0日目 |
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宇都宮 → 羽田空港 |
2024/04/25 |
今年も無事に旅路は始まろうとしている。業界的に休みは長いものの、仕事はピークが抜けない中で時間も多くはとれない。ここ2年ほど沖縄を中心とした離島で旅を展開したので、少し本土側で走り切れていないルートを埋めつつ何か楽しめる要素を持ち込めないかを模索する。沖縄中心になったのは、いよいよ自由に旅ができない立場になりつつあるので、念願の日本最南端・最西端に向けて宮古島、石垣島、西表島、波照間島、与那国島の踏破が急務と判断したからである。だが、現状はそれもやり遂げた中で行き先を考える。沖縄中心に回る前の2年はコロナでGWの旅を中止したので、温めていたプランはいくつか存在していた。
自由に旅ができる回数は限りがありそう中、概ね日本一周を走りきろうと考えたときに、主な未踏区間は鹿児島〜八代の九州西側、熊本〜大牟田〜佐賀〜長崎の有明海沿い、仙台から大洗までの太平洋岸ぐらいに絞られている。今回の旅で選んだ行き先は鹿児島の大隅半島の東側と鹿児島から熊本までの九州西側のルートだ。佐賀を通って長崎まで行けるかというと、だいぶ厳しそうな日程ではある。そこは次回に持ち越しが現実的である。
相変わらず直前まで忙しい中で旅は始まろうとしている。スタートとゴールが飛行機なので、定番になりつつある羽田への前泊と車での出発を狙う。そうなると良くないのが電車の時間を意識しないので出発が遅れがちになる。車に荷物を積み込んで出発する。高速道路をいつも通り飛ばしながら羽田空港へ向かい、1時頃に駐車場に入る。隅っこのドア横が広い駐車枠を探して車を止める。宿泊に必要な物だけ持って空港前にタクシーを呼ぶ。今はホテルまでの行き先もアプリで指示できるので楽だ。そう思ったがタクシーを呼ぶフロアが違うというミスをしてしまう。電話がかかってきて謝りながら下のフロアに来てもらう。タクシーでホテルに着いて、朝早い飛行機に備えて速攻で寝る。 |
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1日目 |
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羽田 -JAL → 鹿児島 |
2024/04/26 |
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天空橋→羽田空港 ・ 鹿児島空港 -鹿児島交通バス→ 鹿屋 |
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鹿屋 → 志布志 |
39.84 km |
朝起きたら、蓄積疲労と寝不足に耐えながらホテルのシャトルバスで空港に向かう。すぐに車から荷物を下ろしてシューズをSPDに履き替えて、搭乗に向けた手続きを済ませる。このあたりは慣れた流れになっている。搭乗口の前で朝飯を食べて飛行機に乗り込む。とにかく、時間が許す限り眠って疲労と寝不足を取り返す。
鹿児島空港に着陸するときに窓からは雲海に浮かぶ桜島も見えて神秘的な光景である。やはり旅の出発地への到着時のワクワク感は何にも代えがたい。鹿児島空港に着いて荷物を受け取ったら、すぐに高速バスのチケット売り場へ行く。券売機で鹿屋行きのバスの切符を買い、空港前の西郷隆盛と座れるベンチと足湯の写真を撮ってバス乗り場に並ぶ。無事に輪行袋を預けてバスに乗り込んだ。終点まで乗るわけではないので寝落ちは要注意で眠気に耐えながら運転席越しに前の景色を楽しむ。大隅半島というと辺鄙なイメージはあるが、しっかり高規格道路は整備されていて快適に向かっていく。
なんとか寝落ちすること無く鹿屋に到着する。バスから自転車を降ろして近くの建物の軒先で自転車を組み立てる。この作業も慣れたものである。自転車を組み終わったら走り出す。 |

羽田を出発
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鹿児島着陸直前に見る桜島
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雲海に顔を出す桜島
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金沢駅を模したサンドアート
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西郷隆盛ベンチ
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鹿屋からツーリング開始
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日本縦断以来の鹿屋だが、早速のアップダウンの激しさにヘトヘトになりながらまずは鹿屋航空基地資料館へ立ち寄る。建物の外から飛行機がいっぱい展示してあり見応えがある。無料の領域だけで満足してしまいそうな勢いだ。展示内容は戦争当時から今に至るまでの海軍から海上自衛隊までの歴史や自衛隊の装備の構造が楽しめる。ただ、いくつか気になるのは特攻を含めた戦争や戦績を肯定気味に展示してあるように解釈されるのは違和感がある。そういう意図ではないかもしれないが、俺にはそう解釈できる内容に見えた。注意書きであれはダメこれはダメがあちこちに書いてある。客は馬鹿という扱いだろうか。なんとなく展示方法には首を傾げるところがある、それでも特攻で亡くなった方々の遺留品や手紙などは見ていて胸が痛くなる内容だ。だが、平和を願う日本人であれば、ここには一度は来るべきだと思う。
資料館の外に出ると白い飛行機の隊列が通り過ぎた。ブルーインパルスがアクロバット飛行では有名だが、ホワイトアローもマニアには有名なものなので、無駄のないきれいな隊列がまっすぐ飛んで行くのをみるだけでも感動的である。お土産を探しつつ売店とレストランを見て、昼飯は海軍カレーを食べる。置いてある飛行機を見ながらの海軍カレーは味わい深い。永遠の0の撮影に使われたコックピットやサンシャイン池崎のパネルを見て鹿屋航空基地資料館を後にする。 |

鹿屋航空基地資料館の外
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尾翼が2つある飛行機
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鹿屋航空基地資料館内
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海軍カレー
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永遠の0コックピットとサンシャイン池崎
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永遠の0 コックピット
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続いて鹿屋の市街地に行き、旧鹿屋駅へと立ち寄る。ここ数年に特に北海道で廃線跡や鉄道遺構を見るのにハマっているので、鉄道跡にはロマンを感じる。志布志から鹿屋を通って国分までを結んでいた旧大隅線の鹿屋駅が残されていて鉄道資料館になっている。展示物は充実してるしオレンジ色のキハ40がある。館長が世話好きなのか丁寧にいろいろと教えてくれて、楽しい資料館である。だが、そこまでの充実ぶりを見せながら無料というのが驚きである。
鹿屋の市街地で地図を固定するクリップを買ったり買い物をして、次は戦争遺構を巡るために走り出す。市街地から10kmほど東へ走ったところに鹿屋第一電信跡を目指していく。空荷とは言え初日から体は疲れを隠しきれない。去年までとは明らかに違うレベルで体が疲れている。日常で常に疲れているものの今までは旅に来るとそれなりに回復していたが、今は体がついてこない。当然、自転車で走れば体は疲れる。それをツーリングの疲れと呼ぶならば、今の疲れは生活の疲れである。47歳ということで29年目の50歳に近づき、体の衰えは深刻に感じながら走って行く。 |

旧鹿屋駅
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大隅線廃止の横断幕
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大隅線の品々
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中に乗ることもできる
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キハ20
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市街地から畑や空き地ばかりの田舎道を走っていくと、鹿屋第一電信跡にたどり着く。ちょっとした築山のような物の下に階段で降りていく。特攻隊の出発基地となっていた地下には特攻隊と連絡したスペースが残っている。当時のモールス信号を聞ける設備が置いてあるのだが故障で聞けなくなっている。QRコードを読むとスマホで聞けるようだが、サイトにつながらず体感はできなかった。ここはちゃんと維持して聞けるようにして欲しかった。地下壕のこの空間で聞くからこそ、特攻の悲しさが感じられる場所だろう。少し先にある平和公園へ立ち寄る。公園の中にある平和の塔には線香が手向けられている。自分もそこに線香を焚いて手を合わせる。
戦争の記憶を辿るのはここまでで、今日の宿である志布志へ向かう。ここでやっと生活の疲れからツーリングの疲れに徐々に切り替わっていくのを感じる。鹿屋から志布志まではアップダウンが激しく気持ちよく足に負荷を与えながら体の切り替わりを作っていく。道の駅のスタンプを押したり休憩を入れつつ淡々と向かって行き、19時に志布志に到着する。 |

串良平和公園 慰霊塔
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鹿屋第一電信跡
ここから地下に入る
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串良平和公園 慰霊塔
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地下壕から通信する
モールス信号は故障中
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地下へ続く道
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今日は天気はさえないので寒いが、なんとか初日を走りきった。鹿屋に続いて志布志にもSLや客車が保管してあり、大隅線の遺構が見える。今はローカル線の終着駅の志布志だが、かつては日南線、志布志線、大隅線の3路線が交わる主要駅だった面影はないに等しい。
予約しておいたホテルにチェックインし、荷物を部屋にあげて開梱する。今は箱の数が多くなってしまっても良いのでパッキング済みの状態で発送している。そのため箱から取り出すだけで準備は完了する。キャリアを取り付けるのは明日の朝にして、まずはシャワーを浴びる。シャワーを浴びてすっきりしたところで、志布志駅前に歩いて行き飲みに行く。駅の近くの居酒屋に入って、鹿児島の美味しい海産物を満喫する。カウンターで話した隣の人から珍しいサメの湯引きを少しもらったり、楽しい夜を満喫する。
すっかり酔っ払ってホテルに戻り力尽きた。 |

志布志駅 車止め
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C58蒸気機関車
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志布志鉄道記念公園のキハ52
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旅の開始をビールで祝う
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新鮮な刺身の盛り合わせ
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GWの旅には欠かせない空豆
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大隅産の岩ガキ
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大隅産のウナギ
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2日目 |
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志布志 → 内之浦 |
43.85 km |
2024/04/27 |
大隅半島は泊まれる場所が限られているので、計画に自由度はない。逆に泊まるところを中心に考えると距離が短かったりする。今日は志布志から出て比較的平坦な浜辺の道を南下して内之浦まで40kmも走らないぐらいの距離である。生活疲れの抜けない俺にはちょうど良いとも思える。天気は相変わらず冴えないが今日は蒸し暑い。ホテルの前で自転車にキャリアをつけて荷物を載せて10時に出発する。まずは志布志港に立ち寄ってフェリーターミナルを見ていく。長距離フェリーの拠点はなぜか立ち寄りたくなってしまう。ターミナル自体はさっぱりしているが、南九州までワープできると便利に感じる。
フェリーターミナルを後にすると昨日の夕方に鹿屋から志布志に向かった道を少し引き返しながら、くにの松原へと向かう。せっかくなのでくにの松原の方へ入っていける道へと曲がる。ちょっとした砂丘のような地形を越えるとキャンプ場が見えてきた。一度、休憩して海へと向かう。松林の中を縫う道が気持ちいい。海に出るときれいな弓なりの海岸線が気持ちいい。その向こうには志布志の市街地が見えて、志布志湾が一望できる。私が海無し栃木県民であることを別にして、ここまで人工物がなくきれいな砂浜は久しぶりに見るような気がする。 くにの松原の眺めを楽しんで、松林を抜ける浜辺沿いの道を南下したところで、昼食にする。Google Mapで見ても選択肢は少ないがトンカツ屋さんに立ち寄る。やはり鹿児島の豚肉は美味いしトンカツのレベルが高い。サクサクの衣にジューシーでかみ応えのある豚肉を満喫していく。おなかを満たしたところで、ルーピン畑を見に行く。 |

志布志のホテルを出発
フル装備の旅が始まる
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くにの松原
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柏原海岸
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くにの松原
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柏原海岸
どっちを見ても長く続く砂浜
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絶品のトンカツ
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ルーピンの最盛期は半月ほど前に終わってしまったが、なんとか名残のルーピンを楽しめないかと狙ってみる。少し道に迷って砂にはまりそうなダートを走っていくと海沿いに緑の葉っぱに黄色いルーピンの花が見えてきた。ピークのルーピンではないが、まだ咲いている花もあって十分に楽しめる。
ルーピン畑を楽しんだら少し休憩して行く。ここから内之浦までは海岸線で少しアップダウンに苦しめられそうな地形である。まあ、丸一日ずっと平地だと1日が締まらないところもあるので、岬を回る坂道もありだ。生活の疲れからツーリングの疲れをテーマにして坂道を上っていく。少しずつ体が動くようになってきた印象である。明日からは秘境の激アップダウンルートが続くので、むしろそうでないと困る。坂を上ると静かな志布志湾を一望して弓なりの砂浜と向こうの志布志の街を見渡せる。だが、海沿いあるあるで海が見えない山道が始まる。GWの新緑の山道を走るのは好きなので、海の見えない海沿いの道を上っていく。
坂を登り切って岬の先端まで行くと、通信衛星と通信するためのアンテナが飾ってある。いよいよロケット発射基地の内之浦に入ってきたのを実感する。ここから坂道を下っていくと、内之浦の市街地が見えてきた。コンビニが1軒あるのを確認できたので、ここで明日以降の食料を調達する。明日から2日は店もほぼないルートを走っていく。1軒だけある宿は予約しているが、おそらく朝飯も昼飯も食べる場所はない。コンビニで買い物を済ませて宿に向かう。
まずはチェックインを済ませて納屋に自転車を置かせてもらう。もの凄く広い納屋の真ん中には子供の砂場が作られてて贅沢な作りだ。宿のアイドルになってる小さい子供をあやしながら愛くるしさに説明が頭に入ってこないが、チェックインとか説明を受けて宿に落ち着く。秘境の日数を考えると、始まったばかりの今日だが洗濯をしておきたい。宿の洗濯機と乾燥機に汚れ物を入れて風呂に入る。風呂に入って洗濯が終わるのを待って、夕飯を食べに行く。すっかり暗くなってしまっている。目当てにしていた店がすでに閉まっている。Google
Mapで見ると遅くまで開いてるはずだったが、早じまいしている。予約しておけば良かったと後悔しつつ、先ほど立ち寄ったコンビニまで歩いて行く。結局、コンビニ弁当で夕飯を済ませる展開となってしまった。宿に戻って洗濯物や荷物を整理して眠りにつく。 |

ルーピン畑 時期が過ぎてるのでまばら
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存在感がある黄色い花
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志布志湾の向こうに志布志市街地
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少し山深くなってきた。
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人工衛星と通信するアンテナ
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色んな形のアンテナがある
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3日目 |
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内之浦 → 辺塚海岸 → 錦江町 花瀬 |
49.66 km |
2024/04/289 |
今日は勝負ともいえる日である。大隅半島の東側は秘境で宿は1軒しかなく、予約もしてあるので行くしかない。昨日買っておいた朝飯のおにぎりを宿で食べて、癒やされる小さい子に見送られながら内之浦を出発する。早速、上り坂が襲いかかってくる。まずは標高300m近くまでの峠にある内之浦宇宙空間観測所へ向かう。朝は弱いし坂道に苦戦を強いられる。日が昇ると暑さも出てきた。すぐに着くと思ってたが大苦戦の末に峠に着いた。
ここで自転車を置いて資料館を見に行く。守衛所で受付を済ませて見に行く。発射基地になっているので、結構いろんなところを見学できる施設ではあるが、その1つ1つが坂道を上ったり下りたりタフな場所になるので、見所は1カ所に絞る。まずは資料館を見ていく。狭い場所に作られてるので上から入って下に徐々に下りていきながら見る。展示物は本当の基地なのでマニアックそのものである。分かりやすさより詳しさに全振りした感じがまた見てて楽しい。続いて発射台の方へ行く。坂道を海に向かって下っていく。また上ると思うと気持ちが萎える。広い芝生に大きなロケットが展示してある。この大きさで宇宙まで飛ばすとなると、とんでもないエネルギーを感じる。ド迫力の大きさの発射台も目の前に見えて興奮する。いつか、発射するときを生で見てみたい。下町ロケットの最終回のシーンみたいなのがどこで見れるのだろうか。種子島でも見て興奮したのを思い出されるように宇宙基地はロマンがある。 |

内之浦宇宙空間観測所に行く途中
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内之浦のロケット発射台
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ロケットの後ろ
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ロケットの頭
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ロケットのでかさが凄い
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はやぶさのレプリカ
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はやぶさ帰還の寄せ書き
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マニアックな宇宙用電子部品
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宇宙ロマンを満喫したら坂道を下って南へと向かっていく。ここまですでに辺鄙だが、いよいよ秘境感が出てくる。もの凄くきれいな砂浜を見ながら坂を下りきったところで、買い置きしてたパンと魚肉ソーセージで昼飯にする。ここを最後にしばらく自販機すら無い展開が予想されるので、ペットボトルは満タンにして合計2Lの水を持ってる状態で走り出す。集落を過ぎて坂道を上ると少し長めの橋を越える。この橋の先から見返した景色が絶景だと宿で教わったので、振り返って見てみる。確かにきれいな砂浜の海岸線と海が見下ろせて、そこに向かって下りていく真っ直ぐな道が気持ちいい。
この先も海を見ながらもアップダウンが激しく続く。本格的に700mの峠を上る手前の海岸までアップダウンが1本ぐらいで想定していたが3本ぐらいある。この時点ですでに15時となっている。高低差700mだとワーストで7時間、実力で5時間ぐらいは想定しないといけない。宿に着くのは深夜になるのは間違いない。ここで宿に電話を入れる。そもそも予約してる認識が無かったという返答に驚いたが、泊まれることは確約できた。最後の海岸で水分を補充できる水道を期待したが、それは無かった。残り1L程度の水を持って峠道に入る。ここからは海はほぼ見えない本格的な狭い山道が続く。予想はしていたが傾斜も容赦なく鋭いカーブが続く秘境の道だ。すぐに携帯電話も通信圏外に入った。地元の人に聞いても、あの辺は行くことは無いと言われる秘境の道で車は追い越されることもすれ違うこともなく坂道を上っていく。想定よりは良いペースで上っていくものの、なかなか頂上が見えてこない。というか、○○峠とか峠になる分岐があるわけでもないので地図上でどこにピークがあるのか読みづらいし、どこまで走ってきたのかも読めない。ネットもつながらないのでGoogle Mapもローカルに落としてないと見れない。
標高500mか600mぐらい走ったと思われるところで分岐が来た。ここで衝撃の看板を目にする。20km先で路面崩壊のため通行止めと書いてある。車だけが対象なのか歩行者や自転車のような小さい物でもいけないレベルなのか情報は無い。ネットもつながらないので確認はできない。これが崩落箇所が近ければ見て判断しても良いのだが、20km先だと仮に全くダメだったとして帰ってくる体力も時間もない。このまま突き進むのはリスクが高すぎるので、看板の指示通りに迂回することを決断する。霧が出始めた辺鄙な道を国道に向けて迂回していく。国道に合流したときはすでに真っ暗になっている。合流後、すぐに峠を越えた。おそらく、さっきの通行止め看板の時点で峠にだいぶ迫っていたのでは無いだろうか。そうなると通行止めに遭遇するのは坂道をだいぶ下ったあとなので、最悪は標高700mまで引き返すルートになってしまうだろう。エスケープルートがない秘境ルートは侮れない。
真っ暗な峠道を下ると、自販機の神々しい明かりが見えてきた。当然、立ち止まる。ペットボトルの水も残り100mlも無いぐらいにカスカスになってて、喉もかれている。通行止めでなければ峠までなんとかもって、下りとアップダウンを耐えれば良いだけだっただろうが、かなりギリギリの状態だ。自販機でコカコーラゼロを買ってガブ飲みする。ここでGoogle Mapを調べて宿までの道を見る。宿まで川沿いに下るものと地図を見てて思ってたが、一山越えていて高低差は500m近くある。この時点で19時半である。もう絶望的に無理と思われるので、宿にお詫びの電話を入れる。 |

秘境感のあるきれいな砂浜を見下ろす
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橋から見返す海が見事
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辺塚海岸を見下ろす
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もう笑うしかない。
道が直ってからリベンジしたい。
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こんな峠を登った先に… |

ここで通行止め
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日本一周を考えると大隅半島の東側は制しておきたかったが、今の実力では1本内陸の国道が俺の限界と思われる。調べると、この近くにキャンプ場やバンガローがあるようだ。川沿いを下り気味に走ってバンガローに着いたが受付はすでに閉まっている。さらに先のキャンプ場に行こうと思ったが、キャンプ場までの上り坂が見えたところで萎える。花瀬川沿いに東屋が見えたので、そこに泊まることにする。屋根の下にテントを張って、誰もいない水道で水浴びをする。生分解性の竹炭シャンプーで頭と体を洗う。汗だくなので風呂なしは耐えられない。水浴びですっきりしたところで夕飯を作る。買い出しは出来てないので、ご飯を炊いて鹿屋で買ってきた海軍カレーのレトルトで夕飯にする。近年始めた積極的な非常食としてのレトルトカレーがやたら美味しい。
花瀬川の音を聞きながら、疲れ切った体で眠りにつく。 |

何とかキャンプンに落ち着いて夕飯
鹿屋で買った海軍カレー
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4日目 |
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錦江町 花瀬 → 浜尻 → 佐多・大泊 |
42.53 km |
2024/04/29 |
公序良俗に反する一泊なので、朝は早く目覚めたが朝から雨が降っている。昨日は真っ暗だから気づかなかったが60mの川幅があるが一枚岩の上を流れているので不思議な景色である。景色を楽しむ余裕はなくテントを片付けて出発する。出発するときには雨がやんだ。今日も500m近く上ってから佐多岬に向かう秘境の道が続く。ここから佐多岬に行く道は複数あるが、可能な限り大隅半島の東寄りを走っておきたい。
スーパーで朝飯を食べて、坂道を上っていく。昨日までの疲れが残りまくってる体にムチを打って坂道を上る。昨日までの坂よりは広くて車通りは多いが傾斜は容赦ない。不思議なことに走り出すと体に火がついてきた。体には力が入っているので、なんとか坂道をこなしていく。大隅半島の真ん中らへんにあたる峠道なので眺めは全くなく深い森の中を走って行く。坂を上っている間に雨が降ってきたり、またやんで蒸し暑くなったりで疲れと温度・湿度に翻弄されながらも、体は意外と動けている。
大隅半島は西側の錦江湾沿い以外は、どこから回っても700mの峠を2本越える秘境のルートで、内陸も例外ではない。なんとか坂道を上り終えたら、頭の上からキツツキがドラミングする音が聞こえてきた。その姿は見当たらなかったが、自然の豊かさを感じる。
下りの途中で分岐と売店が見えたので休憩する。昨日の通行止め騒ぎがなければ、この分岐に上ってくるはずだったと思うと感慨深い。売店に店員の姿は無い。ここでトイレに行きたくなったが借りるのを頼む相手がいない。仕方なくお腹を刺激しないようにしつつ坂を下り続ける。峠からは道が少し複雑で、間違えてしまうと錦江湾側に下りかねない。分岐の度にGoogle
Mapで見ながら、東側へ向かう。牧場の中を少し上ったら、また激しく下る。これが狭く秘境へと下るルートになっている。終盤は本当に道が続いてるのか疑問なほどに狭い道を下っていく。
坂を下りきると集落が見えてきた。しかし、立ち寄れそうな場所はどこにもない。遅い昼飯も買えなさそうだ。手持ちのもので昼飯を済ませたいところだが、おなかを刺激したくないので海沿いの浜尻海岸にあるキャンプ場を目指す。集落を走り抜けた先にキャンプ場と海岸があった。やっとトイレにたどり着いた。一安心したところで海を眺める。芝生で寝転んで体の疲れを落として、本格的に休憩していく。
体が休まったところで、残り20kmほど先の佐多岬のキャンプ場を目指していく。ここで進む道の判断を誤って、どんでもなく急な坂を上っていく。漕いでもすぐに止まってずり下がるほどの坂道が始まる。絶対ほかに楽なルートはあったと思うが、なぜかここに来てしまった。惰性で進む要素が全くなくペダルを踏み込んだ分しか進まない道を越えて、やっと県道に戻った。ここからは気持ちよくアップダウンしながら佐多岬を目指していく。夕暮れが近くなって少し焦りはあるが、秘境のナイトランも習得済みみたいなもののなので、恐怖感とか焦燥感は俺には無い。キャンプ場も近くなってきたところで、何か旅人を励まそうとするものを見つける。日本一周を本当に目指す人は東側から回ってくるか、東側に行くだろう。秘境と戦い続ける旅人である俺の心には響く内容だ。 |

雨をしのぐ屋根の下で一泊
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大きな一枚岩の花瀬川
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浜尻海岸
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佐多へ向かう道
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メッセージ性が強い
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道ばたにあふれるメッセージ
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なんだか濃い
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19時に佐多の集落へ到着した。辛うじて開いていた商店でビールを買っていく。佐多にはキャンプ場が2カ所ある。1カ所は比較的新しく県道に近いところにある。だが、水でもお湯でもシャワーがない。もう1カ所は海に近く、やや古い。だが、水シャワーがある。水シャワーのある方である大泊キャンプ場に行く。きれいな方はライダーや普通の人でまあまあ賑わっているがスルーしていく。ここにシャワーがあれば何の迷いもないところだが、惜しい。大泊キャンプ場の方は予想通り人っ子一人いない。炊事場に自転車を突っ込んで遠慮無く荷物を下ろして、近くにテントを張る。空腹と疲れに耐えつつ、薄暗い建物の中でシャワーを浴びる。天井にヤモリがいるのはご愛敬だ。水でシャワーを浴びて竹炭シャンプーで全身を洗ってさっぱりする。だが、そろそろ温泉とかお湯の風呂に入りたい気持ちはある。 |
炊事場に戻って、ご飯を炊きつつ売店で買ったイカ姿フライとビールで晩酌する。通行止め問題はあったが、我ながらよくここまで秘境の大隅半島東側を走ってきたものだと思う。もっと若いときにチャレンジしておけば、結果は違ったかもしれないが、日本一周未踏区間では最難関を制したと言えるだろう。今朝のスーパーで買ったレトルトのカレーは食材が鹿児島の黒豚と宮崎の黒毛和牛の風味を楽しめる。正直、普通のカレーでも美味く感じるほど疲れてる俺には差は分からない。
海の音と潮風の音を聞きながら、誰もいない静かなキャンプ場で眠りについた。 |

今日もレトルトカレー
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5日目 |
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佐多・大泊 → 佐多岬 → 根占 |
45.53 km |
2024/04/30 |
本当は昨日のうちに佐多岬の先端には行っておきたかったが、そんな時間も体力もなかったので今日にずれ込んだ。荷物を全部積んでフル装備で佐多岬にたどり着きたいという気持ちはあったが、空荷のまま岬へ向かう。戻ってきてからパッキングすることで身軽な状態で行く作戦とする。まずは、集落の方へ戻る。懐かしい佐多岬ロードパークを全区間走ることにする。その面影は無く、人力で日本縦断や一周をしてきた旅人を自動専用道路だからという理由で阻んできた悪評高き忌々しい料金所はとっくの昔に撤去されている。 このルートも自転車を積極的に呼び込みたいのか路肩には自転車用のレーンがペイントされている。本当に喜ばしい。朝早くのオープン前にフェンスを乗り越えて佐多岬まで往復した思い出を懐かしく思い出しながら、全ての旅人が佐多岬を訪れることが出来るようになった至って正常な判断を評価したい。
ロードパークこんなにきつかったっけ?と思いながら走って行く。当時は椰子の木とかソテツを見て南国を感じたが、今になって考えてみると作られた南国である。ソテツは自生しているものの椰子やハイビスカスは後から植えたもので最初から自然に存在するものではない。当時は猿の声におびえながら走った記憶があるが、今はそういう雰囲気はここには感じない。時間帯の問題だろうか。当時は不法侵入だったから立ち寄りもしなかった遊覧船の乗り場で休憩してから、岬を目指す。高台に登り切って海と岬の先端が見えてくると終点の駐車場と北緯31度線が見えてきた。
駐車場にたどり着くと、真ん中にガジュマルの木が生えている。その根元には見覚えのある看板が立っている。どうも、以前は岬にあった最南端の碑がここに移転したようだ。日本縦断の完走以来なので28年ぶりに見ることになる。早朝の佐多岬で大きな喜びを感じた懐かしい看板が感慨深い。売店が開くのを待って、本土最南端のスタンプを押して到達証明書を購入していく。これで自治体発行の本土四極到達証明書が手に入った。駐車場の展望台からは佐多岬が一望できる。マニアでなければ、ここで十分に最果て感を味わえるだろう。 |

佐多岬近くの大泊キャンプ場
本土最南端のキャンプ場
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ソテツの木が茂る道
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旧佐多岬ロードパークに自転車レーンの
ペイントがあるのが感慨深い
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佐多岬を巡る遊覧船
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北緯31°線
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佐多岬の懐かしい看板
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'96年の日本縦断ゴールを思い出す
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トンネルを抜けて歩いて行く
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駐車場から見る佐多岬
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売店で買ったおにぎりを朝飯に食べて、岬の方へと歩いて行く。まずは御崎神社に寄っていく。ソテツやガジュマルに囲まれた南国感と秘境感がある神社に立ち寄って、お参りをしていく。当然、本土最南端の神社である。去年から始めた御朱印集めもここでしていく。これで本土最東端、本土最南端の神社で御朱印を手に入れたことになる。続いて展望台へと向かう。尾根から海を見下ろしながら気持ちよく歩いて行くと丸い建物にたどり着く。以前から本土最南端と書かれていた看板のある広場がどこだったか記憶が呼び起こせない。このあたりは変わっている。建物の南の方にひっそりと本土最南端の碑がある。まだ駐車場の方が最南端感があるのが、少し残念なところだ。Google Mapとネットで調べて、この域内でもっとも南の場所を追求する。灯台守の跡が本土最南端なので、そこまで行く。灯台守の宿舎跡から先端へ行く道がフェンスで塞がれて、ここが最南端のようだ。誰もいない端っこを存分に満喫する。むしろ、ここに本土最南端の碑を立てて欲しい。
最南端を十分に満喫して駐車場に戻ると、もう12時近い。遊びすぎてしまったようだ・・・。走ってきたロードパークを戻り、途中から大泊に行く分岐を曲がる。当時も大泊の集落と遊覧船の乗り場は有料道路だけでなく繋がっていたようだが、そこには行ってなかった。侵入防止のフェンスを2回越えたのは、無料で来れるルートがあったからだ。どこまでも強欲な当時の運営会社には未だに非難の気持ちがある。ネットが普及してない時代に、そういう情報を共有していた旅人には頭が下がる思いだ。大泊へショートカットする道は傾斜が容赦なく、登りは大変だし下りも止まりきれないし前転しそうで怖い坂だ。 |

本土最南端の御崎神社
鬱蒼とした森の中にある
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御崎神社の本殿
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佐多岬と灯台の眺め
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スタイリッシュに鳴りすぎた最南端
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日本縦断のゴールだと映える
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佐多岬 灯台守跡 |

ここが行ける限界の本土最南端
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駐車場から見る佐多岬
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大泊キャンプ場を出発
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真っ昼間で暑いキャンプ場でテントを片付けて出発する。夜中に降った雨で濡れたテントはすっかり乾いている。ここから佐多旧薬園までの道は若いときでもアップダウン激しいと思ったので覚悟が必要だ。いきなり厳しい道は暑い日照りと佐多岬まで続いた激しいアップダウンの蓄積疲労に苦しむ俺をさらに追い込む。時折見えるきれいな海を楽しみながら坂道を越えていく。
佐多旧薬園に下りきったところで、前にスルーした佐多旧薬園を見ていく。鬱蒼とした林には島津藩が育てたレイシや竜眼のほかにマカデミアやマンゴーにガジュマルのように南国感ある木々が良い。ヤブ蚊に刺されながら植物園の見学をして、やっと昼飯にありつけた。すでに16時だ。大きいさつま揚げと惣菜のざるそばで昼ご飯にして腹を満たしていく。以前は海沿いを気持ちよく眺める道だったが、今はトンネルで貫いていて道自体はさっぱりしている。本来は昨日のうちに佐多岬には行っておいて今日は鹿屋の手前ぐらいか鹿屋まで行きたかったが、とてもじゃないが届かない。だいぶ手前の根占で一泊する方向性になっている。 |

咲き誇るハイビスカス
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佐多旧薬園
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佐多からは熱帯感がある植物相
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レイシや竜眼など薬になる木
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すでに閉まってるのでスタンプなどは押せなかったが、本土最南端の道の駅ねじめにも立ち寄る。これで日本四極(稚内、スワン44ねむろ、豊崎、糸満)はすでに制しているが本土の道の駅四極(稚内、スワン44ねむろ、本土最西端 たびら/自走最西端 生月島、根占)も制覇した。天気が良ければ夕日と開聞岳が楽しめそうなロケーションだ。海に下りる天使の梯子はきれいだ。
軽くアップダウンして根占にたどり着く。まだ17時ぐらいなので、走ろうと思えば走れるが、24年問題や働き方改革の波が自転車の旅にも押し寄せている昨今なので、根占で終わりにする。今日は雨が降るので避難できる東屋が欲しいところだ。まず、温泉に立ち寄って開館時間をチェックする。21時までは大丈夫なようだ。スーパーに立ち寄ったが、品揃えがイマイチで料理する気がおきない。先ほどの温泉に戻り、宿泊できないか検討する。フロントで聞いてみたら空室もあるようで、宿泊することにした。自転車は館内の廊下で保管して良いことになったので、自転車も入れる。部屋の近くの壁に立てかけて衣類と宿泊に必要な物だけ荷物だけ出して部屋に入る。広い和室で快適だ。そうしてる間に雨が激しく降ってきた。
久々にお湯の風呂で体を休める。やはり水シャワーもないよりマシだが、お湯の風呂は気持ちが良い。ここ3日ほどでトラウマになりそうなレベルの秘境脱出の喜びを風呂で心の底から実感する。風呂に入った後は夕食を食べる。黄金カンパチとトンカツを満喫しながらビールを飲む。久々に買い置きとレトルトカレー以外の暖かく新鮮な食事を満喫する。隣のテーブルの家族がサプライズバースデイ?みたいなことをやっていて、目に入ってくる。いかんせん涙腺弱いのでつられて泣きそうなのが困った物である。
宿で蓄積疲労を癒やしながら眠りにつく。 |

本土最南端の道の駅
道の駅 本土4極踏破
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海の向こうに天使の梯子
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本土最南端の道の駅 根占
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ホテルの中に駐輪させてもらう
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ホテル内に展示してあるバイク
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落ち着ける和室
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久々に秘境から脱出しビールで乾杯
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鹿児島のカンパチの刺身
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美味いトンカツ
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6日目 |
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根占 → 垂水 → 黒神 → 桜島港・鹿児島市内 |
73.19 km |
2024/05/01 |
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桜島 -桜島フェリー→ 鹿児島 |
朝は非常に天気が良く土砂降りの雨が降っている。天気予報では今週は毎日が雨と言われる鹿児島でありながら、ここまで走行中に雨らしい雨には降られなかったが、とうとう負けを認めざるを得ない日が来たようだ。レインウェアを着て宿を後にする。宿の近くのフェリー乗り場を通っていく。根占から山川に渡るフェリーが懐かしい。錦江湾を左に見ながら雨の中を淡々と走って行く。若いときとは言え走ったことがあるし、もの凄く苦しんだ記憶が無い道なので気楽ではある。ただ、距離は長いし最後は桜島の北側を行こうとしているので体力的な不安はある。何時にどこまでたどり着いてるかがポイントと思うところだ。
走っていると雨はやんだ。レインウェアを後ろの荷物の上で干しながら曇り空の錦江湾を北上していく。廃校を宿にした場所に立ち寄って休憩し、荒平(あらひら)神社に立ち寄っていく。岩の上に神社が建っていて、岩までは砂州で繋がっている。元々は島だったのだろうが砂州で繋がった不思議な地形だ。もの凄く急な階段を筋肉痛にあえぎながら落ちそうになりながら上ってお参りをしていく。
午前中は順調な走りで垂水まで北上した。桜島の湯平展望所は見送り方向だが、北岸の走行はできそうな時間配分になってきた。どうしようもなかったら垂水からフェリーで鹿児島というエスケープも考えていたが、そうもそれは行使しなくても良さそうだ。桜島1周を達成したいという念願は何とか叶いそうだ。まだ奄美群島や十島に行きたいと思ってるし種子島もリベンジしたいし霧島神宮にも行きたいので、鹿児島にはきっと数回は来ると思うので湯平展望所は宿題として残そう。桜島の北岸は通過するような計画じゃ無いと走らないと思うので、今回の必達目標としていた。 |

ねじめ温泉ネッピー館を出発
朝から土砂降りの雨
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荒平神社へと上るロープのある階段
雨で濡れてさらに上りにくい
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砂州にある神秘的な荒平神社
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お参りをしていく
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安心したところで、昼飯にする。というか、この旅で昼飯らしい時間に昼飯を食うのが久しぶりで2日目のトンカツ以来だ。錦江湾で養殖しているブリとカンパチの刺身がのった海鮮丼に、九州だとよく食べる貝汁に姫甘エビの唐揚げが美味しい。道の駅で買い物も済ませて、外のデッキで海を見ながらのんびりしていく。やっと気持ちに余裕のある旅が戻ってきたように思える。
垂水を出発して北上し桜島を目指す。今日は曇ってて山の姿は全く見えないが、鹿児島のシンボルともいえる山は雲に隠れても存在感は感じる。すぐに桜島へ入る分岐にたどり着く。先に南側を回る道に入る分岐が来るが、ここは踏破済みなのでスルーしていく。その先に少し行くと北岸側を回る分岐に入る。桜島を行く人はほとんどが南側を抜けていくので車の数は圧倒的に少なくなる。こっちの方が噴火とかの痕跡は色濃く残っていて噴火の年代ごとに溶岩が見える。道自体は海がほとんど見えない山岳路で最近の俺が好きなタイプの道である。時々見える北側の静かな錦江湾と火山地形を満喫していく。噴火したときの備えとか避難経路とか生々しく標示されていて、活火山を回っていることを心底実感するルートである。 |

ブリとカンパチの海鮮丼
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姫甘エビ
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海の向こうに桜島
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桜島一周道路の北側ルート
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どうしても見ておきたかった埋没鳥居にたどり着く。2.5mの鳥居がほぼ火山灰で埋没している姿は圧巻だ。大正噴火の際に1日でここまで埋まったというので火山が本気を出したときの脅威に感じる。その奥には本殿がある。普通は神社や寺の本尊は写真を撮るのはマナー問題であるが、ここは神主が積極的に撮影を勧めてくれる。その意図を聞いてみると、いつ再び噴火して姿や形がなくなるか分からないから、写真を残して欲しいとのことだ。自然の脅威を恐れるだけでなく、その覚悟が出来ている凄みを感じる話である。
南側を回ったときに感じ得なかった火山の脅威を色んな場面で感じながら、埋没門柱やどれだけの土石流を流す前提なのか分からないほど幅の広い水無川の景色を見ていく。道沿いにはコンクリートで出来た避難小屋が何カ所もあり、避難するために港へ下りるエスケープ路がそこら中にある。活火山と本気で付き合う住民の凄みを感じる。観光的な要素は少ない桜島北岸はアップダウンが激しい山岳ルートだが、ようやく終わりが見えてきつつある。ここで雨が再び降り始めた。少し雨宿りして動き出すと日が暮れた。西にある鹿児島に渡る港にたどり着くとすっかり夜になった。 |

埋没鳥居
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どんどん写真に残して欲しい本尊
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桜島から流れる水無川
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沖に見える島
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桜島フェリーの渡航手続きはもの凄く簡単で料金所を通り過ぎると、フェリーの乗り場に並ぶ形になる。料金所に着くとロードレーサーに乗った人が俺の前で料金を払っていた。俺も料金を払うと話しかけてきた。どうも香港から来ている外国人のサイクリストで英語と中国語しか話せないようだ。俺の片言の英語で会話をする。鹿児島に着いたら一緒に晩飯に行く話をしてフェリーに乗り込む。予想通りだが名物のフェリーうどんは閉店していた。今度また鹿児島に来たときに行こう。錦江湾を渡るフェリーから鹿児島の夜景とすれ違うフェリーのライトを見ながら楽しんでいると、土砂降りの雨が再び降ってきた。
鹿児島に渡り終えて雨宿りしつつ夕飯どこに行くか話をする。せっかくの鹿児島なので焼肉を提案して行くことにした。雨が小降りになったところで狙っていた焼肉屋に行く。Mapの場所に見つからなかった。仕方なく近くのお好み焼き屋に行くことにして、お好み焼きや鉄板焼きを満喫しながら話をする。なんと60歳過ぎてツーリングを始めて、今回が日本への初ツーリングで今日は宮崎の日南からここまで1日で走っている。47歳で年齢を感じている場合ではない。ほかの旅人との出会いというのは刺激をいつも感じる。私の親(今はだいぶいい年ですが)ぐらいの年齢の人とも会うことがあるし、海外の人は独特の楽しみ方をしているようにも思える。
食事を終えて、それぞれの宿、それぞれの旅に戻っていく。俺も予約していた宿に行く。かなり立派な温泉旅館で部屋の広さとかロビーの昭和感に圧倒される。今日は70km近い道と激アップダウンを耐えて我ながらよく走ったと思える1日で2日連続の温泉を満喫する。明日は甑島に渡るためのフェリーの港がある串木野までで40kmぐらいなので、午後だけ走る安足日に出来そうだ。大きな区切りまで走りきったところで安心し眠りにつく。 |

楽しみにしていたフェリーのうどんは終了
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他の旅人とともにディナー
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7日目 |
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鹿児島 → 伊集院 → 市来 |
43.46 km |
2024/05/02 |
この宿は朝食付きなのだが、朝から黒豚のしゃぶしゃぶを楽しめる。せっかくなので鹿児島の黒豚は楽しみたい。鹿児島の美味しい揚げたてのさつま揚げも合わせて鹿児島の朝を満喫する。昨日から予定した通りに午前中は観光だけする。
まずは宿の近くのコインランドリーで洗濯をする。洗濯と乾燥を終えたら、沖縄まで続く国道58号線の起点に行き、その目の前の西郷隆盛像を見て、鹿児島県立博物館を見ていく。ベタなコースをコンパクトに回る。ちょうど大正の大噴火に関するシン・サクラジマというイベントをやっていたので噴火関連の展示を見学していく。鹿児島県は自然が豊かなので霧島や桜島といった火山があれば、島々を結ぶ海もあり、奄美群島や屋久島や十島や種子島といった離島の自然もある。博物館の内容は大充実で満足度が高い。自然科学も人文学(ここは苦手)も濃い。火山の脅威も昨日の桜島北岸で体験したものと大正噴火の記録を見て改めて凄みを感じる。
博物館を出たら昼飯を求めて天文館のあたりを流すが、しっくり来る物がない。行こうと思っていた吹上庵は激混みで並んでいるのでスルーする。諦めて薩摩半島を横断する峠に向かって走っていく。峠と行っても標高200mもないぐらいなので、それほど構えてはいないが国道3号線なので交通量が多い緊張感はある。そして、今日は晴れて暑い。暑さに耐えながら徐々に上る道を走る。 |

黒豚のしゃぶしゃぶ
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豪華な朝ご飯
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西郷隆盛像
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沖縄本島まで続く国道58号線の起点
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県立博物館
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県立博物館
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坂を登り切ったあたりで、路肩の壁のコケを高圧洗浄機で落としたアートが見れる。西郷隆盛とフランシスコ・ザビエルと桜島が見事に描かれている。再びコケに埋もれない限りは残り続ける壁画になるだろう。なかなかの絵を見て満足する。
、峠を下り始める。まあ、さすがに峠自体は楽勝だったが腹が減ってきた。坂を下りきったところで栄えている伊集院で念願の吹上庵に立ち寄る。古民家風の作りに板そばととろろの入ったつゆが出てくる。そばだけで無くテーブルにある大根の漬物がやたら美味しい。ボリュームある板そばに元気の出るとろろがありがたい。今までチェーン店はなるべく旅の途中では避けていたが、ローカルチェーンはアリだ。アリ寄りのアリである。むしろ、しっかり深掘りしておきたい。 お昼を食べ終わった時点で15時過ぎになっている。ここから薩摩焼の窯元が多い美山を目指していく。ほとんどの店は16時で終わるので微妙な時間帯になってきている。陶器をゆっくり見て選ぶ時間は無いと思われるので雰囲気だけでも味わいたい。伊集院から美山が思いのほかに坂道が多く下りの途中と思いきや上っているような場所で苦戦する。到着した時点で16時前になっていた。こりゃ無理だろうと思ったら、間口の開いてる窯元はほぼなく、薩摩焼でコーヒーを飲めるカフェすら門前払いになった。
美山らいしことは何も味わえず、峠の続きを下っていく。問題は今夜どこに泊まるかだ。途中に温泉地はある。港は串木野で10時にたどり着けばOKなので、どうにでもなる。いろいろと考えながら進めていき、串木野の少し手前のいちきで日帰り温泉に入りつつ近くの公園で日没後にテントを張るゲリラキャンプ方式が現実的となってきた。近くのスーパーに立ち寄るも自炊のイメージがわく食材がなく、今日は外食になりそうだ。どうも今年の旅はそういう展開が多い。普段の生活で自炊率0%になったので、旅先でもイメージがわかないのと地産地消できるだけの食材を確保する余力が夕方に残っていないのも原因と言えるだろう。もう少し若い頃は道の駅や産直でしっかり手に入れて考える余力はあったように思える。 |

フランシスコザビエルのコケアート
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コケアート
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コケアートで桜島と西郷隆盛
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念願の吹上庵
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吹上庵のそばととろろ入りのつゆ
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海のすぐそばにある日帰り温泉に行くと、海の向こうに夕日が見えてきた。宿泊者以外は入ってはいけなさそうなグランピング施設の展望デッキに勝手に上がって夕日を急いで見る。ギリギリ日没に間に合った格好なので夕日に何かを思う余力はない。安足日とは言え体にたまった疲れを温泉で癒やして、休憩室で情報収集をする。
外食の選択肢も少ないが近くに鶏メインの焼肉がありそうだ。空いてるが店は開いている。色んな部位を焼いたり鳥刺しを食べる。甘い濃い醤油で食べる鶏刺しにキビナゴのフィッシュ&チップスも新鮮さが感じられて美味しい。BGMが常にサザン・桑田佳祐ソロ・腹由子ソロと分かっている感じの店で、酔っ払うと歌いたくなる店で鶏を満喫する。
夕方に目をつけていた公園に行きテントを張る。思ったより周りが豪邸だらけで見通しがよく目立つ。ヘッドランプをつけず隠密行動で静かにテントを張り、東屋の中に荷物付きのまま自転車を入れてシンプルにテントの中にマットとシュラフだけで寝る。 |

ギリギリ間に合った市来の夕日
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キビナゴのフィッシュ&チップス
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新鮮な鶏肉
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鳥刺し
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鶏で焼肉
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8日目 |
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串木野 -甑島商船フェリー→ 下甑島・長浜 |
2024/05/03 |
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市来→串木野・長浜 → 手打 → 観音三滝公園 |
32.54 km |
サッカー教室に行くために公園に集合し豪邸の前から出発する子供たちの集団に遭遇しながら目が覚めた。こういう反社会的な一泊では朝早く撤収するのがセオリーだが、朝早くは体がついてこないしスポーツ少年たちの朝の早さには勝てない。今日は甑島に渡る前に、鹿児島でコインランドリーに行った時から気になっているSPDシューズの臭さに手を打ちたい。
すぐに荷物をパッキングして公園で朝飯に垂水で買ってきたけせん団子を食べて出発する。まず串木野で開店直後のスーパーに行って買い物を済ませる。今夜はキャンプ場が予約できているので、ちゃんと海鮮料理を食べるべく魚を手に入れる。保冷剤代わり冷凍枝豆も手に入れて保冷バッグに入れる。港へ向かう途中にあるコインランドリーに行き、シューズランドリーにSPDシューズを入れて1時間ほど乾燥機にかける。通気性の良い素材なので、これで一旦は至近距離で確かめても臭いを感じないレベルにまで持ち込んだ。どうも雨の後で悪臭が出やすいようだ。
市街地から港へ行こうとして道に迷う。川沿いに海に下ると港に回るかと思ったら回らず行き止まりになり、手続き開始の時間に間に合うか微妙になってきた。船は予約はしているので、乗れないことはないのだが、串木野から甑島の航路はGWはかなり混雑するようだ。急いで港にたどり着いて乗船手続きを済ませた。 |

垂水で買ったビワ
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垂水で買ってきた けせん団子
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自転車ごとフェリーに乗せるころには歩いてデッキに上がっている乗客でごった返している。船内はカーペット席も座席も満室で船室内のデッキも座り込んでる人がいて居場所がない。屋上のデッキしか座れる場所がなく寄りかかれそうな端っこも埋まりつつある。何とか場所を確保する。船が出たら海と島を見ながらスーパーで買ってきたおにぎりと唐揚げで昼飯にする。船は上甑の里港に先に着いてから下甑の長浜に行く。俺の目的地は下甑なので、上甑から一気に人がいなくなって、やっとカーペットでごろ寝しながら到着を待てる。もっと辺鄙な島をイメージしていたので、意外な状況だ。
フェリーは下甑島の長浜に着いた。まずはフェリーターミナルで情報収集しようと思ったら、島旅ジェラートが美味しそうなので食べていく。うみしお味はミルクと塩の味が良く合う。港の近くにスーパーがあったので覗いてみると、島の食材は結構ある。串木野で買わなくても魚は充実してるので、ちょっともったいないと思ってしまう。 |

フェリーで甑島へ向かう
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いちき串木野を出航
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途中に小さい島が見える
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下甑島に到着
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塩のきいたジェラート
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スーパーを出ると10kmほど南にあるキャンプ場を目指す。しかし、想像していたよりもアップダウンがきつく苦戦する。途中でキャンプ場を管理委託されている建築会社の車に追い越された。たぶん受付しにいく人だろう。約束している時間に間に合うか微妙というか間に合わない感じになってきた。気持ちだけが焦りつつ、何とか坂道を越えて海沿いを豪快に下ってキャンプ場に近づく。海沿いから少し山側に入ったところなので登りを警戒したが、意外と大したことなく到着した。予定より15分遅れにとどまってひとまず安心する。受付を済ませてキャンプ場にテントを張って荷物を全部入れて、フロントバッグ以外は何もない状態にする。
まだ時間は15時半なので、もうひとっ走り島の南へ向かう。海岸からトンネルでぶち抜いてあるので楽に行けるかと思ったらトンネルは徐々に登っていく。最も苦手なタイプのトンネルだが、キャンプ場で空荷にするという判断が光ったと思う。トンネルで貫かれた峠を越えていくと、きれいな海を見下ろしながら草地を下っていく道に出る。熱心にバードウォッチングしている人たちを横目に見ながら、手打浜まで下りきる。誰もいない弓なりの海を見ながら海岸沿いを走って楽しんでいく。浜の途中に森進一のおふくろさんの歌碑がある。ボタンを押すと音楽が流れるので、押してみる。場所も微妙に住宅地で、これが結構な音量で押したことを後悔する。1番で終わりかと思ったらフルコーラスで3番まで流れる。しかも止めることはできない。こんな時に限ってほかの観光客が歩いてきて、鳴らしちゃってすいません と謝りたくなる状況だ。 |

きれいな砂浜と海の手打浜
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弓なりの海岸が美しい
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海を見ながら おふくろさんを聴く
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結構な音量で3番までのフルコーラス
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おふくろさんをフルコーラスで楽しんだ後は、武家屋敷街を流す。石垣が残っていて印象的な道に花がちらほら見られて、季節としては花と武家屋敷を楽しめる。鹿児島には島津藩の国防のために作られた武家屋敷街が何カ所かあるので、これは逃さず見ていきたい。武家屋敷街の途中にあったスーパーに立ち寄る。甑島では魚は買わないつもりだったが、ヒラマサが美味しそうなので誘惑に負けて買っていく。ここでビールも買う。冷凍枝豆で冷やせるし晩酌の構えは万全である。
もう1カ所の見所でDr.コトー診療所の原作の漫画のモデルになった診療所が下甑島にあるので立ち寄る。道に迷いそうなところで坂道を上ると確かに診療所はある。現役の診療所と介護施設になっていて、とてもじゃないが観光で立ち寄る場所では無い。Google Mapにも困った物で観光地的なロケーションで示すのはやめた方が良い。辺鄙な場所ではあるので人と目が合うことはなかったが、俺は何しに来てるんだろうと思うばかりである。診療所から下って武家屋敷街に戻ったところで、キャンプ場に戻る。 先ほど下ってきた坂道を上り、トンネルを豪快に下っていく。速度感がないのが怖いところだが追い越す車もすれ違う車もないトンネルを抜けて海沿いに出て、キャンプ場へ曲がる。夕食を作る準備をしてシャワーを浴びる。コインシャワーに100円を入れて見たがお湯が出ない。まさかの、有料だが水シャワーになってしまう。2台あるうちのもう1台は出るのか分からないが、水で体を洗い流す。次に入ろうとした人に、少なくともこっちはダメでした と教えてあげながらシャワーから出る。 |

手打の武家屋敷街
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花の時期の武家屋敷街が気持ちいい
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Dr.コトー診療所のモデル
今も普通に診療所なので観光で
立ち寄る場所ではない。
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武家屋敷街とユリの花
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準備万端の食材で豪華な夕飯を作る。枝豆でビールを飲みながら、米を炊く。そうしてる間にヒラマサを醤油と焼酎とゴマで漬けにする。量がかなりあるので刺身も楽しめる。串木野で買ってきた真鯛も刺身にする。串木野で買ってきたクルマエビのカラを剥いて、尻尾に切れ込みを入れてコッフェルの蓋にオリーブオイルとニンニクを入れてストーブで煮込む。そこにクルマエビを入れる。串木野で手に入れたシメジも入ってアヒージョも豪華な味わいになってきた。大満足の夕飯で甑島の夜を満喫する。 |

ヒラマサの刺身
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クルマエビのアヒージョ
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ヒラマサの半分は漬けにする
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キャンプの定番になってきた
ヒラマサの茶漬け
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9日目 |
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観音三滝公園 → 甑島大橋 → 長目の浜 → 里 |
44.94 km |
2024/05/04 |
自転車に荷物をパッキングしたら、歩いて近くの瀬尾観音三滝を見に行く。水の音はさらさらと聞こえていて近くに滝があるのは分かる状況だ。水量は抑えめでさらさらと流れる滝に南国らしいアコウの木が良い雰囲気を醸し出している。滝を満喫したら出発する
。昨日も苦しめられた坂に、昨日以上に苦戦して長浜港に戻る。距離は短いが、かなり体力を削られて長浜港で休憩する。
続いて、甑島最大の山場に挑む。甑島自体が急峻な地形が広がる島だが、南北に貫く道も容赦ない。海沿いと思いきやぐいぐいと上らされる。だが、上る度に眼下の景色が広がりが増すのが海沿いに出来た上り坂の楽しみでもある。ここまできつい道だと海が見えないことが多いが、ここは全線オーシャンビューだ。しかも終わりと思われるトンネルの間口も下から見えている。苦労しながらも景色とゴールが見える上り坂なので、楽しんでいける。俺の中では比較的良いペースで峠と思われるトンネルまで走りきった。 |

瀬尾三滝とアコウの木
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瀬尾三滝キャンプ場
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瀬尾三滝
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長浜から何かする峠道
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広い海と湾の眺めが気持ちいい
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島縦断の道にある峠からの眺め
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このトンネルで峠
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トンネルを越えると確かに道は下り始めた。その景色もまた豪快で複雑な地形の岩と岩の間を抜けながら坂道が下り、左右に豪快な海岸の眺めが次から次に来る。ここまで気持ちの良い島だと想像もしていなかったので喜びが大きい。しかし、そんな喜びに浸りながら走ってGoogle Mapで進捗を見ると、びっくりするぐらい進んでいない。これはまずいと走りに集中力を上げるが、進捗が思わしくない。走っても走っても上甑に近づいていかない感覚すら覚える。徐々に、このアップダウンが苦痛に思えてくる。
何本かアップダウンに耐えたら甑島大橋が見えてきた。今回、この甑島を旅先に選んだ理由が、上甑島から下甑島まで橋で全て繋がったのでツーリングとしては楽しいと踏んだからだ。本当は橋を上から見下ろす展望台に行くと気持ちが良いのだが、時間と体力から余力は無い。それでも海の上を走る真っ直ぐと長い橋の上から見る豪快な岩と甑ブルーの海と底が透けてみえる海岸は最高に気持ちの良い絶景である。
甑大橋を渡りきるとトンネルに入り、また地味に坂道を上っていく。中甑島も容赦ない道が続く。だんだん今日の予約している宿にたどり着けるか心配になってくる。中甑島の坂道の頂点と思われるところで、買い込んでおいた非常食とビワで昼食にする。集落らしき場所までたどり着く体力が無い。
中甑島のアップダウンを越えると、鹿の子大橋が見えてくる。ここまで来ると下甑島も目の前というところまで来た。ここは橋が比較的低く、海岸に降りれる。橋のたもとの広場に自転車を置いて展望台へ歩く。鹿の子大橋と甑島の海の眺めが気持ちよい。豪快な岩とレトロなデザインのアーチ型の石橋が何とも良い味を出している。続いて鹿の子大橋の下に下りる。今まで上から見ていた海を海面近くで見ると、改めて甑島の海の透明度を感じられる。 |

鹿島海岸の海 透明度がある。
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複雑な地形が映える
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昼飯のビワ
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甑島大橋
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長くて立派な橋
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鹿の子大橋
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鹿の子大橋で海に下りてみる
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鹿の子大橋を越えて進むと、いよいよ下甑島に渡る甑大明神と橋が見えてきた。海にボコボコとそそり立つ岩が甑大明神岩と呼ばれている。この時点で既に体は満身創痍のため、楽しむ余裕はないが下甑島に来たという安心感はある。おそらく、あと一山で宿のある里まで行けそうだ。島に渡った後で少し休憩して、長目の浜を目指していく。まっすぐ行けば北東に一山越えれば里に行けるが、あえて北西へ一度外れる。甑島では珍しい平らな道を行くと、ひっそりとした集落と静かな湾を見ながら走る。
鹿児島県という場所について回る歴史がある。特攻隊の基地跡があり、特攻の動きを察知された米軍に破壊された学校跡もある。戦争遺構は旅の前半で何度も見てきたが、海上特攻のための拠点になってた湾に特攻の船の模型も残されている。何とも悲しい歴史であるが、ある意味では愚かな歴史の跡と言わざるを得ない。 集落を過ぎると上り坂が始まる。砂州を挟んで海と沼が並ぶ長目の浜に沿って走って行く。ここからも結構な上り坂ではあるが、ここで覚醒した。インナーギアに入れることなくグイグイと坂を上っていく。いくつか並んでる沼を左に見ながら気持ちよく上っていく。長目の浜の展望台にたどり着く。この満身創痍状態から高低差100m近い坂を何の辛さもなく登り切ってしまった。アップダウンは旅の前半から今日まで苦しめられて、今日も甑島の容赦ない坂道にやられっぱなしだったが体が覚醒した感覚はうれしい。夕暮れになり始める長目の浜と海を眺めていく。
展望台を越えると風が強くなってきた。展望台の山が風を遮ってたから無風で済んでいたものが、急に厳しい天候になっている。坂道を下ると目の前に砂州と集落が見えてきた。今日の宿泊先でもあり明日の港もある里の集落だ。後は下るだけだと安心していき、坂を下りきったところで工事中の看板が見えてきた。「通行止め 迂回路」と書かれている。迂回路は山の上の方に続いている。ここは公序良俗に反して通行止めの方に突っ込んでみる。緩やかな海を見つつも工事中の道を進んでいく。工事は終わっている時間なので誰もいない。どこかで思いっきり通行止めを食らうのか…と思ったら、未舗装なのでやや上級者向けだし、工事時間中だと厳ししそうな道ではあるが、もう1カ所の方の通行止め看板を通り過ぎた。どうやら迂回を避けられたようだ。 |

甑大明神の横を抜ける橋
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甑大明神岩
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長目の浜に沿って走る道
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砂州と沼が続く不思議な景色
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長目の浜を見下ろす展望台
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里の静かな集落を走って行き、また武家屋敷街を抜けていく。とても宿がありそうな場所に見えない漁村を入り込んでいく。確かにGoogle Mapを見ると、この先に宿はある。何とかたどり着いた古民家風の宿は外に明るい縁側が見えていて安心感がある。自転車を置いて荷物を一部出してチェックインを済ませる。あまり遅くなると申し訳ないところだが、18時にはたどり着いて安心する。
穏やかな人柄の宿主に案内してもらい部屋に落ち着いたら、すぐにシャワーを浴びる。待望のお湯シャワーだ。終盤は寒さすら感じる風の中で走ってきたので生き返る。夕飯も甑島の海の幸や山の幸を使った創作料理に飲み放題の芋焼酎が美味しい。すっきりした物から芋臭さがある物まで満喫していく。ここは、とにかく島の時間の流れと静かさを大事にしているのが分かる。コミュニケーション好きではありながらも静かさと穏やかさを感じる宿主は物音を立てないためにスリッパすら履かないようにしていることにも気づく。焼酎を飲みながらモダンで美味しい島の幸を満喫する。
こんな穏やかな島時間の宿で、のんびりしたいところだが満身創痍で焼酎に満たされて静けさの中に寝落ちする。 |

静かで雰囲気が良い
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ビールで乾杯
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オシャレで美味しい食事に合わせて、甑島の芋焼酎を飲み放題
全種類1杯ずつ飲んで、五郎がお気に入り
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10日目 |
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上甑島 里 -甑島商船フェリー→ 串木野 |
2024/05/05 |
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串木野 → 薩摩川内 → 阿久根 → 出水 |
68.68 km |
朝もどこまでも静かで穏やかな時間を過ごす。甑島のこだわりの豆腐料理と干物もキビナゴの刺身も美味しい。もちろんご飯も何もかもが美味しい。フェリーの時間があるので気持ちが焦りがちだが、静かで穏やかな島の朝はそれを忘れさせる。よく考えたら、こんな凄い宿が予約できたのは、どういう奇跡なのだろうか。この旅には神が宿ってるとしか思えないことがおきる。
宿を出て港へと向かう。行きと同様にフェリーは大混雑している。自転車だから少し乗り遅れる分、フェリーの船室内で場所が確保できない。帰りも外デッキで座り込むしかないようだ。行きと違って朝が早いし風が強くて寒い。最初のうちは島を見送るのが楽しいが海のど真ん中に出ると寒い。外で景色を見ながらのフェリーは好きだが、今日は寒さに耐える感じになっている。 |

島時間を感じる静けさ
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こだわりを感じる魚と豆腐の朝食
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キビナゴの刺身
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FUJIYA HOSTEL
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上甑島 里から出航
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また来たい甑島。
今度は自転車以外で 笑。
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アップダウンが激しい海沿いを北上するか、川内の街の方を抜ける国道3号線で迷ったが、ここはゴールできる確率を追求する走りに切り替える。ここから3日で熊本まで完走しないといけない。甑島で覚醒したとはいえ、今年は絶不調から始まっている。最後まで油断はできない。淡々と走り抜けるだけではなく出水の鶴関連や水俣の公害関連は学んでいきたい。その中で熊本への完走を果たしたいので行動はシンプルにする。国道3号線の峠を登り始める。交通量多いし坂道はしんどく感じる。
峠を越えて川内の市街地へと下っていく。昔、逆ルートを走ったときにダラダラ長い坂道がしんどいと思ったが、下る側の立場になると気持ちいい。海の上を吹いた風は追い風として背中を押してくれる。昼には薩摩川内市の川内駅に到着した。売店で甘い物を買ったりしながら情報収集し、駅の中の店でお昼にする。鹿児島県の走りもあと1日か今日で終わりなのでトンカツを食べていく。鹿児島県のトンカツはレベルが高い。蕎麦までついててお腹いっぱいになった。
ここからは国道3号線なので、走りは計算しやすい。離島や秘境だと距離が分からなかったり、坂道の具合が分からないことがあるが、幹線国道は地図を読んだ通りの走りになりがちだ。川内から国道3号線を飛ばしていくと、夕方16時過ぎには阿久根にたどり着く。元々の予定はここで1泊で、明日からの2日で120kmを残す作戦だった。甑島での覚醒、追い風ということもあり、ここは攻めに出ることにした。阿久根駅のカフェで糖分補給をする。コーヒーを飲みながらチーズケーキを楽しみ、ここでスマホを見ながら宿を予約する。20km先の出水に少しでも近づくことを考えていると、出水に宿を押さえてキャンプや洗濯や風呂の心配をせず走り抜くことにした。
そうと決まれば体にムチを入れて走るのみである。徐々に暗くなってくる国道3号線を北上していく。ちょっとした峠は越えたものの日没時点で出水市内には入った。鶴の越冬地で有名な出水は平坦な道が続く。ここも計算通りである。途中で腰が痛くなってきたものの上半身を休めて続きを走って行く。当てにしていた日帰り入浴温泉の設備が壊れて休業中というのはまさかの展開である。
すっかり暗くなった道を東に折れると、今までの追い風が向かい風で襲いかかってきた。5kmほど苦しんだあとで宿の近くまで来た。ここで夕飯にする。ここもご当地チェーン店のふく福に立ち寄る。風を避けて店内で食べれるのが、冷え切ってきた体にはありがたい。うどんと蕎麦に寿司もついてくるセットは元気が出る。さっぱりした麺にコクのあるごまだれがありがたい。 |

今日もトンカツ
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阿久根のボンタンアイス
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ふく福の相のりつけざると寿司
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すぐ近くのトレーラーを宿にした最近増加中のホテルにたどり着いた。辺鄙な場所に出来ていて値段も安いし一通りは揃ってる。建物が隣と独立してるから静かでもある。外ではあるが部屋の前に自転車をおけるので荷物の出し入れも楽で最近は気に入りつつあるタイプのホテルだ。チェックインすると、香港から来た旅人が話しかけてきた。ロードで九州から札幌を目指して旅をしている。俺の出で立ちを見て"Teacher"と呼んで来る。教えることはないが、ただただ日本のツーリングを楽しんで欲しい。そう思うばかりである。
シャワーを浴びて、コインランドリーで洗濯すると雨が降ってきた。予報では明日は土砂降りの雨である。先が思いやられる。 |
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11日目 |
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出水 → 水俣 → 湯浦温泉 |
43.97 km |
2024/05/06 |
朝から土砂降りの雨が降っている。ホテルを出発し、まずすぐ近くの神社にお参りに行く。境内は鶴を模した明かりが並んでいて、そこら中で鶴を祭っている。何とも出水らしい神社だ。
世界一の大鈴があったり、今や大人気の愛子様誕生記念の大きな鈴が資料館になっている。資料館の中は世界一小さな鈴があったりで、鈴の大きさに感覚が麻痺しそうである。それでも、大きな神社の厳かさを満喫する。
昨日走ってきた道を戻って、出水のクレインミュージアムに行く。出水に飛来する鶴の生態や鶴と人の関わりや文化を展示してある。かなり見応えのある資料館である。鳴き声や渡りの飛行ルートなど色んなことが学べる。たくさん来る冬場とかに訪れたい場所である。VRゴーグルで何かを見れるらしいのだが、どうしても座って見ろと言ってくる。ここに来るまでに全身がずぶ濡れなので、どこにも座りたくないというか座ると座った場所が汚れるので避けていたので そのままVRゴーグルは返して資料館を後にした。 |

最近増えてるトレーラー型のホテル
意外と快適で安い。
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ツルの渡来地らしく鶴一色
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鶴と亀
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箱崎八幡神社の本殿
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日本一の大鈴
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愛子様生誕記念
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一方で日本一小さい鈴
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クレインミュージアム
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ここでやっと雨がやんだ。続いて出水の次の街にある水俣を目指す。まずは、出水の産直に立ち寄る。今日は大量に残っているガスを使い果たすメニューを考えたいが、妙案が浮かばないまま買い物を終える。ご当地の柑橘を使ったソフトクリームを満喫する。
水俣に向けて走り出すと、距離的にはあっという間についた。水俣病資料館は絶対に立ち寄りたいと思っているが、途中に見つけた水俣病歴史考証館というのが気になって立ち寄る。マイナーな資料館だからか、道が分かりにくくたどり着くのに苦戦する。結構な坂を上った上にある。近代的とは言えない建物が並ぶ中で本当に資料館があるのか疑問になりつつ入口についた。
ベルで呼ぶと係の人が別の建屋から駆けつけてきた。資料館の中身は非常に生々しい。大企業 vs 近隣住民といった単純な対立の構図を想像していたが、そんなに単純ではなく、医学的に技術的に何が起きてるのか分からないか 分かっていることを隠したり、御用学者がいたりで、大企業城下町の住民同士の対立や差別の構図もあったり、非常に複雑に絡んだ社会問題だったことが分かる。これは現地に来てみないと知り得ない事だと思うので貴重な体験である。
とにかく展示内容が生々しく具体的で、少しレトロな雰囲気のある建物がこの公害の恐ろしさを引き立てている。 |

ご当地オレンジソフト
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水俣歴史考証館
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企業城下町と公害
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怨の幟が怖さと怒りの大きさを感じる
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深く考えさせられる資料館を後にして、道の駅に行く。ここで昼飯を食べようとしたがレストランは終わっていて、売店で買った物を立ち食いで済ませるしかない。三太郎餅というのを見つけて昼飯にする。柔らかい生地に素朴な甘さのあんこが美味しい。
バラ園を見ていく。時期的に良いのか満開のバラが楽しめる。鹿屋では体力不足でバラ園をスルーしたので、ここで挽回していく。雨の中ではあったが、雨に濡れたバラが色濃く出ている。
続いて、水俣病資料館に行く。水俣病歴史考証館だけ見て終わろうと思ったが、資料館に立ち寄らずにいられなかった。エコパークと呼ばれる広い公園はメチル水銀に汚染されて漁業が二度と出来なくなった海を埋め立てた跡地という衝撃を感じつつ、その広さに人が失った物の大きさを感じる。資料館は生々しさこそ少ないが、起きてしまったことと現在が端的にまとまっている。2つの資料館を見て企業側として思うのは企業が犯す間違いは大きすぎる社会影響を持つ。特にマネージメントや経営に関わるとなったら、そのことを重く感じて適切な行動ができないといけないと考える。最近も性能や認証で不正を繰り返す企業が多発している日本の産業界。コンプライアンスは大事だと口だけ言うが、本当の意味のコンプライアンスより優先されていることがあるような気がする。事の大小は違えど本質は変わらないように思える。
すっかり見入ってしまい、出水から20kmも走ってないのに夕方になってしまった。昨日の気合いで作った貯金は全て使い果たした。ここで再び雨が降り始めた。さらに寒くもなってきた。ここからは不知火海沿いのリアス式海岸を走っていく。余力があれば海沿いのアップダウンを走りたいところだが、天気悪いし体力的にもいっぱいいっぱいなので国道3号線で行く。それでも三太郎峠と呼ばれてる3つの峠を越えるルートなので大変ではある。
1つめの峠を登っていると目の前に軽トラックが止まった。私を心配して声かけてくれて荷台に自転車を載せていくように勧められた。さすがに完走を目指したいのでありがたくお断りをする。そのおかげか、1つめの峠を越えたら温泉なので、今日はそこまでにするかという決心もついた。静かな峠を淡々と越えると霧が出てきた。 |
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道の駅みなまたのバラ園
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水に浮かぶバラの花
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 昼飯の三太郎餅
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柔らかい餅が美味しい
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峠を下ると温泉街にたどり着いた。日帰り入浴の温泉はすぐに見つかる。その目の前にグラウンドがあって、その奥には大きな屋根の下の広場が見える。今日は雨なので屋根下があるのは助かる。歩いて偵察に行き、ゲートボール場であることが分かった。日没後に行く作戦を立てる。スーパーで買い物をする。刺身と空豆とステーキを買っていく。温泉で体を温めながら疲れを取る。真っ暗なグラウンドを横切って屋根の下に落ち着いた。
空豆とアスパラガスを塩ゆでにしながら、カンパチを刺身にする。続いて鹿児島県産の黒毛和牛をステーキにする。何とも贅沢を極めた夕飯だ。今回の旅の集大成とも言える自炊になった。明日は地図計算で78kmを残している。今回の旅では最長距離の走行が必須である。これを走りきって完走を決めたいところである。 |

鹿児島産空豆とアスパラ
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最後のキャンプ晩餐
カンパチの刺身
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鹿児島産黒毛和牛
サーロインステーキ
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12日目 |
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湯浦温泉 → 八代 → 熊本 |
73.55 km |
2024/05/07 |
ゲートボールをしに来る人はなく静かな朝を迎えた。朝の早い年寄りとゲリラキャンプ出発の勝負ではあるが、雨が降っていた昨夜からしてゲートボールは中止になったのだろう。屋根の下できれいに整備されたゲートボール場が何ともバブルというか昭和な感じがする。よくよく考えてみると、お年寄りというとうちの親ぐらいの世代になってくるので、ゲートボールをやる年寄りも世代交代で今や少ないような気がする。
テントを片付けていると雨はやんで晴れてきた。見つかって問題になる前に撤収する。コンビニに立ち寄って野菜ジュースとコーヒーを買い、川内で買ったかからん団子で糖分を補給して朝飯にする。リアス式海岸沿いなので海に寄ったり離れたりする道を走っていくと、2つめの峠を越えた。
峠を下って信号待ちに引っかかると、後方から来た自転車に声かけられる。出水のホテルで会った台湾出身のチャリダーだった。コンビニまで一緒に走ってコーヒーを飲んで話をしていく。すぐ先に道の駅があったので、また立ち寄っていく。休憩多めの俺とはペースは合うことはなく先に進んでいった。デコポンを買って周りを見ると、この道の駅は宿泊可能だし温泉も近い。こういう選択肢もあったようだ。
3つめの峠はだいぶ楽で、これはあっさりと越えた。昼前には三太郎峠は全て越えて八代から熊本までの平坦な道を走り抜けるのみとなった。日奈久温泉駅で休憩する。海沿いにあってのんびりした温泉で、腰据えて泊まりたくなるところである。 |

屋根の下で安泰のキャンプ
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川内の かからん団子
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ここまで来れば、もうどうにでもなるだろう。やや遠回りの国道3号線から海側に避けた県道でショートカットしていく。ちょうど昼頃になってきたので、見えてきたお弁当のヒライで昼食にする。ご当地チェーンと言えば、熊本のお弁当のヒライは外せない。お弁当のヒライに名物などない。なぜなら、全部美味しいからだ。熊本の製作所に勤務していた時に寮のすぐ近くにあって本当に食事に事欠かない印象だった。麺類からご飯物に定食と。しかもイートインもある。美味しそうなカツ丼で腹を満たしていく。
すっかり晴れてきた八代から熊本に向けて田んぼの中を貫いていく県道を淡々と走る。最近、上半身が弱いので平地を淡々と走るだけでも腰が痛くなってくるので、途中途中で休んだりはするが足は動いてくれている。まだまだ明るい時間に熊本までの距離をぐんぐんと詰めていく。宇土を過ぎて、いよいよ熊本市に入る。国道も3車線ずつのバイパスになって車から追い風をもらいながらペースを上げていく。
到着直前にコンビニに立ち寄ったものの、余力十分の状態で熊本駅前に到着した。鹿屋からスタートして大隅半島の東から佐多岬を回り念願の桜島北側も走り抜けて、甑島も満喫し、日本一周未踏区間の阿久根〜熊本も走りきって実り多い旅を完走した。ここ数年のGWはコロナの盛り上がりがあり、自粛による中止2回 全体的に旅の終わりも意識しないといけない離島2回ということもあり、どこかからどこかに本格的に走り込む移動型の旅をGWに展開するのが久しぶりだったので体が言うことを聞かないところがあったが、苦しいながらも完走したことは大きい。
喜びに浸った次に現実がある。ここ数日の天候で靴がとんでもなく臭い。まず、コインランドリーに行ってシューズランドリーで靴を洗う。というか脱いだあとの足も臭さがひどい。コインランドリーで足を洗う手段がなくて困ったのだが、消毒用のアルコールを直でぶっかける暴挙に出る。これを3回ほどやりながらシューズを洗濯・乾燥して靴下を履き替えた。特に雨の後でSPDシューズの防臭対策という新たな課題に今後も苦しみそうだ。 |

熊本といえば お弁当のヒライ
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お弁当のヒライのカツ丼
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九州のアイス ブラックモンブラン
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今年も完走
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ゴール熊本駅に到着
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ホテルにチェックインし、風呂に入ったら、熊本市内に飲みに出かける。どうも今日は居酒屋への嗅覚が冴えないが、何とか店は見つけた。何とか美味しい刺身と米焼酎にありついた。熊本でしか味わえない馬肉料理と米焼酎を満喫する。2ヶ月ほど住んだこともあるし、旅の途中で来るのも5回目になるが、何度来ても美食が堪能できる。〆の太平燕も体に染み渡る。
熊本の夜を大満喫して眠りについた。 |

今年も完走を祝して乾杯
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13日目 |
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熊本市街 → 熊本空港 |
22.04 km |
2024/05/08 |
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熊本 -JAL→ 羽田 |
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羽田空港 → 宇都宮 |
飛行機は夕方なので、午前中に靴以外の洗濯物を洗濯・乾燥する。慣れた段取りで午前中に郵便局から荷物を発送し、熊本博物館に行く。自然で言えば阿蘇から天草があり熊本の地質や生物学は奥が非常に深い。敷地内に展示してあるSLを見てたら大粒の雨が降ってきた。自転車で熊本空港まで20kmほど走ろうと思ってたところなので、気持ちが萎える。
博物館から熊本城を下っている途中で、工事中の天守閣が見えてきた。崩れた石垣が痛々しく修復に苦労しているのが見える。熊本地震以来は熊本には来てなかったが、熊本城に「あの地震は大変やったんやな」と話しかけたくなるようなそんな姿だった。だが、熊本だけでなく九州の拠り所のような立派な熊本城は着実に復興に向かって動いているのを見て元気をもらえる。 |

熊本博物館のSL
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熊本市街地から熊本空港へと走り出す。熊本駅前で輪行してくれば良かったと後悔するほど坂道が長い。20kmで200mを上った先に空港がある。天気が悪く寒さもある中での走りが最後に苦しめる。一番体ができてる最終日で荷物も送り出して軽いはずなのに、苦戦が続いて空港になかなかたどり着かない。
クタクタになりながら熊本空港にたどり着いた。GWの旅だというのに手がかじかむほど寒い。空港の前で自転車をばらして袋に詰め込んでいく。慣れた行動ではあるが、寒さと疲れにはかどらない。自転車を預けてお土産を買って、飛行機に乗り込む。飛行機内では集中して日記を書きながら羽田へ向けて飛んでいく。
羽田に到着したら、駐車場にカートで運んで車に詰め込む。高速道路をいつものように飛ばして、鹿沼ICまで走る。これも慣れたルートである。2024年GWの実り多い旅は終わりを告げた。 |

熊本空港から撤収
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赤牛丼
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熊本空港から出発
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