体だからだろうか、若さだろうか、アップダウンが始まっても昔ほど堪える感じもなく、進んでいく。それなりに登ったり下ったりを繰り返しながら阿仁へ向かって進む。
そして阿仁で、北緯40度線を通過。やりすぎじゃないかと思うほどのモニュメントがあり、日本最北端→本土最南端の旅つまりは北緯45度→北緯31度の旅である今回の旅の3分の1は終わったか・・・と思いたいところだが、横の移動が同じくらいの長さあるで、まだまだ先は長い。ただ、5度分の距離を無事走ったことは喜びたい。今日の行程の半分を終えた阿仁あたりで昼食だ。前半のアップダウンがたいしたこと無かった割に距離でいうと半分程度なので後半の行程がこれまでより激しいアップダウンになったりする厳しめの予測をするときついものがある。日没までには田沢湖に到達したい。 |

秋田県阿仁町 北緯40度線
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阿仁から先も棚田を横に見ながら、緩くアップダウンを繰り返しつつ山の間を縫うように走っていく。山の影を走れているので天気がよくても炎天下という感じでもない。ただ不安なのは到着時間や体力と買い出しが済んでいないことだ。米とパスタしかない。具はない。阿仁で買い出しをしておけばよかったと少し後悔しつつ、最後の田沢湖畔で何か買えることを期待する。
そろそろ日が傾きかけてきた頃、もうすぐ田沢湖への最後の峠越えを残すところで、積算走行距離7777.7kmを達成。次は末広がりの8、日本縦断の途中でおそらく9のぞろ目に10000も達成できるだろう。そこまで無事に走りきりたい。 |

積算距離 7777.7km達成!!
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峠に登る寸前に商店があった。そこでレトルトのカレーとサンマの蒲焼きの缶詰を買っていく。最後の一踏ん張りだ。ペットボトルに水をもらうのを忘れてたが登り出す。アップダウンがボディーブローのように堪えていたのか、走りはさえない。虻に追いかけ回されて嫌でもペースを上げざるを得なくなった。そして、峠を越えると深く青い湖面の田沢湖が見えてきた。神秘的な色の湖面とまん丸な湖の形と深い緑色の森に囲まれた様子が美しい。写真でも撮りたいところだが虻に追い回されて嫌なので、とっとと下ることにした。超高速で攻めまくる。絶対に付いてこれない速度をねらう。高速で回転するスポークに虻がぶつかって砕け散っていく。これが弱肉強食だ!
田沢湖の東岸のキャンプ場かYHか田沢湖町の街中を目指して湖沿いの快適な道を走っていく。右に湖と森を見ながら気持ちよくサイクリングしてる感じだ。今日は終わったも同然。とりあえず苦手の山岳コースもあっさり制した。
宿と風呂を探すのも面倒だしYHに泊まるには天気もよくもったいないのでキャンプ場に決めた。さっさと手続きを済ませてテントを張る。空荷の自転車に乗って田沢湖畔へ行く。ちょうど夕陽が沈みかけて湖面は金色に染まっていた。太陽が下がっていくと金色から赤へと変わっていった。かつて、こんなに美しい夕暮れの景色を見たことはない。心から感動してしまう。日が完全に沈むのを見送ってしまった。 |


田沢湖 夕焼け
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そんな余韻に浸りつつ、テントへ戻り米を研いで水を吸わせながら風呂へ。温泉が近所にある。簡素な風呂だが泉質はよく筋肉の疲れも癒された。腹も減っているのでキャンプ場に戻り、御飯を炊いてレトルトカレーをゆでる。周りはリッチにBBQで焼き肉にビールに・・・とやっているファミリーキャンパーばっかりで、俺のようなこぢんまりしたツーリング型のキャンプの方が浮いている。
よく走り、きれいなものを見て、多少自炊がショボく周りのキャンパーをうらやむ程度でも楽しい旅であることを実感し頭上に輝く星空を見て眠りについた。 |
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17日目 |
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田沢湖 → 仙岩トンネル → 雫石 → 盛岡 |
76.74 km |
1996/08/20 |
湖畔の朝は気持ちいいもので、さわやかな目覚めというものを久しぶりに体感する。何となく周りのキャンパーより幸福であるべく自炊を始める。朝から飯を炊いて、昨日買ってきた大好物のサンマの蒲焼き缶詰で食う。キャンプの朝といえば御飯と缶詰だろう。ある意味での定番だ。
昨日の疲れが足に若干残っているが、そのうち足が馴染んでくれば走ってくれるだろうと期待したが、峠の入り口まで来ても重苦しい走りは抜けなかった。仙岩トンネルへの登りをとにかく苦しみながら登っていく。すると秋田ナンバーのきれいな女性3人(思い出の中で美化してるだけ?)に声をかけられた。地獄の走りの中であったが1人100m分のダッシュ力をもらい300mほど好調なペースで前進した。しかし、そこまでだった。また苦しいダラダラとした上り坂が続いていく。秋田から盛岡までの幹線ルートだから車も多いしトラックとかバスなどの巨大系の車も多い。神経も体力も使いまくる。
そして、長い仙岩トンネルの入り口が見えてきた。このトンネルのために反射部材に点滅系も強化したのだ。自発光のリフレクタもONしてライトも点灯してトンネルに突入。もう上り坂も終わっていて、それなりのペースで走れる。2.5km以上もあるトンネルなので早く抜けてしまわないと酸欠になりそうだ。トンネルの中で岩手県に突入。すると下り坂になった。こうなれば俺のペースだ。目が慣れてきたので前も見える。後続の車も見えないので真ん中を速度を上げて下っていく。一気にトンネルを駆け抜けた。その瞬間60km/hをマークしていた。あとは普通にワインディングの峠を下りコーナーも攻めまくり・・・たいところだが、コンクリートの路面で継ぎ目も多く路面が悪い。車と同じぐらいのペースで慎重に下っていく。
雫石を過ぎたあたりで、軽く昼食を食う。そば好きの俺は当然わんこそばなので軽めに済ませておく。去年の記録120杯を越えたい。気合いは入っている。盛岡まで緩く下る道なのであっという間に盛岡駅に到着した。
去年の夏も盛岡に来ているが、宿はホテルだった。駅に近くてキャンプしやすそうな公園というのがなかなか見つからない。ゲリラで張るとしたら盛岡城公園しかない。面倒なのでここに決めてしまった。風呂に行きサッパリしたところで、盛岡駅前の「東家」へ行く。 |
観光シーズンだからか店内は既に先客で盛り上がっている。空席はあった。テーブルには俺一人。そばを盛ってくれる仲居さん一人。真剣勝負の始まりだ。威勢の良いかけ声とともに始まった。腹も減っている。そばへの愛着も十分。「はいどんどん
はいじゃんじゃん♪」椀が空けばすぐにそばが注ぎ込まれる。順調にお盆1つ(15杯で盛りそば1杯分)を平らげた。間髪いれずに次のお盆も来てどんどん注ぎ込まれる。どんどん食い続ける。あっという間にお盆も4つもやっつけて50を越えた。まだまだ余裕だ。というより、そばも付け合わせもおいしいので、どこまでもいけそうな感じだ。これでそばがまずければ飽きてしまうところだろう。そこがただの「大食い」と「そば好き×大食い」の違いだ。さあいよいよ120杯を平らげた。去年に並んだ。しかし、今年の俺は単独日本縦断だ。去年の俺とはちがう。次のお盆に突入して、去年の記録をあっさりと塗り替えた。135杯を迎えてお椀にふたをするか・・・いやいけるとこまでいってやろう。そして次のお盆も終わった。盛りそば10杯の大台を迎えたところでお椀にふたをして闘いを終えた。150杯をマークした。テーブルにお椀が積み上げられている様子を見て、向かいのテーブルの女子大生3人組から拍手を浴びた。重いお腹を抱えつつ笑顔で会話を交わす。記録にも内容にも女子大生にも満足して店を後にした。(わんこそばをこんなに熱くレポしてどうする
苦笑)
盛岡城公園でテントを張り、公園の灯りと月明かりの下で日記を書いて眠りについた。そばは消化がいいせいか、いくぶんお腹は軽くなってきた。 |

東家 盛岡駅前店
150杯平らげた記念
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18日目 |
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盛岡 → 北上 → 一関 |
110.31 km |
1996/08/21 |
昨日のそばの重さで胃がもたれるかと思ったが、絶好調。パワーがみなぎっている。そばは体にいいと信じ込んでいたが、やはり150杯のわんこそばがもたらしてる体調だろうか。俺がテントを張っていた公園は人が増えてきたので、早々と畳んで出発だ。走り始めても2日間の山岳コースがあったとは思えないほど絶好調だ。効率よく何かが燃えている感じだ。そばパワーは偉大だ。
盛岡からは幹線国道を八代まで走る旅になる。1日の距離は稼ぎやすい。走りそのものは単調になってしまうので、いかに効率よく走り抜いて途中で観光するかがポイントになってくる。それだけに、初っぱなから絶好調なのはありがたいことだ。大してアップダウンもない国道4号をひたすら南に向かっていく。去年の夏に逆走した懐かしい道でもあり道路の具合も分かり切っている。
こんな絶好調の走りとは裏腹にチャリステレオの調子がおかしい。スピーカーから音がしなくなってきた。どうも中の回路が完全にいかれたようだ。北上の電器屋で泣く泣く買い換えた。壊れた方は自宅に小包で送った。音楽が戻ればテンションも上がって走りの調子も上がる。
夕方になる前に平泉に到着。宿を探す時間とか考えると一関で一泊するのが、ちょうどいいだろう。平泉で中尊寺に寄っていこうかと思ったが去年観光済みだからスルーした。一関に到着し、キャリアに引っかける鍵が曲がって切れかかってきた荷ヒモを買い、公園と風呂はあっさりと見つけて夕食の買い出しも済ませる。
公園で御飯を炊こうとガスボンベをセットすると、留め具が折れてガスが出せなくなった。ここ最近、次々と物が壊れていく状況に不安と怒りがきた。研ぐだけ研いだ米は使い道がなく、そのままコンビニに行って弁当を買ってきた。なんとなく体調や走りとは裏腹に不安な空気が立ちこめてきた。 |
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19日目 |
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一関 → 古川 → 仙台 |
108.52 km |
1996/08/22 |
スピーカー、荷ヒモ、ストーブと3連発で物が壊れる状況に不安を抱えた朝である。今日の宿の仙台で補給できるとは思われるので何とかなるとは思っているが、お金の面を考えると嫌だ。そろそろ悪い流れを断ち切りたい。なんとなくもやもやした気持ちで仙台へ向けて出発。
今日も東北本線の線路を越える跨線橋だけが坂の単調な道がひたすら続いている。東北の前半戦の楽しみまくった時間も終わり、移動を耐える時が来てしまったような感もある。今日も単調な4号線を南へ向かっていく。車に風をもらいながら好調なペースで南へ進む。仙台まであと20kmというところでホームセンターがあったので立ち寄る。たぶん無いとは思うがカセットコンロ用ガスが使えるユニフレームのバーナーを探す。イワタニやEPIのカートリッジ用のバーナーしかない。アウトドアショップを探さないとだめそうだ。仙台に早めにたどり着いて、アウトドアショップを探したいところだ。
そんな焦りに近い気持ちを持って、走りだけは好調に前進し、ついに仙台市内に突入。4号線のバイパスから市街地へ曲がって進んでいく。そして、車の避けた後に気づかず道路工事の後か分からない大穴に前輪がはまった。転倒することはなく抜け出したが、タイヤがバーストしてしまった。やはり衝撃がありすぎてリム撃ちしてしまったようだ。歩道に入って自転車を倒してホイールを抜いてチューブを交換だ。そしてインフレータをスコスコと動かして空気を注入しようと試みたが、バルブから空気が出てこない。何とこれも故障だ。
自転車を押して市内を歩いて自転車屋へ向かう。去年、リアディレーラーが壊れたのを直してもらった店を当てにする。途中に町の自転車屋でもフレンチバルブのタイヤに空気を入れられれば走り出せるのだが、全く見つからず5km以上の道を歩いていく。かなり屈辱的な状況で完全に参ってしまった。もう焦りは無くなった。仙台で連泊して完全にメンテすることにした。すっかり日が暮れきった時間に自転車屋に到着し、TOPEAKのインフレータを買って空気を入れて復活。
銭湯とコインランドリーが一体になってるところへ行き、風呂と洗濯をする。風呂から上がって自転車を見ると、再び空気が抜けている。洗濯と乾燥をしながらチューブを交換し、今日破れた2本のチューブをコインランドリーで修復する。といってもパッチを貼るだけだが。そのまま、コインランドリーでコンビニ弁当で夕食を済ませて、今度こそ治ったチャリで青葉城の近くの公園に行きテントを張る。やはり去年から「仙台入りする日はトラブルが起こる」という呪われたジンクスが続いているようだ。
とにかく明日はじっくり復帰できるようメンテと補給に明け暮れよう。気を落ち着けて眠りについた。 |
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20日目 |
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仙台市内 |
27.69 km |
1996/08/23 |
昨日までの大不運から立ち直るための一日としたいものだ。今日は思い切って連泊してリフレッシュとリカバリーをしたい。撤収するのも面倒なのでテントを張りっぱなしで仙台市内へ出掛けて情報収集。さすがに都会なので店も簡単に見つかる。店の中を探すと、すぐにカセットコンロガス対応のユニフレームバーナーは見つかった。マイナーチェンジでカセットを止める部分が強化されていた。これで一安心だ。出費は痛いが先は長い。
午前中で用事が済んでしまったので、午後から走り出してもよかったのだが、ここはのんびり過ごすことにした。仙台市内で買い物し、公園で昼寝でもしながら時間をつぶし、体力を温存した。一応、こんな状況なので自転車のネジ類の増し締めをして、チェーンの注油をしておいた。
しかし、微妙に天気が悪い。今、テントを張っている場所は雨を避けるような屋根もない。降ってくると面倒なので屋根付きのあづまやがある公園を探す。多少、離れているが何とか見つかる。夕食を食ってテントを片づけて移動。広い公園の中を回って張る場所を選んで、落ち着いたところで大粒の雨が降ってきた。間一髪という感じだ。
雨音を聞きながらテントの中で眠りについた。そろそろトラブルフリーでいきたいものだ。 |
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21日目 |
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仙台 → 白石 → 福島 → 二本松 |
114.80 km |
1996/08/24 |
雨上がりで少し蒸し暑い朝を迎えた。全く濡れずに済んだテントを畳んで出発。今度は穴にはまらないよう国道4号線に出るまでは慎重に前を見て走る。4号線のバイパスに合流し、南下を始める。微妙に冴えない天気の中、退屈としか言いようがない国道を進んでいく。しばらく見所も何もない走りだけの日が続くだろう。ペダリングマシーンとなって進んでいくしかない。
昨日メンテした自転車は好調。北上でなおしたチャリステレオも好調。丸一日休んだ俺の体も好調。力強く走れている。ほぼイメージ通り昼時には白石に着いた。昼食はもちろん白石うーめんだ。見た感じは素麺なのだが、もう少しコシが強い感じだ。暖めても冷たくてもおいしい。
微妙にアップダウンしつつ退屈に走っていく国道4号を南下し、ついに福島県へ。東北地方では最後の県だ。そろそろ東北&北海道の涼しさも終わって「暑さ」との闘いも始まる予感がしてきた。ピンクの「もも」の看板が続く街道を南下。福島市内をバイパスでスルーし、走りも好調でのってきた。車から手を振ってくれる子供に手を振り返して、そこそこ追いかけるだけの元気もあった。
安達太良の道の駅での休憩の後に二本松での宿泊に決定。二本松駅で情報収集だ。自転車を段差の上に持ち上げようとした時に、サンダルから出てる右足の親指をタイヤで踏んで怪我してしまった。爪が内出血している。激痛にもだえながら絆創膏を貼り、銭湯と公園を探す。公園は駅の近所で簡単に見つかった。ややひなびた銭湯も分かりやすい場所にあった。とにかく風呂だ。足もきれいに洗って絆創膏を貼り直したい。入り口は当然二つある。男湯は右か左か分からない。何も書いていない。いちかばちか右を開けてみた。「きゃー!!!!」と若い女性の叫び声と共に洗面器と石けんが大量に飛んで来ることはなく、誰もいない。番台も居ない。しばらく入り口の前で待っていると、右のドアに男も女も入っていく。もう意味が分からない。しばらくすると番台のじいさんも来た。男だけが左に移動した。どうやら男湯は左だったようだ。惜しい。もう少し遅く客が居る時間なら・・・いや、危ないところだった。とりあえず、営業はしている。何とか風呂にも入れる。いや湯加減はちょうどいい。続々と入ってきた客が「おーい
ぬるいべぇ〜」と言い出して、番台は「ぬるいってんだったら帰ってくれ!」などと暖かみのある東北弁でやり取りをしている。ある意味、すごい銭湯だ。スーパー銭湯以上のスーパー銭湯だ。
爪の絆創膏を貼り直し、公園でテントを張って眠りについた。 |
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22日目 |
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二本松 → 郡山 → 矢板 |
138.82 km |
1996/08/25 |
体だけなら何とかなる。モノに続いてヒトの怪我。こんな流れもそろそろ止まってほしい。今日はどこまで行けるか分からないが、東京に行くまでに埼玉などの都会で中途半端に一泊しないようペース配分をしたいものだ。
今日も退屈な国道4号線を南下していく。相変わらず続くもも畑や田園地帯。郡山をバイパスで通り過ぎ、いよいよ東北地方も終わりが見えてきた。午後には白河へ。そしてちょっとした峠を越えて栃木県へ。いよいよ関東地方に突入だ。とにかく県境というものはテンションが上がる。とうとう、ここまで来てしまったかという感じすらある。まだ半分も終わっていないが。
相変わらず退屈な国道4号を走り、黒磯を抜けて矢板へ。矢板市街へ降りる右への分岐。この時点で16時。まあ、ちょうど良いところだろう。今日は矢板で一泊だ。東京まで国道表示で130kmを残す何とも中途半端な状況だ。明日、全力で走れば1日で行けるかもしれない。そんな距離でもある。
なんとなく、のどかで寂しげな矢板の市内で寝床の公園を探す。ツツジがいっぱいの長峰公園あたりが大きそうだが、全体に傾斜が多いし、ちょっとめんどくさそうなのでほかを探す。結局、団地の間にあるこじんまりした公園に落ち着いた。テントを張って風呂に向かう。そこで、フロントバッグを空っぽにして着替えと風呂セットを持って行くのが面倒ということに気づいた。そこで風呂に行くのを一度中止して、近所のヨークベニマルで小さい折りたためるリュックを買った。それに風呂セットを入れて風呂に向かう。テントを張った後に風呂に入りに行くときに荷物を解体したりもどしたりせずに行ける。これは便利だ。
風呂は温泉スタンドがあるほど、湯量が豊富な温泉なようだ。風呂も相当でかい。別館に露天風呂もある。温泉なんていうのも久しぶりで疲れが取れたような気がする。そして小型リュックも便利でいい。汚れ物をゴミ袋に入れてサイドバッグに突っ込み、風呂セットをフロントバッグに戻してリュックを畳んでフロントバッグへしまった。微妙に人が通りそうな公園で落ち着かないが眠りについた。 |
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23日目 |
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矢板 → 宇都宮 → 野田 → 川口 → 東京・荻窪 |
158.12 km |
1996/08/26 |
割と早く目が覚めた。妙にスッキリしている。今日は東京まで頑張りたい。東京まで行けば父の単身赴任先に泊まれる。そこまで行ければ布団で寝るのは稚内モシリパYH以来22日ぶりだ。もっともたどり着ければの話だが。そんな気持ちを持って130km近く残っている路肩の距離表示を見て出発。アップダウンもなくなってきた。完全に退屈な道を南へ向かう。
宇都宮市に入ってしばらく走ったところで、旧国道4号線と新国道4号線に分かれる分岐だ。一気に距離を稼ぎたいのでバイパスの方へ向かう。2車線ずつのバイパスは容赦なく車が流れていく。信号や交差点もほとんどない。高速道路のICのような出入り口が続く。歩道を走れば一度ICを降りて登っての繰り返しになる。それは体力を無駄に消耗しそうだ。ICの出口で右後ろを見ながらタイミングを取り、車道を一気に駆け抜けて合流してくるところで左後ろを見ながら外にはけて・・・というのを繰り返しながら距離を稼ぐ。路肩は狭く真横を車たちが容赦なく駆け抜けていくが、車に追い風をもらいつつ好調に進めていく。(現在、宇都宮市在住だが
当時の怖い物なしな走り方をしていた自分が恐ろしい)
宇都宮から1時間半ほど走ったところで、今日2県目の茨城県に突入。ここからしばらくは、茨城県と栃木県を出たり入ったりする国道4号線だ。ちょうど県境を走っているらしく、おかげで茨城県もゲットということである。そして、利根川大橋が見えてきた。いよいよ埼玉県へ突入か。しかし、川沿いの道との交差点の向こうの橋の入り口に衝撃の看板が!!「自動車専用道路」。ある意味、自ら動いてる車だが、どうやらもう1本下流側の橋から行かないと駄目なようだ。
半泣きになりながら川沿いを5kmほど下り、橋を渡る。すると、埼玉県ではなく千葉県野田市に突入。棚ぼたで千葉県もゲットして今日3県目。何となく古びた町並みを抜けて、隅田川も渡ると、ようやく埼玉県に突入。そして今日4県目。また利根川沿いに上流へ向かい、国道4号線に合流。バイパス沿いだからだろうか、コンビニも無ければトイレもない。猛烈にオシッコがしたくなったが、ガンガン飛ばしながら15kmも我慢したまま走ってしまった。川口に差し掛かると団地が見えてきてセブンイレブンも見えた。トイレまでダンシングしながらスプリント。何とか間に合った。都会のオアシスとはこういうもののことを言うのだろうか?
長かった国道4号線と分かれて、環状8号へと進む。そして、ついに東京都突入で今日は1都4県を駆け抜けたことになった。もちろん史上最大である。棚ぼたな部分もあったが、有意義な走りだ。環状8号は歩道は段差だらけできつく、車道を走ると車が多く狭い。しかも、交差点はすべて立体交差で上は自転車通行禁止だ。既に140kmを越えてる今日の走りで最後にとどめを刺すきつさだ。
すっかり暗くなった夜7時。荻窪で単身赴任中の親父の家に到着。近所の神社で祭りをやっていたので、親父もまだ帰ってきていないし露店で飯を買って、その場で食べる。旅情を一応味わう。
走行距離も史上最長でもう少しで160kmというところ。走り抜けた県も5つ。矢板から1日でよくここまで来たもんだ。久々の布団、親父と会うのも久々だ。それなりに話もして眠りについた。 |
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24日目 |
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東京・荻窪 → 用賀 → 厚木 → 平塚 → 小田原 |
92.74 km |
1996/08/27 |
昨日の環状7号の走りで都会は懲りたので1本外側の環状8号へ行く。ぐるりと回り、用賀の国道246号線を目指す。立体交差責めが無いだけ昨日よりは楽だ。車も容赦なく混んでるが、それなりに走れる。とはいえ、重さもあり昨日の疲れもあり軽快な走りとは言えない。天気もスッキリと晴れておらず曇っている。そろそろ久しぶりの雨が来てしまうのかとも思ってしまう。
国道246号に入ると、こちらも容赦なく坂と狭い路肩と莫大な数の脇を通り抜けていく車。そんな都会の走りにはもう辟易している。そろそろ田舎に抜けたい。横浜を抜けて厚木に行くとバイパスっぽい道は広くなり走りやすくなってきた。完全に東京モードはなくなり走りやすくなってきた。
海に向かって南下していく。とにかく走るだけだ。バイパスっぽい道で車に追い風をもらいながらぐんぐん進み、平塚で国道1号へ合流。海が見えた。久々の海だ。陸奥湾以来だから、本当に久しぶりという感じだ。やっぱり海の開放感はいい。
海沿いとはいうものの、眺めはほとんどない国道1号を西へ走り、小田原市に到着。余力はあるが、これ以上は走らない。箱根峠は明日1日で越えてしまいたい。途中まで登ってもメリットはない。まずは小田原駅へ行き情報収集。銭湯は簡単に見つかったが、公園はない。小田原城でゲリラキャンプというのも追い出されそうで危険だ。諦めて駅で寝ることを決心。夜行も通るので終夜あいている。
夕食を食って、風呂にも入って、ビールを買って駅に戻った。隅っこの方でマットとシュラフを広げ、近くに自転車も止めて寝ようとしたところで雨も降ってきた。やはり、キャンプしなくて正解だ。手動式の扉が開いていて少し肌寒い。ホームレスのおっさんが、「おい、そこの小僧 ドア閉めて来い」と命令してきた。カチーンときて一発ガン飛ばして無視した。少し喧嘩になりかけたが、もう一人のホームレスが止めて収まった。財布だけは気をつけて眠りについた。 |
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25日目 |
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小田原 → 芦ノ湖 → 箱根峠 → 三島 → 静岡 |
119.22 km |
1996/08/28 |
あまり眠れない夜、そして土砂降りの雨が降りしきる朝。この旅で最大の山場である箱根峠を迎え撃つには最悪のコンディションだ。昨日の走りは楽だったものの疲れはたまりきっている。小田原名物の小鰺鮨を朝食につまんでゴアを着て出発。
しばらくはちんたらちんたらと登っていく。もう一人チャリダーが登ろうとしていたが、追い抜いて行った。意外と調子のいい自分にビックリだ。だんだん傾斜はきつくなってくる。さすが国道1号の峠だ車は容赦なく多い。強羅と小湧谷のあたりで傾斜のきつさはピークになってきた。観光客もいっぱいいる。グイグイと登っていく。まさに見せ場だ。雨なのでひたすら集中して登っていくだけだ。耐えるだけながらも、楽しさも出てきた。雨と汗で冷えるのと上がろうとする体温が釣り合ってちょうどいい状態を保って、グイグイと登っていく。意外と早く3時間ほどで、国道1号線最高地点というより日本縦断最高地点の874mの峠に到達した。写真だけ撮って、芦ノ湖へ下っていく。雨だしあまり攻めれずゆっくり下り、芦ノ湖畔へ。すっかり観光地めいた道を進んで、関所の前もスルーして杉並木もスルーして箱根峠への登りへ。芦ノ湖からわずかに峠を登ったところで箱根峠なのだ。標高はさっきより低い。
その坂も登り切って、若干霧も立ちこめる箱根峠へ。とりあえず、今回最大の峠を越えた。三島に向かって一気に下っていく。下りはカーブもきつくなく路面もよく下りやすい。ただ、雨でブレーキがきかないことをのぞけば。それほど、飛ばしまくることもなく慎重すぎることもなく下っていく。天気が天気なので下りもさほど楽しくはない。ひたすら単調にすら感じる。 |

国道1号線 最高地点 標高874m
(日本縦断の旅の最高地点を制す)
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三島を抜けて沼津で昼食だ。簡単にロッテリアで済ませて、また国道1号を西へ向かう。清水までバイパスが続く。かなり走り慣れた道だ。高速道路並に飛ばしてる車も多い。沼津から富士へ。当然、富士山なんて全く見えない。蒲原と由比と興津の海沿いのバイパスを走り抜けて、少しずつ静岡へ近づく。第2Stageの終わりも近い。
長い本州の旅も半分を終えようとしている。小糸製作所の前を通過したところで、ガッツポーズで静岡市へ突入。とりあえずは自宅にたどり着けそうだ。安心したところでチャリステレオから音が出なくなった。雨にやられてウォークマン本体が故障してしまったようだ。乾いて治ればいいのだが・・・。
友達の実家の蕎麦屋に夕食を食いに行く。八雲から電話して宣言通りというところだ。何となく俺の旅への期待の周囲の大きさを改めて感じた。久々に知り合いと会ったおかげと期待と暖かさで元気をもらう。こうして完走を期待してくれている人も居るので、最後まで頑張って走ろう
そう心に誓った。
相変わらず降りしきる雨の中、自宅へ向かう。友達の家から自宅まで6km。雨は相変わらずだが意外と余力はある。ここに来て、リアのギアが歯飛びしやすくなってきた。明日はバイシクルワタナベに行ってメンテをしよう。そして、くすりや荘に到着。第2
Stage完走して無事終了である。もちろん明後日からは第3Stageとして九州を目指す。自宅に到着して、まずはほっと一息。明日は連泊で安息日だ。北海道から関東までの地図とるるぶを置いて、中部から九州までの地図に積み替える。荷物の整理もしつつ、疲れたところで眠りについた。 |
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・1996 夏 日本縦断@ (輪行 静岡→稚内)へ戻る |
・1996 夏 日本縦断A (宗谷岬→函館)へ戻る |
・1996 夏 日本縦断B (函館→静岡) |
・1996 夏 日本縦断C (静岡→福岡) へ進む |
・1996 夏 日本縦断D (福岡→佐多岬→指宿) へ進む |